ドラえもんのようでいて、
ドラえもんでない…
アンパンマンのようでいて、
アンパンマンでない…
バイキンマンのようで、
バイキンマンでない…
唯一無二のキャラ卵サンド
「ドラあんバイキンマン」
ができました
大昔のバイキンマンの記事です...
唯一無二のへんてこなケンちゃんとバイキンマンの話です…
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ドラえもんでない…
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今日は水曜日なので、今週の日曜日の礼拝メッセージを載せさせていただきます。
今月は、旧約の神さまも新約の神さまも同じ神さまなのに、なぜか「こわい」「厳しい」というイメージを持たれる旧約聖書の神さまの愛を考えてきました。
今回は、ホセアと言う預言者が伝えた神さまの愛を思い巡らしました。
2024年度の年間テーマ
~神の栄光をほめたた
えよう~
「ほむべきかな、わたしたちの
主イエス・キリストの父なる神」
(エペソ人への手紙1章3節)
2024年9月22日のメッセージ
「せつに主を知ることを求めよう」
聖書 ホセア書5章15節~6章3節
(一部だけ載せます)
6:3 わたしたちは主を知ろう、せつに主を知ることを求めよう。主はあしたの光のように必ず現れいで、冬の雨のように、わたしたちに臨み、春の雨のように地を潤される」。
今日は「旧約聖書から知る神さまの愛シリーズ」の最終回です。
今日は、ホセアという預言者が知らせてくれた神さまの愛を受け取りたいと思います。
ホセア書は14章ありますが、その全体をざっと見て、ホセアがどのように神さまの愛を伝えているのかを見ていきたいと思います。
ホセア(「主は救い」の意味の名)は、紀元前8世紀後半に活躍した預言者です。
その頃、神の民イスラエルの国は、南北二つに分裂していました。ホセアは、北イスラエル王国で預言者の働きをしました。
***
神さまがホセアを召し出した時、このようなことを命じられました。
*ホセア1:2.3
2 主が最初ホセアによって語られた時、主はホセアに言われた、「行って、淫行の妻と、淫行によって生れた子らを受けいれよ。この国は主にそむいて、はなはだしい淫行をなしているからである」。
3 そこで彼は行ってデブライムの娘ゴメルをめとった。彼女はみごもって男の子を産んだ。
かなり衝撃的な話です。淫行とは、性的な乱れのことです。ゴメルという女性は、神殿娼婦だったともいわれますが、不特定多数の人と関係を持つ女性でした。そして、3人の子供を身ごもりますが、誰の子かもわからない、そういう状況だったようです。
預言者は、どんなに厳しいことであっても、神さまの言葉に従わなければなりません。ホセアは彼女を妻に迎えました。
なぜ聖書にこういう話が出てくるのでしょう。神さまは、なぜこのようなことをホセアに求めたのでしょう。
神さまは、ご自分に背き、偶像に付き従い、背信を重ねる民に「夫と妻」の関係にたとえて「愛」を伝えられます。
ゴメルは、神さまに背く民の姿です。「姦淫」という言葉もよく出てきますが、それは神さま以外のものを愛し、付き従う姿を意味しています。
ホセアは、イスラエルの淫行ゆえの神さまの「裁き」の言葉を語ります。淫行をやめて、ご自分のところに戻ってくるようにと語ります。
しかし、ホセアの妻となったゴメルは、なおも淫行をやめず、ついにその男のもとに行ってしまいます。
*ホセア2:23、3:1
23わたしは…あわれまれぬ者をあわれみ、わたしの民でない者に向かって、『あなたはわたしの民である』と言い、彼は『あなたはわたしの神である』と言う」。
3:1主はわたしに言われた、「あなたは再び行って、イスラエルの人々が他の神々に転じて、…姦夫に愛せられる女、姦淫を行う女を愛せよ」と。
神さまは、ホセアに他の男のところに行ったゴメルを買いもどさせ、しかも愛し続けるようにと命じます。まさに、想像を超える神の愛です。
ホセアは、神さまの言葉に従いました。ゴメルと、誰の子供かわからない子供にも愛の限りを尽くします。
***
*ホセア4:1~4
