福岡大学ワンダーフォーゲル同好会所属の男子学生で、リーダーのA(20)、サブリーダーのB(22)、C(19)、D(19)、E(18)の5人は1970年7月12日9時に列車で博多駅を出発し、同月14日に北海道の根室本線にある新得駅へ到着した。その日の14時30分頃、日高山脈の最北端に位置する芽室岳へ入山した。この5人グループは、そのまま芽室岳からペテガリ岳へ日高山脈を縦走する計画であった。

一行は25日午後3時20分頃、カムイエクウチカウシ山(標高1979m)の北側にある九の沢カールに到着し、テントを設営した。午後4時30過ぎ、6~7m先に一頭のヒグマが現れた。夕食後で全員がテント内にいて、ヒグマがいない九州から来た彼らは恐れることなく様子を見ていたが、やがてそのヒグマはテントに近寄り、外にあったザックを漁り、食料を食べ始めたので、隙を見てザックを回収し、全てテント内に入れた。

そして、彼らは火を炊き、ラジオの音量を最大化して、食器を叩いていると、ヒグマ食糧を諦めたのか、30分ほどで姿を消したので、荷物を取り返した。ところが、同日の午後9時頃、ヒグマの鼻息がして、再びヒグマが現れ、テントに拳大の穴を開けた。身の危険を感じた彼らは、ふたりが交替で起きて見張りを立て警戒したが、その後、ヒグマが現れることはなかった。ところが、26日の早朝、再びヒグマが現れテントを倒した。

リーダーであるAの指示でBとEが救助を呼ぶため下山を始めた。その途中で同じく登山をしていた北海学園大学や鳥取大学などのグループに遭遇したので救助要請の伝言をし、BとEは他の3人を助けるため山中へ戻った。BとEは昼ごろに合流し、5人でテントを修繕した。16時頃、寝ようとしていた彼らのもとに、件のヒグマが現れ居座ったため、一行は鳥取大学のテントへ避難するため、九ノ沢カールを出発し歩き続けた。

しかし、鳥取大学や北海学園大学のグループはヒグマ出没の一報を受け、既に避難した後だったため、仕方なく彼らは夜道を歩き続けた。不幸にもヒグマは彼らを追いかけて、午後6時30分頃、追いついたとみられる。一行も稜線から60~70m下ったところですぐ後ろにヒグマがいることに気づいて、全員が全力で駆け下りたが、時既に遅くヒグマはEに襲いかかって、絶命させた。藪の中でEの悲鳴や格闘の音がしたという。

リーダーのAが「全員集合」をかけたが、集まったのはB、Dの3人のみであった2年生のCの呼びかけに答える声は30mほど下方から聞こえていたが、彼は戻らずそのままはぐれてしまった。午後8時頃、3人は安全そうな岩場に身を寄せ、ビバークした。この頃、福岡大学ワンゲル部を案じた鳥取大のグループは焚き火をし、ホイッスルを吹くなどしてくれていたが、反応がなかったため、その後、沢沿いに下山したようだった。

仲間とはぐれたCは鳥取大学グループが残したテントに駆け込み一夜を明かしたが、27日の8時ごろにヒグマに襲われ死亡した。Cは死の直前まで、様子や心境をメモに書いていた。「下の様子は全然わからなかった。クマの音が聞こえただけである。仕方ないから今夜はここでしんぼうしよう」とあった。彼は焚き火が見えた鳥取大グループのテントに逃げ込もうと、夕暮れの中を下ったが、ヒグマに見つかり、追われる形になった。

「15㎝くらいの石を鼻を目がけて投げる。当った。クマは後さがりする。腰をおろして、オレをにらんでいた。オレはもう食われてしまうと思って…一目散に、逃げることを決め逃げる」「転びながら、後ろを振り返らず、やっと逃げ込めたテントには誰もいなかった」「なぜかシュラフに入っていると、安心感がでてきて落ちついた」「鳥取大WVが無事報告して、救助隊がくることを、祈って寝る」と、Cは生々しく書き残している。

Cは翌27日、早朝から目は覚めたようだが、「外のことが、気になるが、恐ろしいので、8時までテントの中にいることにする」彼はテントの中の飯を食べて少し落ち着いたが、客観的な状況は少しも変わっていない。「また、クマが出そうな予感がするので、またシュラフにもぐり込む。ああ、早く博多に帰りたい」と、切ない言葉が綴られている。そして、彼は午前7時、下山を決意して握り飯を作り、外に出たと思われる。

ところが、「5m上に、やはりクマがいた。とても出られないので、このままテントの中にいる」彼の絶望メモは字が乱れている。「3:00頃まで…(判読不能の文字が並ぶ)他のメンバーは、もう下山したのか。鳥取大WVは連絡してくれたのか。いつ、助けに来るのか。不安でおそろしい…またガスが濃くなって…」と、不安を書き記して途絶えている。おそらくCはひとりでテントに潜んでいるところをヒグマに襲われて亡くなった。 

27日の朝は霧が濃かった。AとB、Dの3人は午前8時から行動を開始した。岩場から下ると、目の前にヒグマが出現した。Aがクマを押しのけるように進み、そのままカールの底の方へとヒグマに追われていった。やはりAも遺体で発見されている。残ったふたりはカールを避けながら八の沢に出て、下っていった。そして、午後1時、砂防ダム工事現場に着き、車を手配された。午後6時、中札内駐在所にふたりは保護された。 

