悟りは
ある決まった方法で
得ることはできません
何もすることが
ない時にのみ
それはやってきます
求めるものが
なくなった時
悟りを開くことが
できるのです
①悟り⭐️とは
親愛なるみなさんへ
タントラ
(シヴァの密教)では
この世界には
2種類の人がいると
いわれています
暗闇の中で生きる人と
光の中で生きる人です
この世界は
求める人は
沢山いますが
見つける人は
極僅かです
求める人は
常に過去を
気にしているので
過去から
自由になることは
できません
求めるということは
まだここにない
未来に行くことです
どうやって
見つけることが
できるでしょうか?
求めることをやめ
過去を捨て
物事が自然に起こるように
しなければならないのです
前回の私は
悟りという言葉を
2つの意味で使いました
まず無心の状態として
そしてそれ自体が
目的である
意識の究極の
開花としてです
悟りという言葉は
目を開いて意識し
警戒していること
そして目だけでなく
五感を使って
意識していることを
意味します
そして自然美や人工美
音楽・ダンス・詩など
この世に存在するあらゆる
芸術様式に対する
感性を持つことです
悟りとは
私たちの本質を
理解することです
この本性はしばしば
仏性または本来の顔と
呼ばれます
年齢・人種・性別・体型に
関係ありません
自分自身の本来の心を
認識した時
私たちは
最も尊敬されている
仏教の先生と同じように
慈悲・忍耐・知恵を
持つことが
できるようになるのです
では人はどのようにして
悟りを開くのでしょうか
ひとつの方法は
教えと修行です
ブッダは悟りには
3つの門があると
いわれました
倫理(戒律を守ること)
三昧(教えを熟考すること)
智慧(現実を理解すること)
これらの道は
私たちを
混乱や苦しみから解放し
自分らしさを保ちながら
他者と調和して
生きることができる
根本的な自由の状態へと
導いてくれるのです
悟りとは
意識の状態のことです
単なる言葉に
過ぎたせんが
最高の宗教的体験と
同義語になっているため
重要な言葉です
本当に悟りということは
毎日を悟りの境地で
生きるということです
悟りとは
一度だけ起きて
それで終わりというものでは
ありません
むしろ
自分の周りで起こること
自分の中で起こることを
慈しみを持って
判断せずに
常に意識していくことです
精神とは何か
魂とは何か
肉体とは何か
よく考えてみてください
そしてこれらの概念は
本当に別々なのでしょうか
それとも全て
相互依存関係に
あるのでしょうか?
実際には
違いがあるのでしょうか?
それとも違うという考えは
単なる認識なのでしょうか?
真実は
私たちがひとつの意識である
ということです
何の間にも
分離はありません
全てが
繋がってているのです
私たちが
分離し独立した
存在であるという考えは
まさに幻想であり
悟りとは
その幻想を打ち破って
宇宙の他の全てのものと
自分の本当の繋がりを認識し
自分の行動に
それ以上の
意味があることを
知ることなのです
第四の道では
私たちの本質は神であり
至高の存在または
偉大なる創造者とも
呼ばれる
神の輝きであると
説いています
私たちはその状態から
物理的な物質に堕ち
この世の快楽に
集中するなどの行為により
神から分離
させられているのです
私たちが
神のもとに戻るためには
自己浄化のプロセスを経て
神との生来の繋がりを
活性化する必要があります
悟りは
ある決まった方法で
得ることはできません
何もすることが
ない時にのみ
それはやってきます
求めるものが
なくなった時
悟りを開くことが
できるのです
悟りについて書かれた
あらゆる種類の本を読んでも
悟りを
得ることができない人が
沢山いますが
それは間違った方向に
求めているからです
求めているものを
まず捨てなければ
ならないのです
そうすれば
悟りは訪れます
心の中で求め続けると
悟りを先延ばしにしてしまい
決して悟りを開くことは
できません
なぜなら
心というのは
求めるものだからです
心は何かを得ようとし
存在しないものを
作り出そうとします
悟りとは
神秘的なものではなく
ごく普通のものです
自分が
この世に生きているのか
この世を超えたところに
生きているのか
自分の人生を
よく観察してください
もしあなたが
この世に生きていて
記憶や過去の経験とともに
生きているならば
あなたは輪廻の中に
生きていることになります
もし何の記憶もなく
人生の一瞬一瞬を
最初で最後の
瞬間であるかのように
生きることができれば
その状態を
悟りと呼びます
②悟り⭐️とは
へ続く
A'HO
オーロラ・レイ
銀河連邦共和国大使