サウジアラビア北部にある玄武岩に、バビロン最後の王・ナボニドゥス(在位:紀元前555?~539年)の名で書かれた碑文が発見されたと、サウジアラビア観光・国家遺産委員会(SCTH)が今回発表した。碑文は約2550年前のもので、5つのシンボルと長文の楔形文字が彫刻されている。この文章が何を意味しているのかは分からない。

 

この碑文は、サウジアラビア北部のハーイル地域にあるアル・ハイト(Al Hait)で発見されたという。アル・ハイトは古代世界では、ファダック(Fadak)と呼ばれていた場所で、要塞跡や岩版絵、水利施設など数多くの遺跡が残されている。SCTHの考古学者によると「紀元前1000年からイスラム時代の初期までの歴史的意義がある」ということだ。

 

さて、問題の碑文には、約26行にわたる楔形文字が記されており、サウジアラビアで発見された楔形文字の中では最も長いものと言われている。何が記されているかは分かっておらず、研究チームが目下、解読を進めているという。また、碑文の上部には、笏を持ったナボニドゥス王と見られる人物のほかに、ヘビや花、月のシンボルが描かれていた。

 

ナボニドゥス王は、メソポタミア南部にあったバビロニア建国され、地中海沿岸地域に至る広大な領土を支配した帝国である新バビロニアの最後の王である。彼の経歴は余り明らかになっておらず、彼自身は碑文の中で「自分は取るに足らない出自だ」と記しているが、相次いで王位の変わる新バビロニアの混乱を執り収めて、王座に就いている。

 

ナボニドゥスは首都バビロンの歴史に関心を持ち、自ら建築物の発掘や、発見した遺物の展示に尽力した。例えば、メソポタミアの太陽神シャマシュの神殿や、戦いの女神アヌニトゥの神殿、それから月神ナラム・シンの聖所など、史上初の発掘を指揮し、建築物の修復や年代測定までやってのけ、後代には「史上初の考古学者」として名を残した。

 

それ以外のことは謎に包まれ「王家の変人」と言われていたともいわれる。ナボニドゥスは前任の王たちより長期在位していたが、急成長していたアケメネス朝ペルシアとの戦争によって王位を奪われた。新バビロニアの歴史もそれと同時に幕を閉じ、ナボニドゥスの最期については明らかになっていない。この碑文は、ナボニドゥスの秘密を明かすのだろうか?