色即ち心

心すなわち色

無障無碍なり


智すなわち境

境すなわち智

智すなわち理

理すなわち智


無碍自在なり


能所の二性ありといえどもすべて

能所を絶せり


かくのごとく六大法界体性所成の

身は無障無碍にして互相に

渉入相応し常住不変にして同じく

実際に住せり 


ゆえに頌に"六大無碍常瑜伽"といふ


無碍とは渉入自在の義なり


常とは不動不壊の義なり


瑜伽とは翻じて相応といふ


相応渉入はすなわちこれ即の義なり

物質は即ち心

心はすなわち物質であり

相互に無障無碍である


主観たる智は同時に客観たる

対象であり対象はすなわち同時に

智・主観でもある


主観たる智はすなわち客観たる

道理であり


道理はすなわち主観たる智である


このように地水火風空識の

六大により造られている

宇宙そのものよりなる身体は

全てとの間で無障無碍であり


永久不変であり


そのままで真実究極の姿である


それゆえに

"宇宙の命である六大は相互に

遮るものはなく永遠に結びついて

おり融合している"

というのである


遮るものはなく

"六大"が自由自在に

相互に交渉しあうということであり

"常@とは動かない

壊れない等の意味である


"瑜伽"とは漢語で相応というが

相応渉入とは即身成仏の"即"の

意味になる