昨日は、「出石そば」で有名な兵庫県豊岡市の出石(いずし)へ行ってきました。
老人会の日帰りバス旅行です。
永楽館は、昨年大ヒットした映画『国宝』のロケ地としても知られています。
見てみたい♪
そして舞台の下には、「奈落」と呼ばれる空間がありました。
昨日は、「出石そば」で有名な兵庫県豊岡市の出石(いずし)へ行ってきました。
老人会の日帰りバス旅行です。
永楽館は、昨年大ヒットした映画『国宝』のロケ地としても知られています。
そして舞台の下には、「奈落」と呼ばれる空間がありました。
毎週水曜日は、日曜日の主日礼拝のメッセージをお届けしています。
今週は、「真の生き方を教える」詩篇37篇から、この世の「悪」に対する神さまの教えを思い巡らしてみました。
戦争や暴力のニュースが絶えない時代だからこそ、神さまは私たちにどのような道を示しておられるのかを考えてみました。
あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ、
主はそれをな しとげ、 あなたの義を光のように明らかにし、あなたの正しいことを真昼のように明らかにされる。
主の前にもだし、耐え忍びて主を待ち望め。(5~7節)
「悪を行う者のゆえに心を悩ますな」(1 節)
「悩ます」という言葉は、「怒る」「憤る」という意味の言葉です。
今、この世界、この社会の現実を見ると、私たちの心は怒りや悲しみで揺 さぶられます。
戦争、暴力、殺人、権力による 支配。また、不正がまかり通り、誠実な人が苦しんでいます。
あまりにも悲惨な現実があります。昔も今も理 不尽なことが起こっています。
正義の怒り、 義憤が沸いてくるのです。
けれども、その心を抑えなさい、というのです。
私たちはしばしば、悪に対して怒り、同じ方法で戦いたくなります。
「やら れたら、やりかえせ」「目には目を、歯には歯を」と、応酬したくなります。
しかし今日の詩篇のみ言葉は、人間のそのような心の動きを見抜きながら、怒るな、 憤るな、「主に委ねよ」と語ります。
それは単なる「楽観主義」ではありません。また、現実逃避でもありません。
でも、最善の道があるというのです。
「主に信頼して善を行え、あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ」(3.5 節抜粋)
「ゆだねる」とは、「転がす」という意味の言葉です。その成り行きを、 神さまに託すことです。
暴力に暴力で応じない。憎しみに憎しみで応じない。これが、聖書の伝える神さまの教え です。
「自分で復讐をしないで、神の怒りに任せなさい。なぜなら主は言われる『復讐はわたしのすることである。』」(ローマ人への手紙12:19)
悪に歯向かわない―それは弱さではありません。神さまが公平な裁き主であることを信じる者の、正しく勇気ある選択です。
イエスさまは、「敵を愛しなさい」と教えられました。またゲツセマネで捕 らえられた時、弟子が剣を抜くと、「剣を取る者はみな剣で滅びる」と言われ ました。
「悪を行う者は立ち滅ぼされ、主を待ち望む者は国を継ぐからである。
主は公義を愛し、その聖徒たちを見捨てられない」(9.28 節)
これは、単なる楽観論ではあり ません。その根拠は、神ご自身にあります。
神さまは「公義を愛し」―万民にとっての正義を行われる方です。また同時に、慈しみと愛に満ち た方です。
この神さまに信頼を置き、すべての成り行きをゆだねるのです。
神さまは、愛と正義をともに持つ神です。悪を決してそのままにしてはおかれない方です。
そのことを最もはっきり示したのが十字架です。
十字架には、罪に対する神の毅然とした態度が現れています。 悪である罪を、そのままにはしておかれないのです。
十字架には、自分の罪にも気づかず、なおさらその罪を取り除くこともできない人間を救おうとす る、神さまの愛が現れています。
十字架で処刑されたイエスさまがよみがえられた―復活によって、この神 さまの正義と愛とが、最後には勝利することが示されました。
「悪しき者は剣を抜き、弓を張って、貧しい者を倒し、直く歩む者を殺そうとする。
