からし種と空の鳥

からし種と空の鳥

日本キリスト教団 
西宮聖光教会の牧師が書いているブログです。
兵庫県西宮市にある小さな教会です。

どうぞ、休憩していってください。
小さな教会の小さな牧師が綴っているブログです。
聖書のみ言葉を通して、元気と希望をお届けしたいと願っています🌱

西宮市で行っている「介護予防サポーター養成講座」というのに行ってきました。

 


健康づくりのために取り組んでいる「西宮いきいき体操」の体操の実技や講義、またグループ運営のお話でした。

 

 

会の方に勧められて、仕方なく参加したのですが、なかなか楽しかったです爆  笑


初対面の方でも打ち解けられ、皆さんが楽しく参加できるような工夫を教えていただきました。

 

 

6人でグループになって、手遊びやゲームをしたり、お話をしたりしました。

 

盛りだくさんの内容で、すっかり忘れてしまったのですが、一つだけ覚えていることを‥‥‥

 

 

「1分間で『好きなこと』をお話ししてください」という時間がありました。

 

 

え?急に言われても思い浮かびません。

 

 

隣りの男性は、「車」と言っていました。毎日ピカピカに磨いて、車の中は「土足厳禁」。トヨタの○○という年代物の車だそうです。

 

へ~え!

 

 

 

他の男性は、「お花の家元」だそうで。お父さんが亡くなられて、最近後を継がれたのだとか。

 

へ~え!

 

 

隣りの女性は、「テレビ!」テレビっ子、わかります。田舎の姉を思い出しました。


その隣の女性は、「体操」。体操を始めて10キロもやせられたそうです。すごいなあ~。

 

 

そして、またその隣の女性は

「なにもありません。食べて寝るのが好き!」

 

 

あ~私とおんなじだ!

 

 

私が最後だったので、パクってお話しました。

 

「私の好きなことは、独り暮らしなので残り物で創作料理を作ることです」←カッコいい事言っている爆  笑

 

 

シフォンケーキとマーマレード、ホイップクリーム


 

シフォンケーキを一切れいただいたので、オリジナルの飾りつけ。

 

マーマレードとホイップクリームを添えました音符

 

 

シフォンケーキとマーマレード、ホイップ

 

こちらが、まねっこしたケーキです↑

 

 

シフォンケーキとマーマレード、ホイップクリーム

 

あんこたっぷりと思って買ったアンパン。

あれ?中がスカスカでした。

 

あんこたっぷりアンパン

 


中の空洞にチーズをはさんで食べました。いと美味し♪照れ

 

お豆腐米粉お好み焼きとヨーグルト

 


お豆腐と米粉で作ったお好み焼き。これは本当においしいです。

 

お豆腐米粉お好み焼き

 


手作りヨーグルトと、庭でとれたイチゴ目がハート

調理とは言えませんが、ヨーグルトは10年近く前の種から続いています。

 

 

手作りヨーグルトとイチゴ
 

 

 

オニオン焼き。教区で行われたフェスティバルで教えてもらったものです。

 

輪切りの玉ねぎに、オリジナルの粉(片栗粉+オールスパイス+塩)をつけてオリーブオイルで焼きます。

 

思いつきで、卵を足してみましたよだれ

 

輪切り玉ねぎのオムライス

 

 

一応、オムライス。愛餐会の残りのチキンライスで作りました。


愛餐会の残りはお持ち帰りにするか、牧師の夕食になります。

 

お赤飯に合う副菜、チキンライス

 

 

お赤飯を作ってみました。お赤飯に合う副菜が思いつかなかったので、シラスを載せたお豆腐にしました。

 

牧師の夕食:お赤飯、シラス、豆腐

 

 
 

 

こうしてみると、大したもの作っていなかったです。

 

だけど、冷蔵庫にあるもので、あれこれ作っています。

 

料理というほどのものではありませんが、ちょっと工夫するのが楽しいのです♪

 

 

 

あんこたっぷりアンパン、AIが作っています

 

 

 

もう一つ、「好きなこと」をお話させていただきました。

 

「詞を書いて、歌を作っているんです。曲はAIに作ってもらうんですけど」

皆さんに「へ~え!」って言っていただきました爆  笑

 

 

「だからわたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。」(コリント人への第二の手紙4:16)

 

 

よろしければお聴きください。このブログのテーマソングです。

 

 

 

 

 

人生の雨の日も晴れの日も、イエスさまと共に、一日一日を大切に生きていきたいなあと思いましたハートニコニコルンルン

 
イエスさま、雨の日も一日を大切に生きていきたい
 

 

 

 

先日アップしたブロブの「愛餐会」の写真ですが‥‥‥
 

ブロブ「愛餐会」のビュッフェケーキ


カツサンドの切り口(断面)が今一つでした ショボーン
 

ブロブ「愛餐会」のサンド

 

カツが、細切れになってしまってちょっと悲しかったです悲しい

 

ブロブ「愛餐会」のサンド

 

 

シャインマスカットのサンドイッチも、切り口が今一つでした……

 

 

愛餐会 ブロブの料理

 

 

 

周りにマスカットを置いてごまかしましたが、センスなさすぎ! ニコニコ

 