1 イスラエルの人々よ、主の言葉を聞け。主はこの地に住む者と争われる。この地には真実がなく、愛情がなく、また神を知ることもないからである。
2 ただのろいと、偽りと、人殺しと、盗みと、姦淫することのみで、人々は皆荒れ狂い、殺害に殺害が続いている。
神さまが、ゴメルが姦夫のもとにいたときの状況を告げたのでしょう。
しかし、今の時代、この世界もまさにこのようような状況ではないでしょうか。
3 それゆえ、この地は嘆き、これに住む者はみな、野の獣も空の鳥も共に衰え、海の魚さえも絶えはてる。
4 しかし、だれも争ってはならない、責めてはならない。祭司よ。わたしの争うのは、あなたと争うのだ。
人々はお互いに非難し合いますが、問題は宗教指導者である祭司であると神さまは指摘します。
民のリーダーとなる祭司が堕落しています。彼らは神さまのみ旨に従って人々を神に導くのではなく、物質的利益のみを求めています。
今の時代も、同じ「唯一の神」を信じる者たちが、ユダヤ教、イスラム教、そしてキリスト教を信じる者たちが闘い、争い、憎しみあっています。
神さまの忌み嫌われる「殺人」をしています。
神さまは「宗教指導者」を責められるでしょう。
神さまは、彼らから離れます。罪の現実から一歩退いて、しばらく静観されるのです。
*ホセア5:15~6:1
5:15わたしは彼らがその罪を認めて、わが顔をたずね求めるまで、わたしの所に帰っていよう。
彼らは悩みによって、わたしを尋ね求めて言う、
6:1 「さあ、わたしたちは主に帰ろう。主はわたしたちをかき裂かれたが、またいやし、わたしたちを打たれたが、また包んでくださるからだ。
実は、この個所には、新共同訳聖書では「偽りの悔い改め」という小見出しがついています。フランシスコ会訳では「移り気なイスラエル」「罪をくりかえすイスラエル」とあります。
民は「主に立ち返る」と言い、反省します。けれども、この悔い改めは口ばかりで、またもや自分を満足させてくれる偶像に惹かれてついて行ってしまうのです。
先の戦争で懲りたはずなのに、あの地震で懲りたはずなのに、原発の事故で懲りたはずなのに、軍備を拡張し、原発を再稼働させ、多額なお金を投入して大地震が起こったらひとたまりもない地で万博を開催しようとするこの国‥
「冨」と「利権」をもたらす「偶像」に惹かれてしまっているからです。
「宗教的指導者」が果たすべき役割を果たさず、自らも「利権」を求める道に陥っている現実は今も同じではないかと思います。
しかし、幾度も神を裏切る民であっても、神さまは決して見捨てることがありません。
*ホセア11:8
8 エフライムよ、どうして、あなたを捨てることができようか。イスラエルよ、どうしてあなたを渡すことができようか。
…わたしの心は、わたしのうちに変り、わたしのあわれみは、ことごとくもえ起っている。
エフライムは北イスラエルの部族の名前、神さまが北イスラエルを愛情をこめて呼ぶ名前です。
憐れみ深い神さまは、けっしてご自分の民を見捨てることなく、救い出してくださいます。
この時代に生きる私たちはどうしたらいいでしょう。どうしたら、この世界が少しでもよくなり、幸せに生きることができるでしょう。
イスラエルの人々は、悔い改めの舌の根も乾かない間に、同じ過ちを繰り返しました。
しかし、そのような者であっても神さまは見捨てられません。
ホセアは「主は救い」、主の救いを告げるために選ばれた預言者です。
神さまは、「主の救い」という同じ意味をもつイエスさまをこの世に遣わされ、人間のそむきの罪をゆるしてくださったのでした。
*ホセア書14:4
4わたしは彼らのそむきをいやし、喜んでこれを愛する。わたしの怒りは彼らを離れ去ったからである。」
イスラエルの民は口先だけで言いました。しかし、私たちは心から神さまに申し上げたいと思います。
「さあ、わたしたちは主に帰ろう。主はわたしたちをかき裂かれたが、またいやし、わたしたちを打たれたが、また包んでくださるからだ。
主は、ふつかの後、わたしたちを生かし、三日目にわたしたちを立たせられる。わたしたちはみ前で生きる。(6章1~3節)
【黙想・祈り】