しかしその剣はおのが胸を刺し、その弓は折られる。」(14.15 節)
この世の現実を見ると、剣を取り、武 力で、悪に戦わなくてはと思ってしまうことがあります。
実に、人はそれぞれ「自分の正義」を掲げて剣を抜きます。今なお続く戦争も、そのような人間の現実を映し出しています。
しかし聖書が示すのは、人間の正義ではなく、神の義に信頼する道です。
十二弟子の中には、熱心党のシモンがいました。イエスさまと出会う前は、武 力によってローマ帝国からの解放を望んでいた人物です。
しかし彼は、イエスさまに従う道へと導かれました。武力による解放ではなく、神さまの愛と正義に信頼する道を歩ん だのです。
私たちは今、先の見えない不安な時代を歩んでいます。世界が分断されています。「敵」と戦わなければならないと思わされています。
けれども、全世界を造られた神さまは、ご自分の正義を全うされます。
「主を待ち望め。その道を守れ」(34節)
私たちは、イエスさまが世界の悪を滅ぼす審判者として再び来られることを 信じ、正しい裁きを神さまに委ねながら、祈りをもって平和を造り出す道を歩 みたいと思います。
【黙想・祈り】
いつくしみ深い、天の父よ。この世界をご覧になって、あなたが心を痛め ていることを知っております。どうか、あなたの子どもたちが、憎しみ合 ったり、対立して戦うことの愚かしさに気づき、戦争をやめることができ ますように。
あなたが、力をもって介入される時までに、私たちが悔い改 め、和解と平和の道を歩むことができるように導いてください。
御子、イエスさまの御名によって祈ります。アーメン。
長く、また重いテーマの話をお読みくださり、ありがとうございました。
人類の知恵が、やがて自滅していく道ではなく、共に平和に生きられる道を見出すことができますように。
聖書によって、平和の道はすでに示されているのですから。
昨日は「沖縄慰霊の日」でした。悲惨な戦争を体験された方の「戦争はぜったいにいけない」という言葉の重みを、あらためて心に刻みました。
私たち一人ひとりが、平和をつくる者として歩むことができますように![]()
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notoにも同じ記事を載せています
ヘタな歌を詠みました。
ヤギ汁が大好物と笑み浮かべ彼はのどけし島を語りぬ
沖縄が大好きで、年に数回は写真を撮りにいく青年といっしょに、神戸の沖縄料理屋さんで食事したときのことです。
沖縄料理は、どれもこれも美味しかったです。
緩急ある川の流れ……なんだか、人生にも似ている気がしました。
忙しく過ぎていく日もあれば、立ち止まってしまう日もあります。
一日はあっという間に過ぎてしまうのに、心の時間だけは止まったまま、ぼんやりしていることもあります。
ブログのテーマソングです。よろしければお聴きください。
わたしたちの教会の週報に掲載しているコラム「からし種」です。
イエス・キリストが知らせてくださった「からし種のような小さな神の国」を、日々の生活の中で見つけた驚きと喜びを綴っています。
世界で起きている戦争が長期化しています。けれども今日は夏至。昼が一番長い日です。
きっと希望の光は消えていない――そう信じて歩みたいと思います。
今回は少し重いテーマですが、よろしければ最後に添えた歌もお聴きください♪
今日は、礼拝後に映画「ボンへッファー」をDVDで鑑賞する。
ボンへッファーは、第二次世界大戦下、ヒトラー政権に抵抗して処刑された牧師だ。
キリスト者として国家や社会とどのように向き合うべきか、考える機会になればと思う。
わが国でも戦時中は、国民が一丸となるための「同じ土俵」づくりが行われた。
人々は自由に意見を語ることが難しくなり、時代の空気にのみ込まれていった。「戦争反対」も心の中で叫ぶしかなかったという。
しかし、新憲法によって思想・信条の自由が保障され、「是は是、非は非」と良心に従って語ることができるようになった。
けれども、「善と悪」を分ける基準はどこにあるのだろう。
後の時代に希望を示し、恥じない選択ができるよう、真理の御霊の導きを祈りたい。