 

切り分けた時、包丁がブドウの粒にあたらなかったのです。


 

ブロブ「愛餐会」の料理



サンドイッチは、断面が命だと思うのです。

 

 

シャインマスカットのサンドイッチ断面

 

 

切る前に、見えない中身を想像するのが難しいのです。

 

ビスコを並べて、どうしたら断面が美しくなるのかを研究中ニコニコ

 

 

断面のカツサンドとビスコ

 

 

 

認知機能が低下すると、立方体を模写することが難しくなる場合があるそうです。

 

 

こんな研究もあります。

 


 

目に見えているのは、物事のほんの一面なのかもしれません。

 

その奥行きや、隠れた部分まで想像することは、なかなか難しいです。

 

もし、実体のごく一部しか見ていないとしたら……。

 

そのものが持っている豊かさや美しさを、見損なってしまうのではないでしょうか。

 

 

 

「あなたがたが愛に根ざし愛を基(もとい)として生活することにより、

 

すべての聖徒と共に、その広さ、長さ、高さ、深さを理解することができ‥‥‥」(エペソ人への手紙3:17-18)

 

 

いかにしたら、神さまの愛の美しさを見ることができるか…‥‥

 

ではなくて、きれいな断面のカツサンドを作れるか‥‥‥そんなことばかり考えています爆  笑
 

 

 

目に見える世界には、悲惨な出来事や悲しいことがたくさんあります。

 

けれども、私たちの目には見えないところにも、神さまの慈しみが注がれているのだと思います。

 

 

どのような断面からでも、イエスさまの愛を味わえたらと思いましたハートうさぎのぬいぐるみラブラブ

 

 

 

そんなことを思い巡らしながら、昨日は「讃美歌を歌う会」でした。

 

クリスマスの讃美歌の練習も始まりましたルンルン

 

 

まだへたっぴーですが、お聴きください。

 

 

 

 

 

Mさんがオレンジのシフォンケーキを焼いて持ってきてくださいましたよだれ

 

ブロブ「愛餐会」のフルーツケーキ
 
先日、Yさんが暮らしているホームをお訪ねして、帰る時分に列車の事故により、電車が止まりました 汗うさぎ
 
電車の再開まで、2時間以上待ちました。
 
電車が止まりました
 
 
また月曜日に、ある会合に出席するために自宅を出ようとしたら、電車が止まっていました うさぎ
 
 
他の私鉄の駅までは歩いて30分以上、自転車でも20分くらいかかります。 
 
それなら、いっそのこと自転車で行こう!
 
 
自転車で50分くらいかかりましたが、会合に間に合いました。
 
帰りは、土砂降りの雨に遭いました。
 
 
土砂降りの電車、京都の街を案内
 
 
さて昨日は、お友だちに京都の街を案内していただくために、電車に乗りました。
 
 
ところが、途中でその電車が止まってしまいました 泣くうさぎ
 
 
再開まで二時間近く列車の中で、じっと待ちました。
 
 
やっとたどりついたのは、京都の「東寺」です。
 
 
毎月、二十一日に「弘法さん」と呼ばれる「市」が立つというのを聞いて、一度行ってみたかったのです。
 
 
京都の東寺、弘法寺と観光客
 
 

それにしても、短い間に三度も鉄道の人身事故による運転見合わせに遭遇しました。

 

 

どのような事情があったのかは分かりませんが、事故に遭われた方のことを思うと、胸が痛みます。

 

 
電車と接触された人
 
 
東寺(教王護国寺)は弘法大師(空海)が真言密教の根本道場としてつくりあげた寺院だそうです。
 
米米、事故が多すぎる風景
 
 

観光客の方の後ろにある看板に、「如実知息(にょじつちそく)」と書いてありました。

 

AIに聞いてみたら、「自分の呼吸をありのままに感じ、心を静めて、今の自分に向き合うことを意味する」と教えてくれました。

 

 

呼吸に意識を向けることを通して、自分の心の動きにも気づいていく、そんな教えなのだそうです。

 

 

自分の呼吸にさえ、普段はあまり意識を向けていません。

 

そして、自分の心なのに、自分でも分からないときがあります。

 
「女心と秋の空」‥‥‥はてなマーク
 
 
 
土砂降りの雨、電車と風景
 
 
「主よ、あなたはわたしを探り、わたしを知りつくされました。
 
わたしの舌に一言もないのに、主よ、あなたはことごとくそれを知られます。」(詩篇139:1.4)
 
 
東寺、真言密教根本道場、神さまの憐れみ
 

 

どのような事情で人身事故が起きたのかは分かりません。

 

けれども、自分のことを自分が知る以上に、私たちを知っていてくださる神さまのことを思いました。

 

 

事故に遭われた方にも、神さまの憐れみが注がれますように。

 

すべての命が平安に、今日も生きられますようにハートうさぎのぬいぐるみラブラブ

 
 
 

 

毎週水曜日は、日曜日の主日礼拝のメッセージをお届けしています。

 

10月は、改めて「神の愛」を思い巡らしています。

 

今週の主日は、「ここに愛がある」という言葉の「ここ」のことを考えてみました。

 

 

 

 

