そして彼らに言われた、「わたしが財布も袋もくつも持たせずにあなたがたをつかわしたとき、何かこまったことがあったか」。彼らは、「いいえ、何もありませんでした」と答えた。
そこで言われた、「しかし今は、財布のあるものは、それを持って行け。袋も同様に持って行け。また、つるぎのない者は、自分の上着を売って、それを買うがよい。
弟子たちが言った、「主よ、ごらんなさい、ここにつるぎが二振りございます」。イエスは言われた、「それでよい」。(35.36.38節)
1.つるぎを買いなさい?
今日は「平和聖日」です。世界の戦争がやみません。だんだん、きな臭い空気が日本を覆ってきました。
憲法9条があるとはいえ、武器の所有についてはさまざまな意見があります。「もし日本が攻められたらどうするのか」「平和を守るためにも、武器が必要なのではないか」という考えもあります。
今も、武器によって命が奪われています。しかし、その武器がなければ自分たちを守れない、と考えている人々がいます。
今日のイエスさまのお言葉は、ともすれば「武器が必要だ」と言っているように聞こえるかもしれません。
イエスさまが考えておられる平和とは、果たして武器によるものなのか、それを考えてみたいと思います。
2.やはり武器がいるのか?
以前、イエスさまは、選ばれた72人の弟子たちを、財布も袋もくつも持たせずに伝道に遣わされました。
イエスさまはこの時、弟子たちに「小羊をおおかみの中に送るようなものだ」と言われました。剣はおろか、何も持たせずに遣わされましたが、弟子たちは伝道の成果をあげることができました。(10章)
しかし、イエスさまは言われます。「しかし今は……。」
イエスさまは間もなく捕らえられ、十字架につけられます。そして弟子たちも、厳しい迫害の時代を歩むことになります。
だから、これまでのように、人々の施しや好意だけに頼って旅をすることはできなくなる。自分たちで備えなければならない時が来る。その覚悟を、弟子たちに語らなければなりませんでした。
弟子たちは、これまでイエスさまと共に歩み、人々に迎えられて伝道することができました。
しかし、イエスさまが捕らえられ、十字架につけられるという厳しい現実に直面します。弟子たち自身も、迫害の中を歩むことになります。
その時、頼れる物は何か。
この世界には悪があります。暴力があります。残念ながら、傷つけられれば傷つけ返す、やられたらやり返すという「報復」を考えてしまうのが、この世の現実です。
「しかしわたしは言う、敵を愛し、右の頬をたたかれたらほかの頬を向けなさい」というイエスさまの教え(マタイ5:38)は忘れ去られ、あるいは、しまい込まれてしまっています。
「主よ、ごらんなさい、ここに剣が二振りございます」
イエスは言われた、「それでよい」。(38節)
イエスさまは、「それでよい」と答えられました。
この「それでよい」という言葉は、「二振りあれば十分だ」とも読めます。しかし、十二人の弟子がこれから武器を持って戦うのであれば、剣が二振りで十分なはずはありません。
そのため、この言葉は、「もう十分だ」「この話はこれまでにしよう」
という意味ではないかとも考えられています。
「それでよい」と言われたイエスさまのお言葉とお心を、もう少し考えてみたいと思います。
3.「剣をとる者はみな、剣で滅びる」
この後、イエスさまを捕らえるために人々がやって来ました。(47節~)その時、弟子たちは言います。
「主よ、つるぎで切りつけてやりましょうか。」(49節)
そして一人の弟子が剣を抜き、大祭司の僕の右の耳を切り落としてしまいました。「剣を買え」という言葉を、弟子は文字どおり実行したとも言えるでしょう。
しかしイエスさまは、「それだけでやめなさい」と言われ、傷ついた人の耳に触れて、いやされました。
このときのことを、マタイはこのように伝えています。
「あなたの剣(けん)をもとの所におさめなさい。剣をとる者はみな、剣で滅びる。それとも、わたしが父に願って、天の使たちを十二軍団以上も、今つかわしていただくことができないと、あなたは思うのか。」(マタイ26:52.53)
もしイエスさまが、武力によってご自分を守ろうとされたのであれば、その力をお持ちでした。
しかしイエスさまは、神さまの御計画通りに、捕えられ、十字架の道を歩まれます。
これが、イエスさまを通して成し遂げられる、悪と敵意に対する神さまの御計画でした。
このことを、はっきりと聖書は伝えています。
「その十字架の血によって平和をつくり」(コロサイ1:20)
「キリストはわたしたちの平和である」(エペソ2:14)
イエスさまの十字架によって、ゆるしと和解の道が開かれ、平和がもたらされたというのです。
4.つるぎを打ちかえて、平和をつくる
「彼らはそのつるぎを打ちかえて、すきとし、そのやりを打ちかえて、かまとし、国は国にむかって、つるぎをあげず、彼らはもはや戦いのことを学ばない。」(イザヤ2:4)
神さまのみ心を伝えた、預言者イザヤの言葉です。
剣をすきに。槍をかまに。―人の命を奪うものを、命を育てるものへとつくり変えていく。
これが、神さまがイザヤに見せられた平和の世界です。
2014年のノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイさんは、タリバンの銃撃によって、大けがをしました。
2013年、国連での演説でマララさんは語りました。
「自分を撃った人が目の前にいて、自分の手に銃があったとしても、私は発砲しないでしょう。」
そして、多くの銃を見たからこそ、「ペンと本の力」に気づいたと言います。
「剣ではなく、ペンを」。
そして私たちにも、「書かれた言葉」が与えられています。
敵を愛しなさい。互いに赦し合いなさい。平和をつくる者は幸いである。悪に悪を返してはならない。
イエスさまの言葉こそが、武器によらない私たちの力です。
そして、「剣」は、人を傷つけ、あやめる剣だけではありません。
人を傷つける言葉。相手を切り捨てる言葉。「やり返せ」「倍返し」という思い。そして、自分だけが正しいとする心。
そんな「剣」を、私たち自身が握っていることはないか、振り返りたいと思います。
最後に、もう一度イエスさまが言われた「それでよい」という言葉を思い巡らしてみます。
「それでよい。」――そんな私たちに、イエスさまは言われるのではないでしょうか。
「私は十字架によって、平和への道を開いた。もう、剣から手を離してよい。いつまで、その剣を握っているのか」。
そのように、語りかけられているように思います。
「主はその道をわれわれに教えられる、われわれはその道に歩もう」
「さあ、われわれは主の光に歩もう」(イザヤ書2:3.5)
自分の握っている「つるぎ」を打ち換え、命を育てる「すき」へ。
傷つける言葉を、いたわる言葉へ。憎しみを、ゆるしへ。争いを、和解へ。
剣ではなく、神のみ言葉に聞き、十字架の道を歩みながら、平和をつくり出す者となりたいと思います。
【黙想・祈り】
愛の神さま。この世界は、お金の力と武器で戦っています。しかし、私たちはあなたのみ言葉に寄り頼みます。
敗北に見えるかもしれません。けれども、これがあなたの願う勝利への道であることを信じます。
どうか今、戦禍のただ中にいる方々の命をお守りください。愚かしい戦争が早く終わり、二度と武器をもって戦うことのない世界をもたらしてください。
そして、私たちを、平和をつくり出す者として導いてください。
イエスさまの御名によって祈ります。アーメン