毒牙にかかったレェ・ティ・ニャット・リンちゃん

 

2017年3月24日、千葉県松戸市在住、千葉県松戸市立六実第二小学校3年生女児児童レェ・ティ・ニャット・リンちゃん(当時9歳、ベトナム国籍)が、登校で自宅を出たまま行方不明になり、同月26日の朝に同県我孫子市北新田の排水路脇の草むらにて絞殺体で発見された。また、遺体発見現場から約20km離れた茨城県坂東市の利根川河川敷で、被害者のランドセル及び衣服が見つかった。

 

警察は殺人・死体遺棄事件として捜査し、現場の遺留品のDNAの型とリンちゃんが通っていた小学校の保護者会元会長である渋谷恭正のものと一致したとして、同年4月14日に渋谷を死体遺棄容疑で逮捕した。容疑者となった渋谷はその後、殺人や死体遺棄容疑等の罪で起訴されたが、渋谷は容疑を否認した。被害者になったリンちゃんの遺体は祖国ベトナムまで運ばれ、そこで葬儀が営まれた。

 

救いようのない変態 渋谷恭正

 

渋谷はリンちゃんの通学路で児童の登校を見守る活動をほぼ毎日しており、リンちゃんとハイタッチする姿も目撃されていた。また、住民の証言によると、事件前には複数の児童に「車で送って行こうか?」などと声掛けをしていた。また、渋谷は軽自動車とキャンピングカーを所有しており、渋谷の軽自動車がリンちゃんの自宅近くからキャンピングカーが駐めてある駐車場へ走っていく様子が防犯カメラに映っていた。

 

事件が発覚すると、渋谷は毎日参加していた児童の見守りに現れず、住民によるリンちゃんの捜索にも参加せず、保護者の会のメンバーからの電話にも出なかった。渋谷は軽自動車でリンちゃんを連れ去り、その後にキャンピングカーへ連れ込んだとみられている。また、渋谷の軽自動車が遺体発見現場と遺留品発見現場を行き来しており、渋谷はリンちゃんの遺留品を捨てた後、遺体を遺棄したとみられている。

 

遺体が発見された翌日に行われた保護者の会では、渋谷は事件への関与の有無を尋ねられ、強い口調で「アリバイがあるからやめてください」と答えている。また、渋谷は事件後、リンちゃんの遺族がベトナムに帰国を支援するための募金を呼び掛けた。だが、渋谷はリンちゃんのお別れ会には「家族全員がインフルエンザにかかった」と説明して欠席したことから、後に一部の保護者会の人々から批判されている。

 

渋谷の異常性癖は2001年の母親の死後、目立つようになったと言われている。渋谷がこの頃から「俺はロリコン、幼児しか愛せない」「小学生か中学生しか愛せない」と発言するようになった。渋谷の元同僚は渋谷が小中学生が出演するDVDを収集していたといい、15歳以下の女性にしか興味がなかったという。更に、元上司は「渋谷の持っているDVDは全部子供で東南アジアの子が多かった」と話した。

 

渋谷が所有するキャンピングカーからは、金属製SM用の手錠や、ヒョウ柄の手錠、バイブレーター4本、フェイスマスクなど“大人のおもちゃ”が10点以上、押収されている。そして、リンちゃんの体の顔、耳、胸、下腹部から渋谷被告の唾液が検出されており、体内からは被告とリンちゃんの混合DNA型が検出されている。彼女の膣や肛門には棒のようなものを挿入されたときなどにできる出血や傷も見られた。

 

2017年5月26日、千葉地方検察庁は渋谷を殺人、強制猥褻致死、死体遺棄などの罪で起訴。2018年6月4日の初公判で渋谷は「検察側の主張は全て架空であり、捏造されたもので、事件には関わっていない」と証言し、全面無罪を主張した。一方、検察側は渋谷のキャンピングカー内にあったネクタイからもリンちゃんの唾液が検出されたとし、殺害の凶器となった可能性を示唆し、死刑を求刑した。

 

6月13日の公判の中で、リンちゃんの通っていた小学校の保護者会長を務めていた渋谷は事件の当日、児童登校の見守り活動を「母親を介護するため休む」と校長らに伝えていた。しかし、渋谷の母親は2001年に既に死去していたことが分かっている。渋谷は公判で検察側から、この矛盾点を指摘され質されると、法廷で証言した校長や教頭など学校関係者がウソをついていると真顔で言い張った。

 

同月14日の被告人質問では、弁護士から「何か言いたいことはありますか?」と尋ねられると、「リンちゃんのご両親に言いたいことがあります」と、声をうわずらせ「私が犯人だと思われている中で、私が行った募金を受け取ってくださって有難うございます」と、皮肉めいた発言をし、「登校中なら親が悪い。校内なら教員が悪い。リンちゃんの事件は通学途中のことなので親の責任」と、リンちゃんの両親を批判した。