10月18日 (日)の礼拝メッセージ

「ここに愛がある」

 

聖書:ヨハネの第一の手紙4章7~12節
 

(一部だけ記しています)

 「神はそのひとり子を世につかわし、彼によってわたしたちを生きるようにして下さった。

 

それによって、わたしたちに対する神の愛が明らかにされたのである。

 

 わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある。」(9-10節)

 

 

 

 

 

 1.愛を知り、愛に生きる

 

10月は、ヨハネの第一の手紙から神さまの愛を思い巡らしています。そして、その愛のうちに歩んで行きたいと願っています。

 

 

「愛する者たちよ。わたしたちは互に愛し合おうではないか。愛は、神から出たものなのである。

 

すべて愛する者は、神から生れた者であって、神を知っている。 愛さない者は、神を知らない。神は愛である。」(7-8節)

 

 

神さまは、私たちが神さまを愛するよりも先に、私たちを愛してくださいました。それは、私たちが正しく生きているからでも、愛されるにふさわしい者だからでもありません。

 

神さまは、まず私たちをそのままで愛してくださっています。私たちは、この神さまの愛をいただいています。

 

そして先週は、この愛が言葉だけではなく、具体的な行いとなって現れることを学びました。

 

「子たちよ。わたしたちは言葉や口先だけで愛するのではなく、行いと真実とをもって愛し合おうではないか」(Ⅰヨハネ3:18)。

 

人を愛することには、時に犠牲や苦労が伴います。けれども、愛することは、ただ苦労や犠牲を重ねることだけではありません。

 

イエスさまを通して私たちに注がれている愛は、神さまの喜びだからです。

 

私たちも、愛することから生まれる喜びを味わっていきたいと思います。

 

 

 

 2.「ここに愛がある」――主の十字架

 

「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある。」(Ⅰヨハネ4:10)

 

 

「ここに愛がある」。この『ここ』とは、どこを指すのでしょう。

 

 

それは、御子イエスさまを遣わし、十字架の『あがない』によって私たちを救ってくださった、神さまの愛の出来事です。

 

 

すでに学びましたが、「贖(あがな)い」とは、罪に捕らわれている私たちを、神さまが代価を払ってご自分のところに買い戻してくださることです。

 

それは、神さまが私たちを愛してくださったからに他なりません。

 

 

「主は、わたしたちのためにいのちを捨てて下さった。それによって、わたしたちは愛ということを知った。」(Ⅰヨハネ3:16)

 

 

この命を差し出すほどの愛を、「自己犠牲の愛」と呼ぶことがあります。

 

 

けれども、自己犠牲とは、ただ歯を食いしばって苦しみに耐えることだけではないと思います。

 

 

例えば、愛する人のために何かをするとき、自分の時間や労力を使っても、相手が喜んでくれれば、自分もうれしくなることがあります。

 

 

もちろん、すべての犠牲に喜びが伴うわけではありません。苦しみの中で、喜びなど感じられないこともあります。

 

 

イエスさまの十字架による救いを預言したイザヤ書53:11にはこうあります。

 

 

「彼は自分の魂の苦しみにより光を見て満足する。義なるわがしもべはその知識によって、多くの人を義とし、また彼らの不義を負う。」

 

 

十字架の愛は、苦しみを引き受けてでも、愛する者の命を生かそうとする愛です。その苦しみの先に、救いの成就という希望の光が示されています。

 

 

私たちは、イエスさまのように自分の命を投げ打つほどの愛はないかもしれません。

 

 

けれども、イエスさまの愛に倣って、誰かのために自分の持ち物や時間を差し出して生きることができるのではないでしょうか。

 

 

 

 

 3.「受けるよりは与える方が、さいわい」

 

 

パウロが伝えたイエスさまの言葉があります。

 

「わたしは、あなたがたもこのように働いて、弱い者を助けなければならないこと、また『受けるよりは与える方が、さいわいである』と言われた主イエスの言葉を記憶しているべきことを、万事について教え示したのである。」(使徒行伝 20:35)

 

 

「受けるよりは与える方が、さいわいである」。実は、この言葉は福音書には記されていません。しかし、パウロはイエスさまの言葉として、エペソの教会の長老たちに伝えています。

 

 

パウロは、自分の手で働き、自分の生活を支え、弱い人々を助けてきました。その経験を語った後に、このイエスさまの言葉を引用して語りました。

 

 

確かに、自分の持っているものが誰かの役に立つ。自分の働きによって、誰かが助けられる。そのことは、私たちに喜びを与えてくれます。

 

 

けれども、お金はない、力もない、人のために何かをしたくても、その力がない。自分が生きていくので精一杯、という人もいます。

 

 

たとえば、病気や障がいを持っていたり、年を重ねて人の助けを受けなければ生活できない人は、与える人よりも、さいわいが少ないのでしょうか。

 

 

若いときには元気に働き、誰かを助けることができても、病気になることがあります。年齢を重ねれば、これまで自分でできていたことが難しくなることもあります。

 

 

私たちは、いつも与える側に立っていられるわけではありません。

 

 

パウロは、ここでは弱い人を助けることの大切さを語っているのであって、助けを受ける人の価値を低く見ているのではありません。

 