キリスト教の世界では、ボンヘッファーはよく知られた牧師ですが、ご存じない方も多いかもしれません。
フリードリヒ・ボンヘッファー(1906-1945)は、第二次世界大戦下でナチス政権に抵抗し、ヒトラーの暗殺計画に加担して処刑された牧師です。
キリスト教会にも、この世の力と妥協せざるを得ないと思われた事情がありました。
そして、今の時代も、教会はどのように立ち続けるかが問われています。
「あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ心を新たにすることによって、造り変えられ、
何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。」(ローマ人への手紙12:2)
かと言って、命掛けで抵抗することは―その時になってみないとわかりませんが―
根性がないので、できる自信がありません![]()
けれども、二度とそのような時代になりませんように。ただ、祈るばかりです。
明るい太陽の下で、希望の光を胸いっぱいに受けて、イエスさまが切り開いてくださった平和への道を歩み出したいと思います![]()
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ブログ「からし種と空の鳥」の歌です。よろしければお聴きください。
notoにも同じ記事を載せています
神さまの めぐみの雨が
ふる
みんなの いのちを
そだてるよ ♪
でも、雨は、降らなくても、降りすぎても困ります。
サボテンは雨が苦手です。お水をあげすぎると腐ってしまいます。
この子は、お正月に買った「花の福袋」に入っていたサボテンです。
お水のやりすぎに気をつけていたら、赤ちゃんができました![]()
キッチンで水耕栽培しているアボカドは、お水だけでぐんぐん育っています。
大きくなったアボカドは、植木鉢に移してあげます。
今、庭で3本のアボカドが育っています。やはり、お水しかあげていませんが![]()
明日は主の日、礼拝の日です。
神さまの恵みに感謝して礼拝を捧げます。
6月21日(日)の礼拝
午前11時~12時
聖書:詩篇37篇1~40節
メッセージ:「神を待ち望め―主に信頼して歩む道―」
昨日、ご近所のお友だちが「街の防災設備を見に行く」お散歩会をするから、一緒にどう?と誘ってくださいました。
日頃あまり歩いていなかったので、喜んで参加しました。
地域の自治会で防災を担当している方が、地図まで用意して道案内をしてくださいました。もちろん、まったくのボランティアです。
写真がいっぱいになってしまいましたが、少しでも様子をお伝えしたいと思います。
朝9時、公園に集合。
まず教えていただいたのは、身近な公園にも危険な場所があるということでした。
木の根によって舗装が持ち上がり、道ががたがたになっています。
白い夾竹桃の花も咲いていました。きれいだなあと見ていたら、「これは毒があるのよ」と教えていただき、驚きました。
普段何気なく通っている場所にも、災害に備えるための設備がたくさんあることを初めて知りました。
皆さんが大切にしている「新堀川」。教会のすぐそばにあります。
ここには取水施設が整備されていて、災害時に水を確保できるようになっています。
川へ降りる階段もあり、カモのカップルが静かに過ごしていました。
公園には井戸もありました。
阪神淡路大震災の後、地域の方が自費で掘られたものだそうです。
その後、市に寄贈されましたが、安全に使えるよう維持管理するのは大変なことだと伺いました。
こうして見えないところで、多くの方が地域のために備えてくださっていることを知り、少し安心した気持ちになりました。
一番の防災は、ご近所の方とのつながりなのだと思いました。
教会も、大雨などで水があふれた時には、避難場所として使っていただくことにしています。三階と屋上があります。
そのためにも、まず部屋を片付けなければなりませんが……![]()
誰もが命を守れるように、それぞれにできることを協力していけたらと思います。
