1934年(昭和9)6月に東京府東京市渋谷区(現:東京都渋谷区)で強盗殺人、バラバラ殺人事件が発生した。世にいう「である。刑務所を出所した直後の青年が老夫婦を殺害して家財を奪った揚句、事件の隠蔽を図って被害者の遺体を寸断し、隅田川に遺棄した。被害者の老夫婦については、周囲から「ホラ吹き爺さん」「ハテナ婆さん」と呼ばれていたため、以後そう呼称する。

1934年(昭和9)6月14日、隅田川にかかる永代橋の上流で、成人男性の左手首が発見された。翌6月15日には上流の吾妻橋付近で右手首が見つかり、さらに6月18日には芝浦の海岸に左足首が打ち上げられた。これら3個の人間の断片はいずれも同一人物のものと断定された。これらは、いずれも腐敗が著しく、身元特定は悲観視されていたが、細心の注意を払った鑑識作業により指紋採取に成功した。

指紋を司法省で保管されている受刑者の指紋原紙と照合した結果、被害者は徳島県出身で窃盗の前科2犯「ホラ吹き爺さん」(当時60歳)と判明。「ホラ吹き爺さん」は結婚と離婚を繰り返した後に「ハテナ婆さん」(当時51歳)と渋谷区で所帯を持ち、おでんの屋台を引いて生活していた。「ホラ吹き爺さん」は大そうな大法螺を吹くクセがあり、「ハテナ婆さん」は首がいつも右に傾いていたがゆえのあだ名である。

6月下旬、警察が渋谷区の夫婦の家を訪ねたところ、表戸が開いたままで2人の姿はなく、室内からは家財道具が失われていた。近隣の住人や家主の証言によれば、老夫婦が姿を消した後、2人の親戚を名乗るKという若者が「借金のカタにする」と称して家財の一切を売り払ってしまったという。警察が屋内を改めたところ、襖や天井には血しぶきが散らばり、畳には染み込んだ血をふき取った痕跡が認められた。

やがて、警察のもとに家財道具の売却に関わったというバタ屋(廃品回収業者)が現れ、以下のように証言した。「6月14日の早朝、公会堂通りで鼻にアザのある男に『ボロを売ってやるからついてこい』と声をかけられました。その人についてある家に行ったところ、大量のこま切れ肉が入った石油缶を差し出された。『自分は焼鳥屋なのだが、肉を仕入れすぎて腐らせてしまった。捨てるのを手伝ってくれないか』と言われた」

そこで、その大量の肉の入った缶を車に積み、隅田川の白鬚橋まで行って、ふたりがかりで捨てたという。別れ際に鼻にアザのある男が「明日の夜も来てほしい」と言うので、バタ屋が言われたとおり訪ねたところ、遅いから泊るように勧められた。翌朝、ふたりで家にあった古着や、蚊帳、仏壇などを古道具屋に持ち込み売ろうとしたが、売れるものと売れないものがあった。バタ屋は鼻にアザのある男から手間賃をもらって別れたという。

バタ屋が語るその男の容姿は近隣住民の証言からKに酷似しており、警察はKが老夫婦を殺害して遺体を切り刻み、隅田川に捨てたと推測した。目撃者の協力を得て、鑑識課が保管していた受刑者の写真数万枚のなかから、Kが容疑者と酷似していることを特定、複製して各警察署に手配した。そして6月23日、四谷警察署伝馬派出所で勤務にあたっていたY巡査がKによく似た年恰好でかごを携えた男を発見した。

 

しかも彼の鼻にはアザがある。職務質問したところ、男は「K、23歳」と答えた。彼のかごの中には鋸、鉈、出刃包丁、手斧が収められ、それらの柄には血を拭った痕跡があった。Y巡査はKを緊急逮捕した。Kは偽名だったが、やがて本名(本名の苗字もK。当時25歳)が判った。その年の5月10日に前橋刑務所を出所したKは神奈川県平塚市で寿司屋の出前持ちとして働き始めたものの、集金した25円を持ち逃げして上京した。

 

そして偶然に入った「ホラ吹き爺さん」のおでん屋台で、景気のいい与太話を聞かされる。彼は有り金を盗む計画を立て、老夫婦に取り入って間借りの契約を取り付けることに成功する。彼は大正時代に発生した有名なバラバラ殺人事件「鈴弁殺し事件」にヒントを得て、「老夫婦を殺した後に細かく刻み、隅田川に捨てよう」と計画し、刃物を買い集めるなどして準備を整えた。6月7日夜、Kは酒を買い込み、老夫婦にご馳走した。

 

彼の真意など知らないふたりは大喜びで杯を受け、いい気持ちで床に入った。翌6月8日の午前2時、2人が熟睡していることを確認したKは、手斧で夫婦を惨殺し、その後は鋸や鉈、出刃包丁を使い肉から皮、骨、内臓に至るまで一寸刻みに切り刻んだ。途中で刃物の切れ味が鈍り始めたので新たな包丁を買い求め、14時間かけて夫婦ともどもミンチ状にした揚句、石油缶5個に収めて偶然出合ったバタ屋に捨てさせたのである。

 

しかし刃物を買い足すなどして作業を中断したため、うっかり「ホラ吹き爺さん」の両手首と足首を寸断し忘れた。ここから指紋を採取され、逮捕に至ったものである。なお、この手首は犯行前夜に「変な手つき」をして内妻を気味悪がらせ、Kに「間もなく俺に殺されるので、虫の知らせがあるらしいな」という感慨を抱かせたとの挿話があり、その手首によって捜査の突破口が開かれたことから、妙な因縁として捜査員の間で話題になった。

 

なお、「ホラ吹き爺さん」の出まかせ与太話を信じて殺人という重大犯罪に及んだKだったが、彼が手にしたのは家財を売った現金19円と通帳に残っていた残高わずか50銭のみだった。Kは同年の9月12日、東京地裁で開かれた第一回公判で「死刑にしてください」と虚勢を張った。しかし、判決が下される9月19日には恐れ慄いて出廷を拒み、大勢の看守に支えられて法廷に姿をあらわした。10月12日、死刑が執行された。