 

与える人は、自分のものを惜しんだり、いやいや与えたりするのではなく、喜んで分かち合う。

 

 

そして、受ける人も卑屈になったり、必要以上に遠慮したりせず、感謝して受け取る。そこに、愛の交わりが生まれるのではないでしょうか。

 

 

愛を差し出し、また愛を受け取る喜びと感謝は、神さまから与えられたものであると思います。

 

 

 

 

 4.互いに愛し合う――愛は交わりの中に

 

「愛する者たちよ。わたしたちは互に愛し合おうではないか。愛は、神から出たものなのである。」(Ⅰヨハネ4:7)

 

 

ヨハネは、「互いに愛し合おう」と語っています。愛は、一方通行ではありません。

 

 

手助けが必要な人たちと共に過ごす中で、私たちの方が教えられたり、励まされたり、心が温かくなることがあります。

 

 

私は病院や老人ホームで働いていた頃、また学校で障がいを持つ子どもと共に過ごす体験をし、ハッと気づかされたことが多くあります。

 

健康だった私が気づかずにいた感謝、気遣い、そして思いやりのあるやさしい言葉。

 

 

もちろん、すべての人がそうではありませんが、ほほえみを向けてくれたり、気遣いや優しい言葉をかけてくださる人もいます。

 

それは、その人の中にある「愛」だと思うのです。

 

 

そして、たとえ言葉を交わすことができなくても、何かをしてもらわなくても、その人の存在そのものが、私たちに大切なこと――「愛によって生きる」ということを教えてくれていると思うのです。

 

 

人の価値は、どれだけ働けるか、どれだけ人の役に立つかによって決まるものではありません。

 

 

神さまは、私たち一人ひとりを、かけがえのない存在として愛し、生かしてくださっているということを感じさせられます。

 

 

ヨハネは、さらにこう語ります。

 

「神を見た者は、まだひとりもいない。もしわたしたちが互に愛し合うなら、神はわたしたちのうちにいまし、神の愛がわたしたちのうちに全うされるのである。」(Ⅰヨハネ4:12)

 

目に見えない神さまの愛が、私たちの交わりの中に現れるというのです。

 

互いに支え合い、喜びも悲しみも分かち合う。時には助け、時には助けられる。

 

そして、相手の存在を喜び、感謝する。そのように愛し合う交わりの中に、神さまの愛が現れます。

 

 

「ここに愛がある」。

 

「ここ」とは、私たちを生かすために命を捧げてくださった主の愛の十字架です。

 

この愛をいただいている私たちも、お互いに愛し合いながら神の愛のうちに歩んでいきたいと思います。

 

 

 

【黙想・祈り】

愛の神さま。あなたからいただいている愛の大きさに気づかず、他の人に差し出す愛の、なんと貧しい者かと思います。また、周りの方からも多くの愛をいただいていながら、なんと感謝の少ない者であるかと思います。

どうか、心を閉ざさずに、あなたの愛を受け取り、また周りの方にあなたの愛をお届けすることができるように、私たちを導き、あなたの愛の中で、私たちを育ててください。イエスさまの御名によって祈ります。アーメン。

 

 

 

 



長いメッセージをお読みくださり、ありがとうございました。

 

「愛」というと、正面切って語るのは"こっぱずかしい"です。

それに、あまり、「愛」を連発すると、神さまの愛を安売りしてしまっているようにも思ってしまいます。

けれども、あえて「神の愛」ということを考えています。

そして、考えれば考えるほど、神さまの愛は奥深いなあと思います。

 

 

今日10月21日は、「国際反戦デー」です。

 

 

私たちが、『神さまの愛によって生かされている』ということを本当に知り、互いの命を大切にするならば、戦争など起こさずにすむのではないかと思うのです。

 


報復が報復を生むような世界にあって、「敵を愛しなさい」と言われたイエスさまの教えにならって生きる者となりたいです。

 

 

愛餐会「こよなき愛」
 


「こよなき愛」は、天なる喜び―まさに、天から与えられる喜びです。

 
 
愛餐会:カツサンド、玉子サンドのビュッフェ
 

愛餐会は、Aさんのお誕生会でした。

 

カツサンドや玉子サンド、マスカットサンド。それとカボチャのスープ♪

いつもは質素ですが、たまには豪華版ウシシ

 

 

愛餐会Aさんのお誕生会、カツサンド
 

差し入れケーキもありましたバースデーケーキ立ち上がる

 

 

愛餐会、Aさんのお誕生会ケーキ
 

 

 

共に食卓を囲み、うれしいひと時でした。



神さまの愛によって、主の平和が実現しますようにハートうさぎのぬいぐるみラブラブ



ほっこりおまけ
別ブログ「ジョイの物語」から生まれた「愛の歌」です。

よろしければお聴きください

 

 

 

 

 

 

雨上がりの朝です。

 

雨に濡れた葉っぱが健気で美しい‥‥‥

 

雨に濡れたシュウメイギク(秋明菊)

 

 

葉っぱの陰から、シュウメイギク(秋明菊)がポツンと咲いていました。

 

狭い庭の隅っこに植えていたのですが、すっかり忘れていましたニコニコ

 