父なる神さま。私たちの周りには、お金、知恵、力、あなたに頼らずこの世で生きることができると思われそうなものが溢れています。しかし私たちは、あなたが私たちをも愛し、生きるための揺るぎない力をお与えくださることを知っております。どうか、あなたの知恵と力によって喜びをもって力強く生きる者とさせてください。イエスさまの御名によって祈ります。アーメン。
長いメッセージをお読みくださり、ありがとうございました。
「冨」「軍事力」という「偶像」は、いつの時代も民のリーダーたち、祭司をも魅了してきました。
「戦争」に向かわせる為政者は、神の御心にかなう者たちではありません。
「同じ神さま」を信じる者たちが争い、憎み合っている現実を悲しく思います。
ロシアとウクライナ、イスラエルとパレスチナの争いが早く解決しますように。
自分と自分の国だけが豊かになっても、分かち合うことのない豊かさは、いつかは滅んでしまいます。
ご自身への裏切り者、罪びとをイエスさまによっておゆるしくださった神さまの愛に、少しでもお応えしたいと思います。
私たちを立ちあがらせてくださるイエスさまに従って、神さまのみ前に生きることができますように
そしたら…ピヨピヨちゃんが出てきました!
なんだ、ひっくり返っていただけか…
ピヨピヨちゃん、何を思ったのか卵に変身!
これって「擬態」というのでしょうか?
でも、ピヨピヨちゃんが一人で(?)ひっくり返るなんてことができるのかしら?
誰がひっくり返したのだろう…
不思議でなりませんでしたが、「化ける人」のことを思いながら、卵をグルグルしていました…
右目の白内障を手術してから眼鏡が合わなくなったので、左目はほとんど見えていません。裸眼で0.1以下です。
やっぱりまだよく見えていないので、トンチンカンをするのです。
昨日は、神戸の三宮まで行ったのですが、(手術後初めて電車に乗ってお出かけしました)、なんと駅で迷ってしまって、約束の時間に遅れました。
駅員さんに「南はどちらですか?」と聞いたら、自分が思っていたのと反対側だったのでびっくりしました。
今日は左目の白内障の手術の日です。
これで、両目がバッチリ見えたら、擬態もニセモノも見抜けるかな?
新しく入れてもらうレンズは、聖書がよく読めるようにと先生が考えて選んでくださったものです。
楽しみです♪はっきり見えるようになって、迷わずにイエスさまについていきたいと思います
忘れっぽいので、備忘録で貼っています
スズメたちが元気に鳴いて飛んでいきました
今週も神さまが共にいてくださり、平和に過ごせますように
血液のがんで2019年になくなられましたが
いろいろなことを教えていただきました。
この記事を改めて読ませていただいて…ますます「えらいこっちゃ」と思いました。今は御紹介くださった本の文庫版が出ています。
十字架を撮りました。
太陽の光が写っていました
もちろん、光を直視することはできないのですが、太陽の光を見ることができてうれしかったです。
夜になってから、お月さまも見ました。ちょうど中秋の名月でした。まだ右目はぼんやりしていましたが…
手術を終えて、光を見ることができて本当によかったと思いました。
「主はわたしの光、わたしの救(すくい)だ、わたしはだれを恐れよう。
主はわたしの命のとりでだ。わたしはだれをおじ恐れよう。」(詩篇27篇1節)
来週は、左の目の手術です。新しいレンズで神さまがお造りになられた光の世界がどのように見えるのか、とても楽しみです
今日は水曜日なので、今週の日曜日の礼拝メッセージを載せさせていただきます。
今月は、「厳しい、恐い」と誤解されがちな「旧約聖書」の神さまの「愛」を味わっています。
旧約聖書の神さまも新約聖書の神さまも、同じ神さまなんですけど…
今週は、最初の人間アダムから七代目のエノクという人のことを思い巡らしました。
2024年度の年間テーマ
~神の栄光をほめたた
えよう~
「ほむべきかな、わたしたちの
主イエス・キリストの父なる神」
(エペソ人への手紙1章3節)
2024年9月15日のメッセージ
「神と共に歩んだエノク」
聖書 創世記5章1~32節
(一部だけ載せます)
18 ヤレドは百六十二歳になって、エノクを生んだ。
