カナダ北西部のノースウエスト準州には、3万3千平方キロメートルに及ぶ広大なナハニ国立公園があり、そこにナハニ渓谷と呼ばれる地がある。西側のユーコン準州と接するように位置するこの地区は、北緯60度を超え、本来ならば冬には厳しい寒さが訪れるはずだ。だが、ナハニ渓谷にはほとんど雪も積もらず、渓谷内の木々の葉も豊かに茂り、一年中青々としている。

 

これは、多くの温泉によって渓谷内は霧で覆われ、気温は周辺地域と比べて、十数度も高くなるからだ。事実なら、極北のオアシス、最後の秘境とも言える。実際のところ、ナハニ渓谷は壮大な大自然を味わえる魅力的な地である。近年では、ナイアガラの滝の2倍の落差を誇るヴァージニア・フォールスやオーロラの観察を目的とした観光客が訪れるようにもなってきた。

 

だが、ナハニ渓谷は交通網が整備されておらず、陸路は存在しない。現在でも川から船で行くか、空からヘリコプターで訪れるしかない。そのためか、この地を訪れる人々は極めて限られ、当地に関する噂は少々独り歩きしている面もある。この地の周辺には、オジブワ族、スレーヴ族、ドグリブ族、ストニー族、ビーバー族、チペワイアン族などの先住民たちが存在する。

 

だが、彼らはナハニ渓谷を昔から避けてきた。なぜなら、ナハニ渓谷は“未知の悪魔”が潜んでいると語り継がれているからである。その“未知の悪魔”は動物であり、人間のようでもあったらしい。その昔、この地にはナハ族と呼ばれる部族がいた。どこに住んでいたのかも不明だが、彼らは時々麓に降りては周辺の村々を襲撃し、他の部族を震え上がらせていたという。

 

「ナハ」は先住民の言葉で精神を意味するが、彼らは普通の人間よりも体が大きく、面を被り、鎧を身に付け、不思議かつ強力な武器を持ち、極めて攻撃的だった。だが、彼らはある時、突然のように地上から姿を消し、何の形跡も残していないと伝わる。その後、19世紀半ばに米国ではゴールドラッシュが始まった。そして、20世紀初頭になると金脈を探し当てた。

 

一攫千金を狙う採掘者たちの矛先はカリフォルニアから未踏破のカナダにまで広がっていった。その流れのなかで、まったく根拠がなかったにもかかわらず、ナハニ渓谷でも金が発見されると見込み、この地に白人がやってくるようになった。そのきっかけを作ると同時に、呪われた伝説を世に知らしめることになったのが、ウィリアムとフランク・マクラウド兄弟である。

 

ウィリアム・マクラウドは1905年、ナハニ渓谷から大量の良好な金の鉱石を持ち帰った。ウィリアムは多くの人に見せびらかせたものの、どこで見つけたのかについては誰にも頑なに言わなかった。そして翌年、ウィリアムは兄弟のフランクともうひとりの男を連れて再びナハニ渓谷へと向かった。しかし、それから2年が経過しても彼らは戻ってくることはなかった。

 

険しい渓谷、陥落孔、野生動物など、大自然が生み出す障害に阻まれ、のたれ死んだのだと予想された。その一方で、金鉱脈を発見して、それを誰にも教えずに暮らしているのだという噂も広がった。結局、まもなくマクラウド兄弟は、ある川のほとりで死体となって発見された。奇しくも、ふたりの体は木に縛られ、首を切られており、頭部はその場から消えていたという。

 

また一緒に行った人物も行方不明のため、この事件は人々の耳目を集めたが、警察はこの事件を殺人事件だとみていなかった。マクラウド兄弟の死体が発見された5年後、ノルウェーの探鉱者マーティン・ジョルゲンソンも金を求め、ナハニ渓谷へとやって来たひとりだ。最初、彼の渓谷での生活は順調だった。小屋を建て採掘を始め、遂にジョルゲンソンは金脈を掘り当てた。

 

ジョンゲルソンは同じく金を探しに近郊に来ていた元騎馬警官隊のプール・フィールドに、そのことを手紙で伝えた。フィールドはジョンゲルソンの小屋へ駆け付けたが、彼の姿は見当たらない。そこで当たりを捜索すると小屋から15mほど離れたところに落ちていた斧に気づく。そして、ジョルゲンソンが木々の後ろで頭部がない死体となって倒れていたところを発見した。

 

また1922年の冬、第一次世界大戦の退役軍人のジョン・オブライエンが同地区のトゥイステッド・マウンテンの近くで猟のため滞在していた。ある時、フィールドの友達のジョナス・ラファティが彼の元を立ち寄ったが、その姿は見当たらなかった。そこで、近くを探してみたところ、焚火のそばでひざまずきながら岩のように固まって凍死していたオブライエンを発見した。

 

さらに1945年には、オンタリオ州からやって来たある鉱夫は寝袋のなかで死体となって発見された。やはり彼も頭部が消えていたという。この地域に住む先住民たちはナハニ渓谷には“ワヒーラ”と呼ばれる未知の動物が存在すると語り継いできた。それは巨大なオオカミのような動物だが、我々が知るオオカミよりもはるかに大きく、全身が白く長い毛で覆われているという。

 

その姿は、1800万年も前に存在したとされるベアドッグ(熊犬)のような哺乳動物Amphicyonに酷似していたとされる。普通に考えれば、そんな古代の生物が生き残っていることなど、あり得ないと思われるが、気になることがある。それは、ナハニ渓谷が一年中、気温が比較的高く維持された陸の孤島だということだ。今日まで文明を寄せ付けず、自然はほぼ手つかずのまま。

 

そうした特殊な地であれば、太古の動物が生き続残った可能性をまったく否定することはできないのかもしれない。そして、興味深いことにワヒーラは人間の頭をもぎ取ってしまうとも先住民たちが語っているのである。常識的に考えれば、先に紹介したような事件がワヒーラやベアドッグによるものだと考えにくい。他にナハニ渓谷の怪奇現象を合理的に説明できないのだろうか。

 

現在、ナハニ国立公園には毎年800から900人が訪れている。いったい彼らのうちどのぐらいの人々が「首を斬られた男たちの谷」として語られてきたことを知っているのだろうか。実際の被害者の数は不明だが、一説には1969年までに44人がナハニ渓谷で失踪しているともいわれる。やはり、先住民たちが恐れたように、ナハニ渓谷には何かが潜んでいるのだろうか?

 

【参照:TOCANA】