シュウメイギク(秋明菊)の花

 

「菊」といっても、キク科ではなく、キンポウゲ科の植物。

英語では「Japanese anemone」と呼ばれ、アネモネやクレマチスの仲間なのだそうです。

 

シュウメイギク(秋明菊)の花

 

 

古い時代に中国から日本に渡来し、京都の貴船周辺に多く咲いていたことから、「貴船菊(キブネギク)」とも呼ばれるのだとか。

 

ちょっと洋風の顔をしていますが、「和」のテイストですねニコニコ

 

 

シュウメイギクの花言葉「淡い思い」「多感な時」「忍耐」

 

 

シュウメイギクの花言葉は、「淡い思い」「多感な時」「忍耐」などがあるそうです‥‥‥

 

 

「しのぶれど色に出にけりわが恋(こひ)はものや思ふと人の問ふまで」
(平兼盛 『拾遺集』)

 

百人一首のひとつですねブルー音符



オープンで、あっけらかんなのもいいですが、感情を秘めた奥ゆかしさもいいなあと思います。


 

雨上がりの朝、神さまの声に耳を傾け

 

今朝の太陽も、お忍びのようです。

 

イエスさま、野の花を見よ


 

現代は、激しい言論を闘わせるのが強さのように思われているかもしれません。

 

 

「人は、そのよわい(齢)は草のごとく、その栄えは野の花にひとしい。

 

しかし主のいつくしみは、とこしえからとこしえまで‥‥‥」(詩篇103:15.17)

 

 

長い年月を経ても変わらぬ姿で立ち続ける秋明菊が、少し淋しい秋の心に明るい光を灯してくれました。

 

 

イエスさまは、「野の花を見なさい」とおっしゃっいました。

 


大きな声に惑わされることなく、野の花を通して静かに語りかけてくださる神さまの声に、耳を傾けたいと思いましたハートうさぎのぬいぐるみラブラブ


 
 
シュウメイギク(秋明菊)の花
 


 

日の出前。いつものように屋上に上がります。

 

日の出前、太陽が昇る屋上

 

空を見るのが好きです。

 

季節の移り変わりとともに、日の出の位置も少しずつ南寄りに移っています。

 

 

日の出前、太陽が昇る屋上


 

そろそろ太陽が昇る頃。このままじっと待っていようかと思ったのですが‥‥‥

 

 

日の出と太陽の光、ラジオ体操

 

 

「そうだ、ラジオ体操をしよう!」と、ラジオ体操をしてみました。

 

でも、顔を出そうとしていた太陽は雲の中に隠れてしまいました。

 

 

あれあれ‥‥‥

 

 

ラジオ体操をしたら、体がポキポキいいました爆  笑

 

でも、気持ちがよかったです。

 

マジックアワー、空の青さとオレンジ色の光

 

 

そして、しばらくしたら、ちゃんと太陽が顔を出しました。

 

 

日の出、マジックアワー、太陽

 

 

日の出前や日が沈んだ後、空の青さとオレンジ色が織りなす美しい時間を「マジックアワー」と呼ぶそうです。

 

 

そして、日の出直後や日没前、太陽の柔らかな光があたりを黄金色に染める時間を「ゴールデンアワー」と呼ぶのだとか。

 

 

どちらかわかりませんが、神さまを感じられるこの時間が好きですニコニコ音符

 

 

空を黄金色に染める時間

 

 

新しい週、今週は世界の明るいニュースを聞きたいです。

 

身近なところでは、風邪をひいていた人、病気の人が回復されてうれしかったです。

 

 

夜明けの太陽、イエスさま

 

 

お空の上で、大勢の方々がイエスさまといっしょに祈って下さっているのだと思いましたハートうさぎのぬいぐるみラブラブ

 

「神の深いあわれみにより、夜明けの太陽は わたしたちに臨み、

やみと死の陰にある人を照らし、わたしたちの歩みを平和に導く。」

(ルカによる福音書1:78-79/カトリックの祈り「ザカリヤの歌」より)

 

招きのみ言葉 ルカの第三の手紙

 

 

昨日の礼拝の「招きのみ言葉」(招詞)ですルンルン

 
 
 

 

わたしたちの教会の週報に掲載しているコラム「からし種」です。

 

 

イエス・キリストが知らせてくださった「からし種のような小さな神の国」を、日々の生活の中で見つけた驚きと喜びを綴っています。

 

 

聖書の中の「寄るべ」という、知らなかった言葉を思い巡らしてみました。

 

 


2026.10.18の週報コラム

 

 

口語訳聖書や1954年版讃美歌には、現在はあまり使われていない古い日本語が残っている。

 

 

明治期に訳された「文語訳聖書」を読みやすくした「口語訳聖書」にも、辞書で調べなければわからない言葉がある。

 

 

詩篇10篇に登場する「みそなわす」「寄るべなき者」という言葉もその一つだ。

 

 

古語辞典によれば、「みそなは(わ)す」は「見る」の尊敬語。「寄るべ」とは「身を寄せる所、頼りとする所」、また「頼みとする人」という意味で、特に「妻や夫」を指すそうだ。

 

 