教会も、地域の方にとって小さな憩いの場所となれますように。
参加された方のお宅では、こんなものも見せていただきました。
毎週水曜日は、日曜日の主日礼拝のメッセージをお届けしています。
今週は、イエスさまとニコデモという人の対話を通して、聖霊に導かれて生きるという ことを考えてみました。
「よくよくあなたに言っておく。だれでも、水と霊とから生れなければ、神の国にはいることはできない。
肉から生れる者は肉であり、霊から生れる者は霊である。
あなたがたは新しく生れなければならないと、わたしが言ったからとて、不思議に思うには及ばない。
風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない。霊から生れる者もみな、それと同じである」。(5~8節)
パリサイ人のひとりで、その名をニコデモというユダヤ人の指導者があった。この人が夜イエスのもとにきて言った、
「先生、わたしたちはあなたが神からこられた教師であることを知っています。神がご一緒でないなら、あなたがなさっておられるようなしるしは、だれにもできはしません」。(1.2節)
ニコデモは、ユダヤ人の指導者―宗教生活を導く議員―でした。けれども、どこかに「満たされない思い」や「真理を求める思い」があったのではないでしょうか。
彼はイエスさまの行われたしるしの中に、神の働きを見ていました。そして、 その教えの真意を知りたいと願って、人目をはばかって夜にイエスさまのところを訪ねたのです。
私たちもまた、人生の中で失敗や後悔、思いどおりにならなかった出来事を 抱えながら、それでも新しい一歩を踏み出したいと願っています。
「もうこれ でいいや」「人間は変わらない」―そう思ってしまうと、もう成長はストップ してしまいます。 人間は、いくつになっても神に向かって成長することができる存在です。
ニコデモの勇気ある一歩が、彼の人生を変えることになります。
イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれな ければ、神の国を見ることはできない。」
ニコデモは言った。「年をとった者が、どうして生まれることができましょ う。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。
イエスはお答えになった。「はっきり言っておくでも水と霊とによって生ま れなければ、神の国に入ることはできない。」(3~5節)
イエスさまは、新しく生まれるという意味を彼に伝えます。
ここで語られている「水」は清めを、「霊」は新しい命を与える神の働きを 表しています。
残念ながら、人は自分の努力や決意だけでは本当に変わることはできません。それを聖書が教えています。
水で身を清めても、あらゆる修行をしたとしても、神さまの目から見る「汚れ」は 取り除かれません。
イエスさまが語られたのは、輪廻転生のような生まれ変わりではありません。
イエスさまは、神さまが与えてくださる聖霊が、私たちを清め、新しい命を与え、神のみ心に かなう新しい歩みを始めることができることを教えられたのでした。
神の国に入ることができる のは、自分が立派な生き方をするからではなく、神が与えてくださる聖霊によ って新しくされて、神の国の民とされていくのです。
するとニコデモは、「どうして、そんなことがありえましょうか」と言っ た。 イエスは答えて言われた。「あなたはイスラエルの教師でありなが ら、こんなことが分からないのか。 (9.10節()
イエスさまの言葉の背景には、預言者エゼキエルの預言があります。ニコ デモも、この神の言葉を知っていたはずです。
*エゼキエル 36:25.26
わたしは清い水をあなたがたに注いで、すべての汚れから清め、またあなたが たを、すべての偶像から清める。
わたしは新しい心をあなたがたに与え、新し い霊をあなたがたの内に授け、あなたがたの肉から、石の心を除いて、肉の心を 与える。
神さまは、人間が律法を完全に守り、人間が罪なき者、立派になることを求 められたのではありません。ご自分の民、イスラエルでさえも、それができないことをご存じだったのです。
