加害女児、辻菜摘

 

「佐世保小学6年女児同級生殺害事件」の加害女児は無口な少女で、事件後に両親と面会した際、母親が静かに涙を流していたのに対し、少女は何も話さなかった。だが、犯行前夜には父親に「この本、読みたい?」と聞かれ、微笑んで「うん」と答えたという。少女は小さい頃、父親の膝に乗って話をし、テストで100点を取ったときは「すごいやん、100点やんか」と言われて褒められた。ジャーナリストの草薙厚子が指摘する父親から少女への虐待の事実はなかったものとみられる。

 

ところが、加害女児は事件を起こすよりかなり以前から、吉村達也の「ボイス」や、高見広春の「バトル・ロワイアル」などのホラー小説にのめり込んでいたと言われる。加害女児は、この事件を起こす4か月前には「バトル・ロワイアル」の小説を同級生に貸し出していた。また大石圭のホラー小説「呪怨」にも強い興味を示して、父親に買ってもらいたいという発言をしていた。やがて、それらのホラー小説などの影響は加害女児の現実における行動にも現れるようになっていったと言われている。

 

もともと加害女児と被害女児とは仲が良かった。彼女たちウェブサイトや他の子を交えた交換日記での付き合いもあった。ふたりは共に地域のミニバスケットボールクラブに所属していたが、小学5年生の終わり頃に加害女児は受験勉強を理由にミニバスケットボールクラブを引退している。この引退が加害女児にとっての「居場所」を失って、孤立を深める原因のひとつになったとされる。この頃から女児はインターネットなかり依存し、唯一安心して自己を表現できる「居場所」にしたとされる。

 

加害女児の成績は中の上で、おとなしかったが、5年生の終わり頃から精神的に不安定になっていったと周囲の人々は証言している。人と話すときに人の目を見なくなり、落ち着かない素振りを見せることがあった。些細なことで逆上し、カッターナイフを振り上げるようなこともあった。ちょっかいを出してきた男子児童を追いかけ回して捕まえると殴ったり、押し倒して体を踏みつけるなどの暴力を振るって、同級生が慌てて止めに入ると怒りを露わにしたが、担任は深刻に捉えてはいなかった。

 

6年に入ってから暴力的な言行が増えていったという加害女児だが、担当の教師からの評判は「遅刻も少なく、授業中も率先して手をあげて質問する積極的な生徒」というものであった。この時期の1月にウェブサイトを開き、「バトル・ロワイアル」の同人小説を発表。加害女児は続編を予定していて、それは6年生のクラスと同じ人数の38人が殺し合いをするストーリーで、各キャラクターが同級生に似ているといい、被害女児と同姓の人物も描かれており、物語の中で殺害されている。

 

2004年5月下旬頃、遊びで被害女児が加害女児をおんぶしたとき、加害女児に「重い」と言い、加害女児は「失礼しちゃうわ」と腹を立てた。実際には加害女児はほっそりしていて、冗談を深刻に受け止めたとみられる。その後、被害女児は自分のウェブサイトに「言い方がぶりっ子だ」と書いた。それを見た加害女児は予め交換していたパスワードを使って被害女児のウェブサイトに侵入し、記述を削除した。だがその後、再び同様の書き込みをされ、加害女児は被害女児に殺意を抱いた。

 

被害女児は自分の掲示板が不正に書き換えられたことについて

「チッマタカヨ。なんでアバターが無くなったりHPがもとにもどっちゃってるケド、ドーセアノ人がやっているんだろぅ。フフ。アノ人もこりないねぇ。(゜∀゜)ケケケ」

「荒らしにアッタんダ。マァ大体ダレがやってるかヮわかるケド。心当たりがあるならでてくればイイし。ほっとけばいいや。ネ。ミンナもこういう荒らしについて意見チョーダイv じゃまた今度更新しようカナ」

と書いた。

 

