イ・チュンジェ容疑者

 

1986年9月15日、韓国の京畿道華城郡(現在の華城市)周辺という農村地帯で当時71歳だった女性が半裸の状態で亡くなっているのが発見された。その翌月には、25歳の女性が強姦され殺害。その後も連続して若い女性が強姦され殺害される事件が発生。この事件の捜査には警察や機動隊合わせて延べ167万人以上が動員され、2万人以上の捜査対象者がいたものの、未解決事件となっている。

この事件は農村地帯の半径2㎞以内というきわめて限られた範囲で次々に行われ、「華城連続殺人事件」と呼ばれることになった。不可解なことに犯行は畑・農水路・山中のいずれかで、なぜか事件が起こるのは雨か曇りの日に限られていたという。犯人は実に猟奇的な手口で被害者女性を殺害し、その死体を無残な姿で遺棄し続けた。その犯行の残虐性から当時の韓国国民を震え上がらせたといわれている。

被害者の1人である23歳の女性は自身が持参していた傘を何度も陰部に刺されたことにより亡くなっている。別の被害者の陰部には桃の欠片が、また別の被害者にはボールペン・フォーク・スプーンなどが挿入されられていた。捜査では犯人のものと思われるB型の血液や精液が採取されていることや、髪の毛なども発見されていたことから、犯人にたどり着くのに多くの時間を要さないと思われた。

警察は目撃者の証言からプロファイリングし、2万1000人を捜索対象者として調べた。DNA鑑定は570人、毛髪鑑定は180人に実施された。3000を上回る人々にから事情を聴衆した。警察から強い嫌疑をかけられた人の中には事件に関わっていないのに、自殺を図ったものが4人もいた。こうした大規模な捜査が実施されたにも関わらず警察は、この犯人を突き止めることができなかった。

30年余りが経過し、誰もが「華城連続殺人事件」は迷宮入りしたことを疑わなくなった3019年9月、警察は事件の犯人として56歳の男イ・チュンジェを特定したと発表した。現場で採取されたDNAを最新技術で鑑定した結果、刑務所に収監中の男のDNAと一致。容疑者の実家があった華城郡台安邑陳雁里(現在の華城市陳雁洞)の集落で生まれ、20代半ばの1990年代初めまで暮らしていた。

イ・チュンジェは別の事件で釜山刑務所に収監中だった。この男は1994年、自宅を訪ねていた義妹を性的暴行の末殺害し、現在無期懲役の刑を受けている。そして、警察は同年11月、服役中のイ・チュンジェが華城連続殺人事件を含めて14件の殺人と30件余りの強姦事件について自白したことを発表した。当初は、犯行を否定していたが、DNA鑑定が一致したことを伝えられると一転して容疑を認めた。

イ・チュンジェは警察に対し、「いつかはこんな日がきて自分のやったことが明らかになると思っていた」と語ったと伝えられるが、彼は現在収監され無期懲役の刑を受けているとはいえ、自身の義妹についての殺人事件でも、警察の取り調べでは1度自白したものの、その後「警察の取り調べが厳しく虚偽の自白をした」と主張したことがあり、今回の自白についても虚偽と言い出す可能性もあり得るという。

そして被害者の無念はイ・チュンジェが自白した犯行についてはすべて2006年に時効が成立してしまったことで、その罪を問えないのは不条理である。2件目、6件目の事件はイ・チュンジェが住んでいた陳雁里の農業用水路や山野で被害者が発見された。イ・チュンジェは犯行場所から半径3キロ内に住んでいたので、当然捜査線上に浮かび警察の取り調べを受けた。警察の杜撰な捜査が批判されている。