約60万年前、ヒトはふたつのグループに別れた。一方はアフリカにとどまり、「ホモ・サピエンス」つまり現生の人類である我々になった。もう一方はアフリカから抜けだしアジアへ、次いでヨーロッパへと旅立ち、「ホモ・ネアンデルターレンシス」すなわちネアンデルタール人になった。すでに絶滅したネアンデルタール人は我々の祖先ではなく、むしろ同じ時代を生きてきた兄弟に近い。

 

しかし、ネアンデルタール人とは生物学的に「兄弟に近い」と表現したが、決して両者はエデンの園のような牧歌的な楽園で、仲睦まじく暮らしたというわけではなさそうだ。人類の歴史において、領土や資源をめぐる血で血を洗う争いが現代にいたるまで綿々と続きなくなっていないように、どうやら彼らもまた激しい争いを続けてきたらしいことが最新の研究によって分かってきた。

 

「The Conversation」誌は生物学や考古学的な調査で明らかになった証拠をもとに、ネアンデルタール人は現生人類に匹敵する危険な戦士であり、10万年にも渡り我々の祖先と戦争を続けきたと解説している。ライオンやオオカミをはじめ、肉食の陸生哺乳類は縄張りをもち、群れで行動することが多い。それは我々ホモ・サピエンスやネアンデルタール人にも同様である。

 

この食物連鎖の頂点に立つ捕食者は天敵がいないために、個体数が過剰になり、狩場、すなわち縄張りをめぐる争いが生じるようになる。縄張り意識は人間の奥深くに根付いたものだ。また近縁種であるチンパンジーにも強い縄張り意識があることが知られている。チンパンジーのオスの群れはライバルの群れを襲って殺してしまうことがあるが、これは人間の戦争と同じ行動だ。

 

このことは協力して攻撃するという行為が、700万年前に存在したチンパンジーと人間の共通祖先において発達したことを示唆している。だとするならば、ネアンデルタール人もまた集団で襲いかかる傾向を受け継いでいたことだろう。忌むべき戦争行為は人類の本能的な行為だ。最近になって発明されたわけではなく、人類の本質的な一部として大昔から受け継がれてきた。

 

最古の文献は戦争の物語だらけだし、考古学的な調査によって、古代の要塞や戦争、さらには数千年前に起きた大量虐殺の痕跡が見つかっている。そうした人類共通の本能はネアンデルタール人も同様であった可能性がきわめて濃厚だ。彼らと我々の頭蓋骨や骨格の作りはよく似ているし、DNAにいたっては99.7%が共有されている。したがって、行動の点でもそっくりだ。

 

ネアンデルタール人は火を使い、死者を埋葬した。着飾り、芸術をたしなみ、石造りの神殿を建てた。こうした創造的な部分で我々とよく似ているのなら、破壊的な部分でも同じはずだ。考古学的な発見は、ネアンデルタール人が平和的でなかったことが明らかにされている。彼らは優れた狩猟民族で、槍を使ってヘラジカやバイソンを狩り、さらにはマンモスまでをも倒した。

 

また、武器を使った争いも普通に起きていたらしいことも分かっている。棍棒は原始的であっても強力な兵器で、これを頭に振り下ろされれば人間などひとたまりもない。先史時代のホモ・サピエンスの頭蓋骨には、棍棒の一撃による外傷がよく見られるが、それはネアンデルタール人も同じだ。ネアンデルタール人の骨からはこうした戦闘による痕跡がたくさん発見されている。

 

また、少なくともイラクのシャニダール洞窟で発掘されたネアンデルタール人は胸に槍の刺し傷があった。こうした外傷はネアンデルタール人の若い男性に多く、彼らはそうした傷を負った状態で死亡している。狩猟で怪我を負うこともあるだろうが、遺骨に残されている傷跡のパターンは、奇襲や待ち伏せなどが多用される部族間の小規模戦闘で負うと予測されるものと一致する。

 

ネアンデルタール人がただ戦っただけでなく、戦争が得意だったという証拠は、その縄張りからもうかがい知ることができる。そして、何より我々の祖先はネアンデルタール人と遭遇してから、すぐに相手を蹴散らすような勝利を得ることはできなかったのだ。それどころか両者は10万年にわたり血で血を洗うような壮絶な争いを続けた。その間、現生人類は世界進出を阻まれてきた。

 

なぜ我々の祖先はなかなかアフリカから旅立つことができなかったのだろうか? その理由は外部の環境が厳しかったからではない。それは、すでにアジアとヨーロッパにネアンデルタール人が進出していたからだ。人口が増加すれば、否が応でも食料を確保するための縄張り、すなわち土地が必要になる。だが、我々の祖先は何千年もネアンデルタール人に挑み、負け続けてきた。

 

武器・戦術・戦略の点においては互角だったにもかかわらずだ。おそらくネアンデルタール人には地の利があったのだろう。数千年も中東を支配してきたので、土地や季節、そこでの暮らし方といったことを熟知していた。また、筋骨逞しい彼らは接近戦では恐るべき戦闘力があったはずだ。目が大きかったので、闇の中でもよく見えたと推測される。夜討ちも得意だったに違いない。

 

ネアンデルタール人と我々ホモ・サピエンスの膠着状態が崩れた理由は研究者や学者などが諸説唱え、現在のところ定説はさだまっていない。だが、弓矢・投石機・手投げ棍棒といった、強力な遠距離武器の発明が原因だった可能性はある。あるいは、狩猟採集の技術が進歩したことで、より多くの人口を養えるようになり、数の利を得られるようになったとも考えられる。

 

だがそれでも、20万年前にアフリカを出発したホモ・サピエンスがネアンデルタール人を駆逐するために15万年の長きを要した。旧ホモ・サピエンスは一度はイスラエルやギリシャを制圧したものの、ネアンデルタール人の反撃に遭い撤退までしている。12万5000年前、現生人類であるホモ・サピエンスが最後の進軍を開始し、やがて完全な勝利を手中に収めることになる。

 

しかし、そのホモ・サピエンスの勝利は我々がよくイメージしているような能力的に優れた現生人類が圧倒的な力で旧人類であるネアンデルタール人を追い散らしたというのとは、まるで違うものだ。肉体的能力に劣るホモ・サピエンスはネアンデルタール人と15万年もの間、一進一退の攻防を繰りひろげながら、何らかの要因がホモ・サピエンスに味方し、ぎりぎり勝利したのだ。

 

【参照:エンタメウィーク】