19 ヤレドはエノクを生んだ後、八百年生きて、男子と女子を生んだ。
20 ヤレドの年は合わせて九百六十二歳であった。そして彼は死んだ。
21 エノクは六十五歳になって、メトセラを生んだ。
22 エノクはメトセラを生んだ後、三百年、神とともに歩み、男子と女子を生んだ。23 エノクの年は合わせて三百六十五歳であった。
24 エノクは神とともに歩み、神が彼を取られたので、いなくなった。
創世記5章には、アダムからノアまで10代の人物の生涯が描かれています。
1 アダムの系図は次のとおりである。神が人を創造された時、神をかたどって造り、2 彼らを男と女とに創造された。彼らが創造された時、神は彼らを祝福して、その名をアダムと名づけられた。
3 アダムは百三十歳になって、自分にかたどり、自分のかたちのような男の子を生み、その名をセツと名づけた。
4 アダムがセツを生んで後、生きた年は八百年であって、ほかに男子と女子を生んだ。
5 アダムの生きた年は合わせて九百三十歳であった。そして彼は死んだ。
6 セツは百五歳になって、エノスを生んだ。…
このあと、「○○は△△歳になって◇◇を生んだ。…そして何年生きて彼は死んだ。」というパターンが続きます。
他の人たちは、多くは900歳以上生きています。この年齢については諸説ありますが、長寿は神の恵みと祝福のしるしとされています。
アダムから始まる人間は神さまに祝福されて長寿を全うし、やがて死んでいったのだということが淡々と記されています。
しかし、エノクは「神が彼を取られたのでいなくなった」ーつまり、彼は死を見ずに神のもとに召されたと伝えられています。
今日は、エノクがどのような生涯を送ったのかを考えてみたいと思います。
***
*創世記5:24
24 エノクは神とともに歩み、神が彼を取られたので、いなくなった。
「神が彼を取られた」という表現は、「神さまが手を伸ばしてご自分のもとに引き寄せる」という意味です。
また、「エノクは神と共に歩み」と、他の人にはない説明が加えられています。このことを、新約聖書のへブル人への手紙ではこのように伝えています。
*へブル11:5
5 信仰によって、エノクは死を見ないように天に移された。神がお移しになったので、彼は見えなくなった。
彼が移される前に、神に喜ばれた者と、あかしされていたからである。
*傍線は原文にはありません
「神と共に歩む」という言葉は、「神と共に歩き回る」「神と共に生きる」という意味です。
イエスさまは「インマヌエル(神われらと共におられる)」と呼ばれますが、このインマヌエルと同じ意味なのだそうです。
神さまが共にいてくださり、神さまにくっついて、神さまのそばから離れずに生活する、それが「神と共にいる」姿です。
*へブル11:6
6 信仰がなくては、神に喜ばれることはできない。なぜなら、神に来る者は、神のいますことと、ご自分を求める者に報いて下さることとを、必ず信じるはずだからである。
信仰は、神さまへの「信頼」です。神さまがおられることを信じ、神さまに頼り、神さまはご自分に願い求める人にお応えくださると信じることです。
エノクは、このような「信仰」に生き、神さまに喜ばれる日々を送っていたのです。
エノクの姿は、アダムがまだエデンの園にいた頃、神さまのお言葉に従って何不自由なく過ごしていた時の姿と同じではないかと思います。
最初の人間のアダムと妻のエバがまだ神さまのお言葉を守り「罪」を犯していなかったときに、神さまと親しく、神さまの恵みのなかでエデン(楽しみという意味)の園で楽しく暮らしていた姿です。
***
しかし、アダムや他の子孫たちが約900年もの長命だったのに、エノクの地上の生涯は365日という「短命」です。
長寿は神さまの祝福と考えられていたのに、なぜ神さまはエノクを他の人の約1/3の短い人生でご自分のもとに召されたのでしょう。
古今東西、「不死」や「不老長寿」は人間の究極の願いとされてきました。
「アンチエイジング」の研究が進み、もしかしたら生物学的な死は科学の力で克服する日が来るかもしれません。
しかし、「魂の死(滅び)」は科学の力で克服することはできません。死は、最初の人間アダムの神さまへの不従順という「罪」によってもたらされたものだからです。
