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ロアノーク植民地は現在のアメリカ、ノースカロライナ州沿岸に浮かぶ島で、16世紀後半にイギリスによるアメリカ大陸初の植民地となるはずであったが、入植民全員が失踪してしまうという極めて奇怪な事件が発生している。そのため現在でも「失われた植民地」としての名が残されている。

ロアノーク島への入植は1584年に一度失敗していたが、1587年にジョン・ホワイトが率いる約120名の入植者たちによって、2度目の植民地化が進められた。しかし、物資の不足や、悪天候に加えて近隣の現地住民であったクロアタン族との関係も平和的なものではなく、植民地としての発展は非常に困難であった。

そこでホワイトは物的・人的支援の要請のために一旦イギリスへ戻った。島には自分の家族や友人たちを残し、3か月で島へ戻ってくる予定で出発したホワイトであったが、折しもイギリスはスペインとの戦争の真っ最中であり、支援を得るどころか自身の船まで戦争のために押収され、彼が再びロアノーク島に戻ったのは3年後の1590年の8月だった。

そして、そこでホワイトが見つけたものは、完全に撤去された村の残骸だけであった。入植者は一人も存在せず、どこへ消えたかの痕跡さえ見つけることが困難で、ただ見つけられたのは砦の柱に「CROATOAN(クロアトアン)」という言葉と、近くの木に彫り付けられていた「CRO(クロ)」」という文字だけだった。

入植者たちは島を放棄する際には木に「マルタ十字」を刻む取り決めがされていたが、それも発見することはできず、どこへ消えていったかは謎のままである。仮に疫病の集団感染ならば、死体や墓の跡があるはずで、他部族からの襲撃であれば、争った痕跡が残るはずである。謎に満ちた言葉だけが残された奇怪な集団失踪であった。

ロアノーク植民地消失に関しては仮説がさまざまある。なかでも有力な仮説は彼らが地元の先住民であるクロアタン族、あるいはハッテラス族、あるいはほかのアルゴンキン族のインディアンのなかに分散し吸収されたというものである。とはいえ、彼らが先住民と同化した証拠はまだない。

そこで、この謎の失踪の真相を解明すべく、テキサス州のヒューストンのファミリーツリーDNA社が「ロアノークの失われた植民地DNAプロジェクト」によって植民地の生存者が先住民と同化したかどうかをDNA型鑑定により実証することを目指して調査を現在進めている。

これら種族の間にはかなりの比率で植民者の姓が存在している。さらにこの理論を裏付ける事実が発見されてきた。プロジェクトはできるだけ多くの子孫の所在を突き止め検証を行う予定である。これは発見された遺骸についても計画されている。続報が待たれるところだ。