マーティン一家が乗っていたシボレー

 

マーティン一家失踪事件は、米国で起きた失踪事件のなかでも特に複雑な状況によって捜査が難航したと事件いわれる。この失踪事件は1958年12月7日、米国オレゴン州ポートランドに住むマーティン一家がクリスマス用の飾り付けの材料を採集するため、日帰りでワシントン州コロンビア・リヴァー・ゴージに向かい、そこで一家全員が行方不明になった。

 

1958年12月6日、土曜日の晩、父親のケネス・マーティン(54)と、ケネスと妻であるバーバラ(48)は、知人らが主催したクリスマス・パーティーに出席したのち、米オレゴン州ポートランド、ノースウェストのローズウェーのノースウェスト57番街にある自宅に戻った。マーティン夫婦は翌日にワシントン州の田舎への日帰り旅行の計画をたてていた。

 

そして翌日の12月7日には、マーティン夫妻は娘のバーバラ(14)、スーザン(13)、ヴァージニア(11)の3人の娘たちを連れ、目的のワシントン州に向け車を発進させている。(この当時、長男の28歳のドナルドは海軍に所属しており、ニューヨークに在住していた)彼らは途中でガソリンスタンドやレストランなど立ち寄っている姿が目撃されている。

 

だが、彼らはコロンビア・リヴァー・ゴージに入り、音信不通になった。12月9日、ケネスが連絡もなく、職場に出勤しなかったことから捜索願いが出され、マーティン一家は公式に行方不明と扱いになった。マルトノマ郡とフッド・リバー郡の警察がマーティン一家の自宅を捜査すると、洗濯物が洗濯機のなかにあり、前日に使われた食器が乾燥器に残されていた。

 

つまり、マーティンの家は失踪の前と同じ状態であったし、マーティン家のいくつかの銀行口座にはかなりの額の金額が残されていた。警察は徹底した捜索を進めるものの、有力な手掛かりが得られないままだったが、1958年12月28日に車両窃盗の前科を持つ2人を逮捕した。警察は彼らをマーティン一家の失踪と何らかの関係があるとみて捜査を開始した。

 

逮捕された車泥棒の2人はマーティン一家がレストランに立ち寄った際、店内にいて辺りを覗っている様子を店員が記憶していた。しかも、マーティン一家が店を出ると、後を追うように店を出たという利用客からの情報も寄せられた。しかし、警察は逮捕された2人がマーティン一家の失踪と何らかの関係があるのかないのか、決め手を得ることは出来ていなかった。

 

そして1958年12月31日、ある男性が警察に通報して「自分はマーティン一家が乗っていたと報道されている白のシボレーと一致する乗り物が、バルドック高速道路を疾走しているのを目撃した」と告げている。この情報を受けて、警察は色めき立った。直ちに、隙間なくすべての高速道路に警戒網を張ったが、マーティン一家の車を探し出すことはできなかった。

 

その後も、様々なマーティン一家に関する情報が警察に寄せられたが、事件解決には結びつくような決定的な情報はなかったといわれる。そして、一家が失踪してから3か月後、ボランティアの捜索者がオレゴン州のザ・ダレスの崖から始まっているタイヤの痕跡を見つけ、これがマーティン一家の乗っていた車のタイヤと一致したと警察が発表し、メディアが報じた。

 

そして、1959年5月1日、ダレスから約70マイル離れたワシントン州のコロンビア川で掘削作業中のマシーンが車と接触し、次女のスーザンが発見された。その翌日には、ダレスから約46マイル離れたダムの近くで、三女のヴァージニアの死体も発見された。彼女らの頭部には銃痕があったとする専門家の意見もあったが、公式に死因は「溺死」と発表された。

 

ケネスとバーバラ、長女のバービーの遺体、及び彼らの車は発見されていない。この一家に何が起こったのか、この先も分からないだろう。マルトノマ郡警察は一家の車が崖から落ちたことを示すタイヤの痕跡の証拠にもとづいて、マーティン家の人々の失踪における不正を疑った。また、別の関係者は一家が誘拐され、崖の側面から川に無理矢理突き落とされたと推測した。