エノクが他の人と較べるとかなりの短命で「死を見ずに」神のもとに召されたことを思うとき、預言者イザヤのこの言葉が浮かびます。
*イザヤ51:1.2
1 正しい者が滅びても、心にとめる人がなく、神を敬う人々が取り去られても、悟る者はない。
正しい者は災の前に取り去られて、2 平安に入るからである。すべて正直に歩む者は、その床に休むことができる。
神さまが喜ばれる、神と共に歩む「正しい人」は、災いーすなわち罪と悪にそまったこの世界、邪悪な世界で不幸なことが起こる前に、神さまがぐっと手を伸ばしてご自分のもとに引き上げてくださり、神さまのもとでの平安に憩わせてくださるのだろうと思います。
***
さて、このエノクの孫の名前はレメクです。先週読んだように、弟を殺して神さまから追放されたアダムの長男カインの子孫と同じ名前です。
カインの子孫のレメクは、「強壮な青年」と言う意味の名前です。自分の力に驕り高ぶり、報復と殺人をなんとも思っていない、罪の限りを尽くした人です。
28 レメクは百八十二歳になって、男の子を生み、29 「この子こそ、主が地をのろわれたため、骨折り働くわれわれを慰めるもの」と言って、その名をノアと名づけた。
30 レメクはノアを生んだ後、五百九十五年生きて、男子と女子を生んだ。
31 レメクの年は合わせて七百七十七歳であった。そして彼は死んだ。32 ノアは五百歳になって、セム、ハム、ヤペテを生んだ。
レメクの年が神の完全数である七が三つ並んでいることに、神さまの慈しみが込められているようにも思います。
そして、そのレメクから「義人」とよばれる「ノア」が生まれたことに、この世で苦難を味わって生きている者に対する神さまの憐れみと導きを思います。
アダムから10代目として紹介されるノアも、エノクと同じく「神と共に歩んだ」人でした。
神さまは、悪が満ちた全地を洪水で滅ぼされる時に、ただノアの家族と動物たちだけを救われました。
神さまは、ご自分と共に歩む者をお守りくださいます。そして、そのように生きる者を喜ばれて、その人の「命」をお守りくださいます。
神さまから離れていた人間を「死」から救うために、「インマヌエル」と唱えられる救い主イエスさまがこの世界に来てくださいました。
私たちも、エノクのように完全に神さまに喜ばれる生き方ができなくても、イエスさまと共に歩み、死をみることなく天の神さまのもスッと引き上げていただけたらと思います。
【黙想・祈り】
父なる神さま。いま地球は恐ろしいことがおこっています。温暖化がおさまりません。厳しい暑さと激しい台風が襲います。人々が争い、戦争をしています。悪が満ち満ちています。どうかこのような世界の中にあっても、あなたが共にいてくださり、私たちをお守りください。そして、私たちがエノクのようにあなたに付き従って、まっすぐに生きることができますようにお導きください。イエスさまの御名によって祈ります。アーメン。
長いメッセージをお読みくださりありがとうございました。
レメクの話は省略しようと思ったのですが、長くなりますが一緒に考えてみました。
神さまは、たとえご自分が追放された「極悪非道な人間」であっても救われることを願っておられるのだなあと思いました。
カインの子孫のレメクは「自分の力を振るって」生きていました。
今も、そのような人が民を支配しているように思います。
もしかしたら、某県の知事もその一人かもしれません…
イエスさまが、エノクのようにまっすぐに生きられるように導いてくださいますように
感謝とお礼
昨日、無事に右目の白内障の手術を終えました。
お祈りを感謝いたします。
痛みはまったくなく、
まだ目はぼんやりしていますが
デスクワークもOKです。
こうして、ブログも書くことができました。
ありがとうございました。
昨夜の中秋の名月です
また、月が見られるようになって
うれしかったです
あとは、昨日から目薬を1種類1日4回。これは忘れないように食卓テーブルにおいて、食事の後と寝る前に点(さ)しました。
手術が終わったら、4種類の目薬を点すんですって!
ちゃんと、チェック表も作りました。