それを受けて加害女児は、被害女児のネット上のアバターを消去した。ほかにも、被害女児を含めた同級生達と手書きの合作ノートを作っていたが、ここでも他の子とトラブルがあり、事件のわずか前に被害女児を通じて退会を求められていた。加害女児は事件後、収容先の自立支援施設で発達障害と診断されている。一方で、昭和大学精神医学主任教授・岩波明医師は加害女児に下された発達障害誤診と指摘し、「アスペルガー症候群の特徴は見いだせない」としている。

 

当日、加害女児は午前中の授業が終わった後の給食準備中、被害者を3階の学習ルームに呼び出し、そこでカーテンを閉めて椅子に座らせ、手で目を隠し背後からカッターナイフで首に切りつけた。被害女児は椅子から立ち上がり、両手を振って抵抗したが、加害女児は怯むことなく何度も切り付けた。被害女児の首の傷は深さ約10㎝(普通の大人の首の太さは直径で13~15㎝ぐらい)、長さ約10㎝に達し、左手の甲には、骨が見えるほど深い防御創と呼ばれる傷があった。

 

犯行直後の実際の写真

シャツに返り血、凶器のカッターナイフがポケットに入っている

 

被害女児が倒れた後、加害女児はすぐには現場を離れなかった。教室に戻るまでの15分間、ハンカチで手についた返り血を拭き、被害者の顔を覗き込んだり触ったりして、動かないことを確認したと言われる。給食の開始時に、加害女児と被害女児がいないことに、担任が気づいた。その直後に、廊下を誰かが走ってくる音が聞こえ、入口に加害女児が返り血を浴びた状態で佇んでいた。加害女児はカッターナイフと血のついたハンカチを握っていたため、担任はカッターナイフを取り上げた。

 

驚いた担任が加害女児に事情を尋ねると、「私の血じゃない、私じゃない」と呟き、学習ルームの方を指さしたという。 担任が現場に駆け付けると、被害女児が倒れているところを視認した。学習ルームには血が飛び散り、入口には折れたカッターナイフの刃が落ちていたと言われる。この時には、まだ被害女児に息があったようで、担任は止血を試みながら人を呼ぶために大声で叫んだ。担任のただならぬ声を聞きつけた先生らが駆け付け、教頭に直ちに報告し、教頭が119番通報した。

 

被害女児、御手洗怜美さん

 

通報を受け救急車が到着したが、現場を確認した救急隊員は病院への搬送を断念し、佐世保警察署に連絡した。被害者家族、学校関係者、そして、余りの惨状を目の当たりにして心的外傷後ストレス障害(PTSD)を負った救急隊員までもが、惨事ストレスやサバイバーズ・ギルト(生き残ったことに対する罪悪感)の兆候が見られる状態になった。ただでさえ凄惨な現場に加え、小学校で小学生が同級生を殺害する事態に、関係者のみならず多くの人に衝撃を与えることになった。

 

加害女児は殺害方法として、カッターナイフを使用したが、他にも絞殺することやアイスピックで刺すことなども検討していたという。しかし、加害女児が事件の前夜に見たTBS系列の(長崎県ではNBC長崎放送で放映)テレビドラマ「ホステス探偵危機一髪 6」という番組のなかにカッターナイフで人を殺害する場面があった。後に、加害女児が「これを参考に殺害方法を決めた」と供述したことから、その後、各テレビ局が殺人シーンのあるドラマの放送を一斉に自粛する事態にまで発展した。

 

2004年9月15日、長崎家庭裁判所は、3か月に及ぶ異例の精神鑑定を踏まえて、加害女児に対して最長で2年間までの行動を制限する措置を認めた上で、国立の児童自立支援施設である「国立きぬ川学院」(栃木県さくら市)への送致を決定した。2005年3月には、施設内の分校であるさくら市立氏家小学校で卒業式を迎え、2008年には施設内の中学校を卒業して、きぬ川学院を退所して社会復帰を果たしている。その後の彼女に関する一切の情報は隠匿されている。

 

【参照:Wikipedia他】