1991年8月9日、ウェストバージニア州に建つシェラトンインのマーティンズバーグの517号室のシャワー室でダニー・カソラロというジャーナリストが両手首を大きく切り裂かれて、死んでいるのが発見された。彼の家族に宛てた遺書が残されていたことから、地元の警察は、特別な捜査をすることなく「事件性はなくカソラロが自ら命を断った自殺」と断定した。

 

しかし、それまでの事の成り行きを考えれば、それほど簡単に片づけてよい事件ではなかった。なぜなら、非業の死を迎える直前のカソラロは「オクトパス(タコ)」と名づけられた強大な秘密結社の存在を解き明かそうとしていたのだ。オクトパスは独自に地球全体に張り巡らされたネットワークを駆使して、あらゆることに影響力を行使する組織だったのである。

 

カソラロのオクトパスに関わる調査は彼の死の約1年半前から始まっていた。カソラロが以前、米国家安全保障局の出身者で、ソフトウェア業界の主要人物であるウィリアム・ハミルトンという人物に接触したことが調査の発端であった。ハミルトンは米司法省から犯罪者の追跡と発見を目的とした「PROMIS」と名づけられたソフトウェアの開発を依頼されていた。

 

ところが、思わぬことからハミルトンの米司法省に対する不正水増し請求が発覚した。そして、米政府との長い法廷闘争の末、彼は敗訴した。だが、彼の敗訴によって極めて優れていたPROMISの開発は中断されることはなかった。政府内インテリジェンスコミュニティの謎に包まれた人物らによって、独自に開発が継続され、次々にバージョンアップされていった。

 

バージョンアップされたPROMISは、ハミルトンが手がけた当初のバージョンに比較して、決定的な違いがあった。それは、バージョンアップされたPROMISが親米のイスラエルや、反米強硬派のイラン含む地球の全地域において、このPROMISを利用したすべての人物を米政府が監視することを可能とするバックドアがソフトウェアの深部に埋め込まれていたのである。

 

カソラロは、こうしたPROMISの運用の裏に奇怪で強大な組織の存在を感じ取っていたのだ。その組織はオクトパスの名前の由来のように、地球上に無数の触手を張り巡らし、自在に影響力を行使していると考えられた。カソラロは調査に没頭し、驚愕の事実を知ることになった。実は、オクトパスは、政治、軍部、情報機関、大企業の有力者で構成されていたのだ。

 

彼らの繋がりは比較的緩やかで流動的であったが、オクトパスは世界に影響を与える力備えていた。カソラロが取材を進めると、世界を核戦争の瀬戸際に追いやった1962年のキューバ危機、ニクソンを辞任に追い込んだ1972年のウォーターゲート事件、270人が死亡した1988年12月のパンアメリカン航空103便爆破事件にもオクトパスの関与が疑われた。

 

その後、カソラロは長年、諜報活動の分野で働いてきたマイケル・リコノシュートという人物との接触を機会にオクトパスを求めてさらに深みへと突き進んでいった。彼の調査は驚異的なスピードで続けられた。すると、第二次世界大戦後の主要な出来事の裏側にオクトパスの存在を彼は確信するようになった。だが、彼の死によって、闇の中に葬られてしまった。

 

果たして、カソラロは自殺したのだろうか。彼は死の半日前、防衛産業におけるカソラロの情報源の1人であるウィリアム・ターナーという男性とくつろいでいた。彼は、ターナーとの会話に夢中になり、会話の内容に少し興奮していたという。また、捜査にあたった警察はカソラロがホテルの自室に戻った際も隣室の男性と他愛もない会話をしていたことを確認している。

 

この男性によれば「彼には落ち込んだ様子も、何かを心配する様子もみられなかった」と証言し、そうした印象から自殺と判断した警察の発表に疑問を呈していた。大きな疑問は、カソラロ両方の手首が深く切られていたことだ。自分で片方の手首を切ることは容易であってもその手首に深い傷を負った手で、もう片方の手首を切り裂くことは困難であり、不自然だろう。

 

しかし、カソラロが口を封じのために殺害されたとしても、彼の生涯をかけた調査結果と彼の不審な死は深い闇の底から蘇った。1996年、作家のジム・キースとケン・トーマスがカソラロの疑惑の死について「ザ・オクトパス」を著し、この秘密結社が強大な影響力を駆使して様々な事件に関与してきた事実を明らかにした。だが、ジム・キースも1999年、突然死する。