聖書には、夫を亡くした「やもめ(寡婦)」が社会的弱者として登場するが、夫だけではなく、妻もまた夫の「寄るべ」なのだ。新たな発見である。

 

 

生涯独身の人もいれば、配偶者を失う人もいる。頼る者を失うことは、大きな痛手なのだ。

 

 

「寄るべなき者」を「みそなわし」、顧みてくださる神に感謝である。

 

 

 

 

 

昨日のブログにも書いたのですが、詩篇10篇14節の言葉が心に残りました。

 

 

【口語訳】

「あなたはみそなわし、悩みと苦しみとを見て、それをみ手に取られます。

寄るべなき者はあなたに身をゆだねるのです。」

 

 

【新共同訳】

「あなたは必ず御覧になって御手に労苦と悩みをゆだねる人を顧みてくださいます。

不運な人はあなたにすべてをおまかせします。」

 

 

【新改訳】

「あなたは、見ておられました。害毒と苦痛を。

彼らを御手の中に収めるためにじっと見つめておられました。

不幸な人は、あなたに身をゆだねます。」

 

 

 

古語辞典を引いてみました。

 

口語訳の「みそなわし」は、「ご覧になる」という意味です。

 

また、「寄るべ」とは、①「よりどころ。頼りとするところ」。

 

②「頼みとする人。特に、夫や妻をいう」とありました。

念のため、2冊の古語辞典を引きましたが、どちらも「特に、夫や妻をいう」と説明がされていました。

 

 

日本の社会には、今も男尊女卑の価値観が残っているように思います。妻が夫を頼るものだという考え方も、まだあるのではないでしょうか。

 

 

辞書によれば、『源氏物語』の『箒木』にも登場する言葉だそうですが、古い日本語の中に、妻も夫も互いを『寄るべ』と考える表現があるのは、素敵だなあと思いました。

 

 

しかし、頼る人がいないときも、頼りとしていた人を失ったときも、

たとえ、自分の境遇を「不運」(新共同訳)、「不幸」(新改訳)と思うことがあっても、

 

私たちの『寄るべ』となってくださるのが、主なる神さま。そんなことを思いました。

 

 

この讃美歌をしみじみ思い出しました。

 

讃美歌39番 1番
「日暮れて 四方(よも)は暗く

わがたまは いとさびし、

よるべなき 身の頼る

主よ、共に宿りませ」

 

 

 

 

「寄るべなき」ひとりの夜。

 

昨夜、屋上から「淀川花火大会」の花火が見えました。

 
淀川花火大会、夜景
 

 

 

 

淀川花火大会の夜景
 

昔、夫と一緒に観に行ったことがありました。

*胆管がんで7年前に先に天国にいきましたほっこり

 

淀川花火大会の夜景
 
 

十字架のそばに、お月さまがいましたほんわか

 
淀川花火大会の夜景と三日月
 
 

 

今日は主の日。礼拝の日です。

 
淀川花火大会の夜景、三日月
 

 

「見よ、わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいるのである。」(マタイによる福音書28:20)

 
 
詩篇10篇「みそなわす」「寄るべなき者」の十字架
 


私たちの「寄るべ」となって下さった主が、いつも共にいてくださいますようにハートうさぎのぬいぐるみラブラブ

 

 

スマホの写真と見ると、だいたい「この日は何をしていたかなあ」と思い出すことができます。

 

最近は、数日前のことも忘れてしまいますが、写真を見たら思い出せます。

 
 
庄谷プリンとラテ
 
昨日の写真は、主に食べ物。(いつもですが)
 
さすがに、昨日のことは覚えているのですが‥‥‥
 
 
こんなにおやつばかり食べていたんだなあと、ちょっぴり反省。
 
 
まず、Yさんのところに伺い、「庄谷プリン」を出していただきました。
 
有名なプリンなのだそうです。
 
 

食事がほとんど取れなくなったYさん。胃ろうを造設され、それまで暮らしていたホームを移られました。

 

ところが、その後お元気になられ、今ではお口から食事を完食! 一緒にプリンもいただいたのでした。

 
 
「胃ろう」は造ったけど、まだ使っていません。こんなことってあるの?とってもうれしかったです。
 
 
帰りに、みたらし団子を買いました。
 
みたらし団子とかりんとう饅頭
 
 
みたらし団子とかりんとう饅頭
 
 
みたらしのタレをたっぷりかけていただきました‥‥‥
 
しあわせな味がしました照れ
 
みたらし団子とかりんとう饅頭
 
 
そして、一緒に行ったSさんが大好きという「かりんとう饅頭」
 
一個だけ買ってみました。
みたらし団子とかりんとう饅頭、しあわせな味
 
できれば、「その日のうちに」食べた方がカリッとしておいしいと書いてありました。
 
 
みたらし団子とかりんとう饅頭、パン
 
なので、おいしいうちにいただきました。
 
みたらし団子とかりんとう饅頭
 
 
これは、夕食前のことでした爆  笑

 

