宮川豊

 

1993年8月10日、窓口業務が終了する時間になった時、本店を経由して、山梨日日新聞が発行する月刊「ザやまなし」の取材を装った男からから甲府信用金庫の大里支店に勤務する新人OLであった内田友紀さん(19)を指名して取材依頼がくる。これに対し、友紀さんと彼女の上司は応諾し、彼女は勤務時間終了後、電話の男が差し向けたタクシーで待ち合わせ場所の小瀬スポーツ公園に向かった。ところが、それを最後に友紀さんは行方不明となった。

 

翌日、友紀さんの父親が帰宅していないことを支店に問い合わせた時、身代金を要求する1本の電話が入ったことから誘拐が発覚した。支店側はすぐさま山梨県警に通報、山梨県警は犯人を刺激しないよう非公開としつつ、その後も架かってくる犯人からの電話に逆探知で犯人の居場所を特定しようと試みていた。犯人は映画「天国と地獄」の手法を真似て、中央自動車道の104キロポストから身代金4500万円を投下するよう指示するも身代金奪取に失敗した。

 

だが、山梨県警は身代金受取場所に遅れるなどのミスを犯したほか、犯人も1 Km離れた105キロポストで待機するミスを犯していた。その後、犯人からの連絡は途絶え、誘拐されてから1週間後の8月17日、静岡県富士宮市の富士川で友紀さんの遺体が発見された。後の捜査で、友紀さんは誘拐された同日中に殺害され、富士川上流の笛吹川から流されていたことが判明した。遺体発見後、山梨県警とマスメディアは報道協定を解除し、公開捜査に踏み切った。

 

公開捜査と同時に遺体を発見した静岡県警と共に合同捜査本部を設置した。メディアでは「犯人は男3人組」「共犯者に女性がいる」など根拠のない情報が流され、また報道協定を解除したことで山梨県警に1日700件もの情報が寄せられたが、いずれも有力な情報に繋がらなかった。そこで山梨県警は逆探知装置に残っていた音声を公開。その音声をもとに音声・音響の研究の第一人者である鈴木松美氏が犯人の声を解析し、以下のことが割り出された。

 

逆探知装置に残された音の高さや質から身長170cm前後で、年齢は40歳から55歳の間であると推定された。甲州弁を多用していることから甲府盆地内に在住している人物で、身代金要求時に「無地の帯封」を求めており、高額なものを取り扱う営業職の男であると推測された。これらの解析結果は若干年齢が高く外れたが、後になって実際に逮捕された犯人の宮川豊(38)の人物像とほぼ一致しており、鈴木氏の声紋解析が正確であったことが際立っていた。

 

鈴木松美氏

 

さらに鈴木は当時NTT電話網の甲府MA・0552局内では、有接点のクロスバー交換機が使われていたことから、電話を切った直後、交換機が接点を開放する際に発生するパルスノイズのパターンが経由する交換機間の距離とその台数で異なることに着目した。そして、甲府信金の当該支店の加入電話と同じ市内局の回線を準備した上で、甲府MA管内の公衆電話からすべて発信することで、録音された脅迫電話の切断時と同じパルスノイズを割り出そうとした。

 

その結果、中央自動車道の境川パーキングエリア (PA) の公衆電話から架けたことがわかり、そこは宮川が身代金を投下するよう指示した104キロポストの至近であった。 鈴木氏による鑑定の内容が連日報道され、また鈴木氏自身も作業場を公開したり、テレビ出演する等協力の姿勢を見せた中、犯人の宮川の知人である建設会社社長が鈴木氏による鑑定内容と音声を報道で聞いて犯人は宮川で間違いないと確信し、宮川を呼び出し自首するよう説得した。

 

宮川は当初否認していたが説得に折れ、8月24日の早朝、建材会社社長に連れられて山梨県警所轄の警察署に出頭し、逮捕された。宮川は山梨いすゞ自動車のセールスマンであり、大型トラックのセールスマンだった。宮川は販売実績アップのために数多くでっち上げた架空契約の支払いや、妻とふたりの子どもの家族がありながら、韓国人ホステスの愛人があり、彼女との交際費等で約7000万円の借金を抱えており、その返済目的で犯行に及んだとされる。

 

また宮川が被害者になってしまった友紀さんを指名した理由は意外なものだった。友紀さんが勤務する大里支店を宮川が訪れた際、名札をつけていた友紀さんが当時デビューしたばかりの歌手で女優の内田有紀さんと、名前の読み方同じだったことから名前を覚えており、誘拐を決意した際、彼女を対象にし、犯行に及んだものだった。先輩職員が名札をつけていない中、新入社員の友紀さんだけがまじめに名札をつけていたこともあり、これが仇になってしまったのだ。

 

甲府地方裁判所で開かれた第一審の公判で、被告人として起訴された宮川は犯行を全面に認めた。そのため、自首の有効性が争点となった。弁護側は宮川の出頭は自首に当たると主張した。一方、検察側は境川PAの駐車していた自動車のナンバーを控えており、そのうちの1台が宮川の自宅に停まっていたなど割り出していたことから、既に犯人は宮川であることを特定しており、宮川の出頭は自首に当たらないと主張。犯行は重大であるとし、死刑を求刑した。

 

そして審議の結果、甲府地裁は自首の成立を否定したものの、無期懲役の判決を言い渡した。 死刑を求める検察側と、有期懲役刑を求める宮川の弁護人がそれぞれ、判決を不服として東京高等裁判所に控訴した。しかし、東京高裁は、弁護側の主張に対しては「犯行態様の凶悪性が著しく、死刑を求める検察側の主張も傾聴に値するほど」と退け、検察側の主張に対して「近年は、ひとりが殺害された事件での死刑適用に控えめな傾向が窺える」と退けた。

 

東京高裁はそうした理由を述べたうえで、改めて甲府地裁の判決を支持し、「一審判決は軽すぎるとも重すぎるともいえない」と控訴を棄却する判決を言い渡した。その後、東京高等検察庁・被告人側とも、上告期限までに最高裁判所へ上告しなかったため、1996年5月1日に被告人である宮川豊の無期懲役が確定した。「甲府信金OL殺人事件」検察が「死刑に準ずる」と判断した「マル特無期事件」だから宮川の獄死決定的である。宮川、現在66歳である。