そして、神よりもこの世の力―富や武力―と求めて生きて、失敗してきたのです。
そこで、神ご自身が清い水―すなわち聖霊を注ぎ、人を清 め、新しい心を与えると約束されていたのです。
聖霊によって、あなたは神の国で生きられるように、新しく生まれることができるのだ、と。
しかし、ニコデ モは、目に見えない神の働き、聖霊の働きが今一つわかりません。
そこでイエスさまは聖霊を「風」にたとえてお話くださいました。
「風は思いのままに吹く。」
風は目に見えません。しかし、その存在は確かです。木の葉を揺らし、雲を 動かし、その働きを現します。
聖霊も同じです。私たちは聖霊を見ることはできません。しかし聖霊は人の 心に働き、慰め、励まし、新しい希望を与えます。
また風が人間の思いどおりにならないように、聖霊も神の自由なみこころ によって働かれます。
年齢や性別、国籍や身分、学歴や能力によって制限され ることはありません。 そして、聖霊の恵みは、特定の民族や国、人種に限られるものではありませ ん。
神はすべての人を愛し、すべての人に新しい命を与えようとしておられる のです。
*エゼキエル書 36:27
わたしはまたわが霊をあなたがたのうちに置いて、わが定めに歩ませ、わが おきてを守ってこれを行わせる。
ヨハネ福音書の後半に、ニコデモは再び登場します。彼はイエスさまを不当 に裁こうとする人々の前で弁護し(7:50)、さらにイエスさまが十字架にかかられた後には、アリマタヤ のヨセフと共にその御身体の葬りを行いました。(19:39)
かつて夜にひそかにイエスを訪ねた人が、もはやユダヤ人を恐れることな く、堂々と主に従う者へと変えられていたのです。
ニコデモの姿に、イエスさまがお語りくださった聖霊の働きによる変化を見るこ とができます。
神さまは、今も人を新しく創造してくださいます。それはニコデモが言った ように、もう一度生まれ変わって人生をやりなおすというのではありません。
何歳になっていても、どのような過去を背負っていても、聖霊が私たちに新 しい心と新しい命を与えてくださいます。
私たちはしばしば、自分も人のことも「もう変われない」「もう遅い」「もう だめだ」と考えてしまいます。しかし神には遅すぎることはありません。
聖霊は今も自由に働き、人を新しくし、神の子として生かしてくださいます。
私たちもまた、聖霊によって日々新たにされ、過去に縛られることなく、神さ まに向かって成長する者として歩んでいきたいと思います。
【黙想・祈り】
父なる神さま。私たちを、聖霊によってあなたの真理に導き、あなたのみ心に かなう歩みをさせてください。どうか、あなたに向かって日々新たに生きるこ とができますように。そして、すべての人が、あなたに向かって生きる者とさ れ、神の国が実現しますように。 御子イエスさまのみ名によって祈ります。 アーメン。
長いメッセージをお読みくださり、ありがとうございました。
目に見えない神さま―聖霊―は、そのお働きによって知ることができます。
人生の中で、「これは神さまの導きだったのかもしれない」と思う出来事に出会うことがあります。
けれども、聖書は「霊を見分けなさい」とも教えています。
神さまからの霊は、私たちを神さまへと導き、人を愛し、赦し、共に生きる喜びへと導きます。
一方で、自分だけを高くし、人を裁き、分断しようとする思いは、神さまのみ心とは反対のものです。(悪しき霊があると、聖書は教えます)
聖霊は、私たちに「あなたは神さまに大切に愛されている」という確かな安心(究極の自己肯定
)を与え、愛と平和の実を結ばせてくださいます。
そして、その恵みをくださる神さまを心から賛美させてくださるのです。
聖霊に導かれながら、神さまの恵みを歌いつつ歩んでいきたいと思います![]()
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notoにも同じ記事を載せています。
やはり朝は、何とも言えない、神さまをいちばん身近に感じる時間です。
皆さまにとって、今日がよい一日でありますように!