 
実は‥‥‥
 
昨日は、照明をLEDに替える工事をしていただいたのでした。
 
照明をLEDに替える工事
 
Yさんのところへの訪問が先に決まっていたので、馴染みの業者さんだったので工事はお任せして出かけました。
 
 
ところが、帰る頃になって、人身事故のために電車が止まってしまいました。
 
 
復旧までの2時間余り、それからYさんたちといろいろなお話をしました。
 
人生のうれしかったこと、楽しかったこと、苦労したこと‥‥‥
 
 
でも、生きていてよかったこと‥‥‥
 
そして、「生かされている」と思えるということ‥‥‥
 
そんな人生の話をしながら、「生きていれば何とかなるさ。神さまがきっと何とかしてくださる」と、改めて思いました。
 
 
そう信じて、列車がやっと復旧したので帰途についたのでした。
 
列車が復旧して帰途に帰った
 
 
 
「4時までには帰ります」と言って出かけたのに、帰ったのは6時過ぎ。工事が長引いて、業者さんがまだいらっしゃいました。
 
梁の位置が分かりにくくて、ご苦労してくださったようです。
 
 
31年前、阪神淡路大震災後の混乱がまだ残っていた時の建築。職人さんも少ない中、しかも限られた予算の中で建てられた会堂です。
 
それでも、強い地震にも耐えられるようにと願って建てられた会堂です。
 
弱さを抱える者たちが、安心して憩える場所でありたいと思いますハートうさぎのぬいぐるみラブラブ
 
 
「あなたはみそなわし、悩みと苦しみを見て、それをみ手に取られます。
 
寄るべなき者はあなたに身をゆだねるのです。」(詩篇10:14)

 

アメブロの記事を、最近noteにも転載しています。

 


いつからだったか記憶にないのですが、noteに投稿した記事が英語と韓国語にも訳されて読めるようになっていました。

 

 

果たして、英語や韓国語で読んで下さる方がおられるのかはわかりませんが、日本語しか知らない者にとっては、ちょっぴりうれしく思います。

 

 

今まで、自分の記事を英語や韓国語で見て(読むのではなく)みようと思ったことはなかったのですが、「短歌」を載せたときに、どのように訳されているのか興味をもちました。
 

 

それで、この記事を英語版で見てみました。

 

 


タイトルからして

[Random Diary] I tried writing about "God's Love" in Tanka poetry♪ - A small church retreat

 

OH!😆 


短歌はこんなふうになっていました。( )はもとの日本語です。
🔰 Poems by those who wrote Tanka for the first time (Part of the works)
短歌を初めて作った方の歌 (作品の一部です) 

*U-san

I want to be a person who lives in prayer while earnestly seeking God's will
(ひたすらに神の御心求めつつ祈りて生きる人でありたい)

*S-san
I am a sinful person with no particular merits, yet God's love is bottomless
(罪深い特に取り柄のない私 けれど神さま底知れぬ愛)

*K-san (Mom of a 2-year-old and a 1-year-old)
Waking up at 2 AM to my daughter's voice, a long autumn night where I cannot fall back asleep alone.

(午前二時娘の声で目が覚めるひとり寝付けぬ秋の夜長よ)

Even though I'm reading books to become a better person, I focus too much and ignore my children.
(善い人になろうと読書してるのに集中しすぎて子ども無視する)

*Y-san
Waking up early and gazing at the eastern sky, I am convinced that this is the magic hour.
(早起きし東の空を眺むれば今こそマジックアワーと納得)


🔖Poems by Tanka workshop participants (Part of the works)
短歌教室参加者の歌 (作品の一部です)

*K-san
While praying, I even doubt my own wishes and quietly wait for God's will.
(祈りつつ我が願いさえ疑いて静かに待てり神の御旨を)

*Me😆 ←「オイラ」と書いたのをちゃんと「Me」と訳してくれました!
It's a secret just between God and me; pinky swear, don't break the promise.
(神さまと二人っきりの秘密です指切りげんまん指切らないで)



いかがでしょうか?
私は英語の読み書きが不得手です。
英作文など、とてもできません。

 

でも、これは英語のいい勉強になるなあと、教材の良し悪しは別として、関心したのです。

英文もなかなか味わい深い‥‥‥


「指切りげんまん」という言葉は、「pinky swear(小指の約束)」ということも知りました。

 

けれども、「げんまん」ということばは、「拳万」と書き、約束を破ったらこぶしで一万回打つという強い罰の意味なのだそうです。

 

子どもの頃、さらに、
「指切りげんまん、ウソついたら針千本飲ます、指切った」
と言って遊んでいましたが、

これは「約束破り」に対する、なかなかこわい言い回しでした😆

 

しかし、これが本来の神さまと人間との約束であったのだろうと思います。


「わたしは永遠にあなたとちぎりを結ぶ。すなわち、正義と、公平と、いつくしみと、あわれみとをもってちぎりを結ぶ。


わたしは真実をもって、あなたとちぎりを結ぶ。そしてあなたは主を知るであろう。」(ホセア書2:19-20)
 

「ちぎり」(契り)とは、神さまとの契約のことです。約束を破ってしまう人間に対して、なお愛と真実をもって契約を結ぼうとされる神さまの姿です。


でも、「指切らないで」というオイラの言葉遊びは、「約束を破らないで」という意味に訳されていました。日本語の面白さを、そのまま別の言語に移すのは難しいのですね😆


それにしても、31文字で情景や感情を表現するということは、なかなかの「芸術」であることを思います。


人の心を察したり、共感したり、自分の経験や感情を31音に込めたりする。そんな人間の営みの豊かさを、改めて感じました。

 