 

これに驚いた裁判長が「子供を殺害された親に言っていいことではないのでは」と苦言を呈すると、渋谷は「(親が)守っていればこんなことにはならなかったと思う。事件当日、リンちゃんのお父さんは仕事に行く前に時間があったと聞いたので、(彼女を)送っていけたはず。子供をひとりで学校に行かせたから事件に遭った」と、再びリンちゃんの両親を批判し、「私は子どもと一緒に学校に行っています」と言い放った。

公判の証拠調べでは、渋谷被告の軽乗用車内で見つかった8か所の血痕が廷内の大型スクリーンに映し出されたり、リンちゃんの担任の先生が「素直で向上心のある子。3年生で一番成長した」と話した調書が読み上げられたりしたが、渋谷の表情は全く変わらなかった。続いて、リンちゃんの父親であるハオさんが証言台に立ち、「娘は将来、日本とベトナムの懸け橋になりたかった」と、震える声で証言した。

続けて、裁判長が母親のグエンさんの「私は娘の遺体を引き取った時の感覚を死ぬまで忘れることはないでしょう。殴られて腫れ上がり、痣ができた娘の顔、棺の中で横になり、つむられた娘の目、娘の冷たい手を握った私の心は千もの針で突き刺されたようでした。私は泣くことも叫ぶこともできませんでした」という意見陳述書を読み上げた。ハオさんは「(渋谷は)悪魔だ」と述べたが、渋谷は顔色を変えなかった。

 

リンちゃんの顔面には殴られたような痕があり、口の中は切れて出血したような裂傷もある。そうしたことから、おそらく渋谷は抵抗するリンちゃんの両手首を拘束して乱暴した後、首を絞めて窒息死させたと推定できる。しかし、渋谷は逮捕されてから黙秘を続け、初公判でも全面無罪を主張し、起訴内容を否認したため、自分の娘がどうのようにして、最期を迎えたのかリンちゃんの両親は知るすべがなかった。

 

2018年7月6日、千葉地裁で初判決公判が開かれ、検察側は死刑を求め、弁護側は無罪を主張した。リンちゃんの両親は「渋谷を極刑に」と訴え、渋谷に死刑を求める署名はベトナム人を中心に100万人を超え、ベトナムや日本だけでなく、世界中の国々の人々から送られてきた。同裁判長は渋谷の犯行であることを認め、無期懲役を言い渡した。弁護側は即日控訴し、検察側も判決を不服として控訴している。

 

2審の東京高裁の判決も「「犯行態様は冷酷非道だが、場当たり的で殺害に計画性は認められず、極刑がやむを得ないとは言えない」として、渋谷を無期懲役とし、弁護側が上告した。リンさんの両親は死刑を望んだが、検察側は上告を断念しており、刑事訴訟法の規定により、渋谷の死刑判決の可能性はなくなっている。リンちゃんの名前はニャット・リン。ベトナム語でニャットは「日本」、リンは「輝き」という意味だ。

 

渋谷恭正の関与が疑われる大川経香ちゃん

 

渋谷恭正の周辺では事件に巻き込まれた女子児童はリンちゃんばかりではない。渋谷の住んでいた安孫子市から直線距離でわずか5kmの取手市に住んでいたフィリピンハーフの女児である大川経香ちゃん(9)もそのひとりだ。彼女は2002年5月19日、「友達のところへ遊びに行く」と言って午前10時頃家を出て、同日夕方6時頃に自宅近くの公園で友達と遊んでいるのが確認されたのを、最後に消息を絶った。

 

夕方7時頃、母親のアナベルさんが家に帰ると経香ちゃんが食べたと思われる弁当が空になっていたのが確認されている。取手署では6月28日までに延べ1530人もの捜査員を投入し、経香ちゃんの自宅から半径3km周辺の川や神社、空き家、側溝、雑草地などを虱潰しに捜索した。すると、リンちゃんの遺体発見現場から2kmしか離れていない場所から経香ちゃんが変わり果てた姿でみつかった。だが、犯人は不明だ。

 

渋谷恭正の関与が疑われる佐藤麻衣さん

 

他にも2003年7月9日午前10時頃、リンちゃんのランドセルが発見された現場の西隣にある五霞町で高校1年生のヨルダンハーフの佐藤麻衣さん(15)の他殺体が発見されており、この事件も未解決である。麻衣さんは草加市の瀬崎浅間神社のお祭りに訪れているところを目撃されたのが最後だった。これらの事件は直接的な証拠はないが、場所や狙われた女の子の特徴を見る限り、渋谷の関与が疑われる。