28日、十勝山岳連盟の青山義信を隊長とし、帯広警察署署員や十勝山岳連盟、猟友会などからなる救助隊が編成された。更に帯広警察署は、カムイエクウチカウシ山などの日高山脈中部の入山を禁止した。翌29日、早朝から捜索していた救助隊は14時45分ごろに八の沢カールの北側ガレ場下でふたりの遺体を発見した。遺体は福岡大学ワンダーフォーゲル同好会員によってAとEであることが確認された 。

29日16時30分頃、ヒグマは八の沢カール周辺でハンター10人の一斉射撃により射殺された。推定3歳の亜成獣の雌であった。30日には、Cの遺体も発見された。当日は雨天で足元が悪いことから遺体を下に降ろすことができず、31日17時に八の沢カールで3人の遺体は火葬された。八の沢カールには、彼らを悼む追悼の「高山に眠れる御霊安かれと挽歌も悲し八の沢」と追悼の句が記されたプレートが掲げられた。


ヒグマの事故の中で、実は登山者の死亡例はごく少なく、全体の1割にも満たない。最も多いのは狩猟中で、釣りや山菜採り、森林作業中などがこれに次いでいる。籔の中を夢中で採取する山菜採りや、音が伝わりにくい渓流釣りなどに比べ、登山者は「いきなり遭遇」する状況の事故は少ない。だが、今回のように執拗につけ回す、異常なタイプは人間には脅威である。どうしてこのヒグマは「異常なクマ」になったのか。

当時、捜索や救援に当たった地元のハンターや登山家ら9人による座談会が開かれている。そこで挙げられた要因の第一が「一度、ヒグマに奪われたザックを取り返した」という点だった。途中までは、このクマ狙いは人間ではなく、ザックとその中の食べ物だったようだ。学生たちも、身の危険を強く感じている様子ではなかった。ヒグマが積極的に攻撃してくるケースのひとつに「獲物を守ろうとする」という行動がある。

 

福岡大学パーティを襲った同種のクマ

 

たとえ、人間が所有する大事なザックであってもヒグマには、そんな理解はなく、一旦ザックを荒らして中の物を食べてしまった場合、人間が「取り返す」行動はヒグマからすると「奪われた」ことになる。福岡大グループの場合、ヒグマと人間の間でザックの行き来が何回もあり、次第にヒグマの行動がより攻撃的になってきている。そして、テントでの揉み合い合いを境に、ヒグマは人間そのものを執拗に追うようになった。

至近距離の「揉み合い」という行動を通じて、ヒグマにとって登山者が単なる「邪魔者」から「敵」に変貌していったと考えられる。遺体の状況は、かみ傷、ひっかき傷が多数あり、下腹部や大腿部がえぐられているが、射殺されたヒグマの体内から被害者の体の一部は出てこなかった。座談会の出席者は「食害が目的ではない」という点で一致している。腹を空かせて人間を「食べる」目的で襲ったという訳ではなさそうだ。

実は、同一個体と考えられるヒグマの襲撃が、事故の直前に起きている。北海岳友会のうちの5人のパーティーが、7月24日午後2時30分頃、九の沢に近い稜線上でクマに追いかけられた。岩の上によじ登って難を逃れたが、5人のうち3人のザックがこのとき奪われている。目撃されたクマは巨大なヒグマ」で、福岡大グループを襲った小柄なヒグマとは相違があるが、場所や時間からすると、同一個体の可能性は高い。

さらに事件の約1か月前、6月上旬に単独縦走に入った室蘭の会社員がカムエク山付近で行方不明になっている。証拠はないが、天候は良く、滑落などの痕跡もないことからヒグマ事故との関連も疑われた。ヒグマの攻撃がエスカレートする中で、事故は避けられなかったのだろうか。地元の登山家は「ヒグマは大声やラジオで逃げると思っていた」というが、座談会出席者は「学生たちは逃げるチャンスはいくつもあった」という。

結果論からすると、早めに下山していれば、この事故は起きなかった可能性は高い。この点に関し、福岡大の報告書は①「ザックの中にあった金銭や貴重品がないと困る」②「ザックやテントを持ち帰ろうと考えた」③「日程的には無理ではなかった」と下山しなかった事情を説明している。また、「人を襲うような凶暴な熊については知らなかった」と、適切な情報が事前に得られず、危険の予測が難しかった点を挙げている。

 

当時、現場付近にいた各登山隊のうち、北海学園大や帯広畜産大などの道内勢は比較的早く下山し、最後まで残っていたのは、福岡大と鳥取大、中央鉄道学園の道外パーティーだった。クマがいれば現場から遠ざかるというのは近年ではよく知られている対応策だ。もうひとつ、移動するときはあわてず、固まって行動するというのも重要な点だ。福岡大の一行は後方にいるヒグマに気づいて、浮き足立ちバラバラに逃げている。

 

実験によると、ヒグマの運動場にマネキン人形を吊して、正面から向きあって近づけるとクマは後ずさりするが、背を向けて逃げる姿勢にすると、いきなり飛びかかって押さえ込み、放さなかった。座談会でも「背を向けて逃げるのが一番危ない。本能的に襲ってくる」「ばったり会っても、とにかく人間同士固まって行動する」「興奮させない。石なんか投げると、返って敵と認識される」などという体験から生まれた遭遇対策が語られた。
 

また、ザックの中に物を入れるとクマは強い好奇心を示した。1~2時間も熱中し、取り上げようとすると執拗に追った。クマに追いかけられたらザックや小物を置いて時間稼ぎすることは有効だが、取り返すことは自殺行為だ。今回のヒグマは人間をつけ狙う「異常なクマ」になってしまったが、それでも「ゆっくりと後ずさりしながらクマから離れる。仲間同士は決して離れない」という基本対策は、ある程度有効だったと、考えられている。