英語との比較表現で、かえって日本語の本来の意味を確認したり、また再発見することができてうれしかったです。


「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。」
(ヨハネによる福音書1:1)



 

まだまだ知らない言(ことば)がたくさんありますが、言の奥深さをもっと知って行きたいなあと思いましたハートうさぎのぬいぐるみラブラブ

 

 

 
ヨハネによる福音書1:1の日本語
 

 

 

最寄り駅から教会までは、商店街を通ります。

 

駅前には、ミスドもKFCもコンビニもあります。便利です。


つい、ふらふらと寄ってしまうことがあります。

 

「ポンデリング」が食べたかったのです。電車の中で、ふと頭に浮かんできたのです。


もう夕方近く、夕ごはん前です。

 

 

「買おうか、買うまいか」――駅前から10メートルほどの距離を葛藤しながら歩きました。


意志が強ければ、そのまま通りすぎるでしょう。でも、次の関門、コンビニがありますが。

 

 

自分の意思というよりも、体がスッとミスドのほうに近づきました。

 

 

そして、中に入って、チョコがかかってクリームの入っているポンデリングとエンゼルクリームを選んで買いました。

 

 

ミスドのチョコドーナツとポンデリング

 

 

ミスドのポンデリングとエンゼルクリーム

 

へへっ😋

二個目もペロリ。

 

ミスドのポンデリングとエンゼルクリーム

 

 

ミスドのポンデリングとエンゼルクリーム

 

 

「意思が弱い」「自制心がない」と言われそうですが……

 

 

SNSで、よく「罪悪感のないお菓子」とか、ヘルシーで低カロリーの手作りお菓子の投稿を見かけるのですが……

でも、「罪悪感」を抱いてお菓子を食べるのでは、お菓子に申し訳ないと思います。

 

 

こんなふうに、好きなお菓子を自由に買って食べられることも、平和だからこそなのだと、昨日伺ったお話を思い巡らしました。

 

 

横浜大空襲のお菓子

 

 

昨日は、ある会合で91歳の方から、81年前の「横浜大空襲」の体験談を伺ったのでした。


 

1945年5月29日の朝、横浜は米軍のB29爆撃機の大編隊による焼夷弾爆撃を受けました。

 

約500機のB29による爆撃で、横浜の市街地は壊滅的な被害を受けたと記録されています。

(今井清一『新版 大空襲5月29日―第二次大戦と横浜―』有隣新書より)



お話くださった方は、当時10歳。児童の疎開によって、家族と離れて夜汽車に乗って新潟に疎開したのだそうです。

列車は板で目張りがされており、手を振って父母たちと別れることもできなかったのだとか……

 


疎開先でもお米がなかなか手に入らなくなったようで、大豆のスープにわずかに入った米が食事で、いつもお腹を空かせていたといいます。


 

手作りお菓子


 

ある日、疎開先にお父さまが訪ねてこられたそうです。

お父さまは無言のまま、お寺の欄干のところまで歩いて行かれ……やがて重い口を開いて、お母さまが亡くなられたことを告げられたそうです。お母さまのご遺体は、ついに見つからなかったのだとか。

 


この時、人生ではじめて「慟哭」したそうです。もらい泣きしそうでした。

 

 


もう、30年以上かわいがっていただいている信仰の大先輩です。

 

 

でも、今までこのような体験をお持ちだとは伺ったことがありませんでした。


語るのもお辛い体験だったのだと思います。


戦争体験――疎開生活や大切な家族の戦死を体験され、自分の人格形成に「忍耐」が養われたとおっしゃっていました。


 

そして、今もガザやウクライナなどで行われている市民を巻き込んだ爆撃を見ると、心が締め付けられると言われます。

 

まさにそうです。

 

 

戦後81年、戦争のない日本で暮らしていると、戦争の恐さを忘れてしまいます。テレビの向こうの出来事としか考えられません。

 

 

けれども、戦争によって、それまでの日常が突然奪われてしまうのです。愛する家族とも、突然離れ離れになってしまうかもしれない。

 

 

そのことを、身に染みて感じました。

 

 

物価が高くなったとはいえ、ミスドのドーナツを二つも食べられる。それは、平和ならばこそ。

 

好きなものを自由に買って、おいしく食べられる。そんな日常が、どれほどありがたいことなのかと思いました。

 

 

もし、戦争が始まったら……お菓子が食べられなくなってしまうのです。いや、食事も満足に食べられなくなる……


 

貧困格差で、今も十分な食事を食べられない方々がおられます。
 

 

横浜のB29爆撃、焼夷弾爆撃
 

 

「あなたがたは公平を守って正義を行え。わが救(すくい)の来るのは近く、わが助けのあらわれるのが近いからだ。」(イザヤ書56:1)

 

 

一日も早く、世界の戦火がやみますように。救いが訪れますように。子どもたちがお腹いっぱい食べられますようにハートうさぎのぬいぐるみラブラブ

 

教会、戦火がやみますように