「永きにわたり韓国(朝鮮)は中国の属国だった」というと、左巻きから「日本も遣唐使とか派遣していたから同じではないか」と反論されても再反論できない人がいる。だが、日本が遣唐使を派遣していたのは、中国がそうした対外手段以外持っていなかったからであり、明治になって日本との外交関係を清は英国などとの関係と同じという認識だった。

 

逆に大和朝廷は日本に唐の使節が来れば西蛮からの朝貢使と位置づけていた。唐からの日本への使節が来ることが少なかったのは、唐の使節が来日すると、たびたびトラブルになったことから、唐はなるべく日本に使節を出さないようにしていた。また、唐は新羅や百済が日本に従属しているとみなしていたが、その従属度はそれほど高いものでなかった。

 

高句麗や百済、新羅は唐や日本に朝貢しても独立性を保った国が割拠していたが、それが唐に従属する半独立国による支配にかわったのが7世紀から8世紀だった。その辺りの経緯は割愛するが、その後の朝鮮国家は李氏朝鮮のように中国の皇帝からの任命行為が終わるまでは国王ですらなく、中国の年号を使う属国となって日清戦争までそれが続いたのだ。

 

今回は中国に対する朝鮮の隷属ぶりを、韓国人が「世界最高の文字」と主張するハングルを例にとって見てみよう。ハングルは李氏朝鮮第4代国王の世宗が作ったとされる。当時の朝鮮半島では自民族の言語である朝鮮語を表記する文字を持たず、知識層は漢字を使用していた。なぜなら誰も朝鮮語などという方言を読み書きしようと思わなかったからだ。

 

韓国では名君の呼び声の高い世宗は庶民が朝鮮語を読み書きできるよう新しい固有の文字を作ることにした。この試みは家臣や親族から「漢字(中国文字)こそ世界で唯一無二の文字であり、朝鮮民族固有の文字など有り得ない。モンゴルや日本、チベットなどが文字を持つが、これらはみな夷狄(未開の野蛮人)のなすことである」と猛烈に反発された。

 

つまり、朝鮮語などという方言の文字作りなど、贋金作りに等しいというわけだ。そういう朝鮮人の発想を「事大主義」という。「大きいものに事(つか)える」という意味である。ご主人様(中国)がお作りになった漢字という完璧な文字があるのに、贋物を作ったことをご主人様がお知りになったら我々は、どんな罰を受けるか分からないというわけだ。

 

世宗は周囲の反対に屈した。そして、世宗はハングルを文字ではなく、「訓民正音」(くんみんせいおん)の名で公布する。「訓民正音」とは庶民に正しい発音を教える記号であるからご主人様に無礼ではないという理屈だ。ハングルは15世紀半ばに作られてから400年の永きにわたり、日本が朝鮮を清から解放するまで、ただの記号でしかなかったのだ。

 

こんな属国根性が染みついた朝鮮人ではあるが、一度だけ中国に逆らったことがある。1636年、ハーン・ホンタイジが国号を清として新たに皇帝に即位し、李氏朝鮮に朝貢と明への出兵を求めた。だが、清は朝鮮族が蔑む女真族の国であったため、朝鮮の仁祖王が出兵拒絶した。ホンタイジは、ただちに兵を挙げ、朝鮮軍は成す術もなく45日で降伏した。

 

大清皇帝功徳碑

 

清は和議の条件のひとつに「大清皇帝功徳碑」を李氏朝鮮に建立させた。「大清皇帝功徳碑」には、おおよそ次のように書かれている。「愚かな朝鮮王は偉大な清国皇帝に逆らったが、清国皇帝は朝鮮王を懲らしめ、己の大罪を諭してやった。我が朝鮮は、この清国皇帝の功徳を永遠に忘れず、また清国に逆らった愚かな罪を反省するために、この石碑を建てた」

 

仁祖はこの碑を建てた三田渡の受降壇で、ホンタイジに向かって「三跪九叩頭の礼」(さんききゅうこうとうのれい)を行い、許しを乞うた。「三跪九叩頭の礼」とは「土下座して手を地面につけ、3回額を地面に打ち付ける」これを3回繰り返すので、頭を合計9回地面に打ち付けることになる。以後、朝鮮王は中国からの勅使に対し、「三跪九叩頭の礼」で迎えていた。

 

三跪九叩頭の礼4分50秒辺り