神話に登場する「両面宿儺」

 

投稿者は、建築関係の仕事に就いている。ある日、岩手県の古寺の解体の仕事をしていると、現場にて長い木箱を発見した。梵字らしきものが書かれたお札で封印されていたが、古くボロボロで、何が記されているかは読み取れない。かろうじて、「大正○○年○○七月○○○ノ呪法ヲモッテ、両面スクナヲ○○○二封ズ」と読めた。蓋は釘が打ちつけているため、その日はプレハブに木箱を置いておくことになった。

翌日、同僚が業者に確認したところ、古寺の元住職が「絶対に開けるな」とすごい剣幕で言ってきたというのだ。元住職が引き取りに来るとも言っていたので、投稿者はそれらの事を現場監督に伝えに行った。しかし、投稿者の会社で雇っていた中国人留学生のバイト作業員ふたりが、昨夜のうちに例の箱を勝手に開けてしまったと知らされる。そのふたりは面白半分で開けたらしいが、今は放心状態になっていた。

 

そして、箱の中に入っていたのは、頭が左右両側にふたつ、腕が左右二本ずつ合計四本、足は通常通り二本ある結合した連身シャム双生児のような奇形のミイラだった。また、一向に症状が回復しない中国人作業員ふたりは病院に送られた。それと入れ違いで元住職だという老人が息子とともにやってきて、「開けたんか!! 開けたんかこの馬鹿たれが!! 仕舞、開けたんか、もう仕舞じゃ」と喚くように言った。

 

すると、老人は息子に向かって「お前、リョウメンスクナ様をあの時、京都の○○寺(聞き取れなかった)に絶対送る言うたじゃろうが!! 送らんかったんかこのボンクラが!! 馬鹿たれが!!」と激しく叱責した。投稿者たちは、事情がまったく呑みこめず、唖然としてしましまった。そして、老人は「空けたんは誰? 病院?」と尋ねたうえで、「 その人らは、もう助からん思うけど、一応アンタらは祓ってあげるから」と話した。

 

言われるがままに、お祓いをしてもらった後、元住職は木箱を車に積み、別れ際に一言「可哀想だけど、あんたら長生きでけんよ」と囁いた。その後、箱を開けた中国人ふたりのうちひとりは、入院中の病院で突如、心筋梗塞で死亡した。もうひとりは錯乱状態に陥ったので、精神病院に転院させられた。他の解体作業員は、三人が原因不明の高熱で寝込み、投稿者も釘を足で踏み抜き五針を縫う怪我を負った。

 

そして、投稿者は元住職の息子とアポを取り、飲みに行く約束を取り付けたが、直前になって息子は「直接会って話す事は無理」と言ってきたので、「電話で話せるとこまでを話す」という条件で、話を聞けた。それによると、あのミイラは大正時代に見世物小屋に出されていた奇形の人間だという。生まれて数年は岩手の集落で暮らしていたが、生活に困窮した親が人買いに売り飛ばし、見世物小屋に流れたようだ。

 

その奇形の人間がなぜ、ミイラになったか。それは、あるカルト教団により、むりやり即身仏にさせられたというのだ。そのカルト教団は今もひっそり活動していると思われるため、その名前は教えられないと言われた。そして、その教祖は物部天獄と名乗り、外法(仏教の仏法に対し、それ以外の)しか使わない人物だという。この天獄が見世物小屋でシャム双生児を見つけ、他の奇形数名も含めて、大枚はたいて購入した。

 

そして、このシャム双生児と奇形の人間たちを用いて、蟲毒(ヘビ、ムカデ、ゲジ、カエルなどの百虫を同じ容器で飼育し、互いに共食いさせ、勝ち残ったものが神霊となるためこれを祀る)の外法を行った。奇形の彼らを密室に閉じ込めて、互いに殺し合いをさせたのだ。しかし、これは公正ではなかった。天獄はシャム双生児を気に入っており、生き残るよう他の奇形の者たちには致命傷を負わせた状態で放り込んでいた。

 

そして、生き残ったシャム双生児は別の部屋に閉じ込められ、そこで餓死させられ、防腐処理を施されて即身仏となった。この即身仏を、神話の時代に伝わる二面四腕の神にして怪物「両面宿儺」の伝説にちなみ、「リョウメンスクナ」と呼称。呪物として教団の本尊とした。さらに加えて、大和朝廷の反逆者として滅ぼされた、古代人の骨を盗むなどして入手し、その粉末もミイラの中に入れ、呪物としてより強い力を加えた。

 

こうして作り出したこの禍々しいリョウメンスクナを天獄は他人を呪い殺せる呪仏として、教団の本尊にした。天獄は大勢の人を呪い殺せる強力な呪力を宿した呪仏リョウメンスクナを作りあげたと信じていた。そして、このリョウメンスクナを使って、より多くの日本人に禍が及ぶよう「日本そのもの」を呪う対象にしていた。信じがたい話ではあるが、大正時代に起こった下記の大災害は、すべてリョウメンスクナが移動した地域らしい。

 

1914年(大正3):桜島の大噴火(負傷者 9600人)
1914年(大正3):秋田の大地震(死者 94人)
1914年(大正3):方城炭鉱の爆発(死者 687人)
1916年(大正5):函館の大火事
1917年(大正6):東日本の大水害(死者 1300人)
1917年(大正6):桐野炭鉱の爆発(死者 361人)
1922年(大正11):親不知の雪崩で列車事故(死者 130人)
そして、1923年(大正12)9月1日、関東大震災、死者・行方不明14万2千8百名

おそらく純粋な日本人ではない物部天獄は関東大震災の際、地震の直前に震源近くの相模湾沿岸近辺において、リョウメンスクナの前で日本刀を用いて喉を掻っ切って自殺した。その際、血文字で書いた遺書には、「日本滅ブベシ」と記されていた。 現在、リョウメンスクナの所在に関しては分からなくなった。元住職は「あれ以来、妙な車に後を付けられるようになった」と言っていたそうだが、今は連絡が取れなくなっているという。