
任天堂と言えば、2010年現在、ゲームソフト・ハードとも販売シェアで、日本、世界ともにトップの超優良企業だ。従業員1人あたりの売上高は、なんとあのトヨタ自動車の約5倍もある。
しかし、元々は花札・トランプの製造業営む玩具メーカーとして、出発している。任天堂では、社名の由来を「人事を尽くして天命を待つ」としているが、ギャンブル玩具のメーカーだったことから「運を“天”に“任”せる」が社名の由来と考える方が自然だと思われる。
戦前の1949年に社長の山内積良氏が急逝すると、孫の山内溥氏が22歳の若さで社長に就任した。溥氏は、娯楽産業は不況になれば、一番最初に縮小される弱い業種だと考えていた。
そこで、彼は任天堂の経営を安定させるべく、事業の多角化に乗り出した。ベビーカーを始めとする育児関連用品の製造販売やタクシー事業や文具販売などに進出した。これらの事業はノウハウ不足のため失敗するが、その中にラブホテルの経営もあった。
※写真は記事のラブホと関係はありません。
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