同窓会
中学校の同窓会に出てきた。
私は地元を離れた後もあまり戻ることがなかったし,最後に会ったのが成人式・中学卒業以来の人も多く顔を見てあーっとなりはするものの名前が出ない人多数。
それでも高校や大学のクラスメイトより覚えているのだから不思議。
今まで何回か同窓会が開かれているのは知っていたが,一つも参加してこなかった。今回も欠席にするつもりだったが,仲の良い友人たちが何度も誘ってくれて,それならばと出てみることに。
私の中学時代は小学校時代に受けたいじめが大きな影を落としている。
自分の好きなこと,興味のあることを我慢したり
目立つこと多い分人前でおどけるようなことをしてみたり。
とにかく周りの反応を見てから動くことが多かった。
人間関係で揉めやすい部活動にはきちんと所属せず
生徒会に逃げてみたり。
ママ友を作るのを避けているのは私の職業的なところもあるが,自らは人の輪に入らず受け入れてくれる準備のあるところにしか足を踏み入れたくないからだろう。あまり他の家庭のことに興味がない,というのもある。苦手な愛想笑いして人付き合いするのはどうかなとも思うし。
エネルギーを使って嫌な思いをするならほどほどにしか関わらない。
でも人が嫌いなわけでは無い,声をかけてもらうのを待っているのだ。その方が楽だから。
あの頃から変わらない。
自分を押し殺して過ごしたという思いがある一方
初めて男の子と付き合ったりもして,甘酸っぱい思い出もちゃんとある。
可愛い恋愛だったなー
小中高と意外に結構モテたのよ?笑
その先は‥‥
帰る実家はそこになくなり,私をどんな時も受け入れてくれた幼馴染や友人たちに会いに行く以外地元に戻る理由がなくなった。
それぞれ家庭を持ち子どもが生まれるとなかなか会う時間が取れなくなるものだ。そんなわけで10年ぶりの帰郷だった。
バカの田中(仮)
中学卒業して以来の同級生たち。
女の子はあまり変わっていないのに
男子の変わりようにびっくり。凄い衝撃。
かつての爽やかわんぱく少年たちは,どっからどう見てもおじさんに。
あまりに記憶の中の彼らが若いから,オヤジすぎてびっくりしたのよ。お互い様なんだけど。
かつての恩師たちは皆定年退職されており,現役はお二人だけ。中には私の仕事に気がついて発表を追ってくださっていた方もいて,心底驚いた。高校卒業後の進路なんて伝えていないのに,結婚して苗字も変わっているのに,だ。
「ぴのさんだと思ったのよねー,だから気にしていたの」
20年以上連絡さえとっていないのに,こうやって私のことを応援してくださっている先生がいるなんて幸せだなと,なんてありがたいんだと。感慨無量だ。
同窓会に出て良かったのは恩師に会えたこと
かつての心の友に会えたこと
そして,バカの田中(仮)にあえたこと。
田中は小,中の私の同級生だ。
田中は勉強が苦手だった。というか,壊滅的に出来なかった。
中学ではいわゆる不良の子たちとつるんで,授業は寝ているか妨害するか。
そんな彼が,中学三年生の夏休み明けに私の前にやってきて真面目な顔でこう言った。
『ぴのさん,俺,高校行きたいんだけど。勉強教えてくんない??』
様でもない真剣な表情に気おされ,私は思わずその依頼を受けてしまった。
そこから,ほぼ毎日朝と放課後に彼に勉強を教えた。
applesのsを三単現のsと言われた時には眩暈がしたが,もうほんと,中1の初めから数学と英語全部。
田中も文句を言いながら,よく毎日勉強したと思う。
毎日できない生徒に教えていると,こちらも彼が可愛くなってくるし親しみを込めて『バカの田中』と呼んでいた。
私の高校受験は公立一本だったし,かつ推薦で落ちるとも思っていなかったから(今思えばなんて恐ろしい)冬以降も田中の高校受験のサポートをしたのだ。
その甲斐あって,バカの田中は第一志望校の公立高校に合格した。合格発表後,彼には泣いてお礼を言われた。
が,あいつやっぱりバカで。
せっかく入学した高校を夏にやめちゃったの。
まぁ,かなり私が底上げして受からせたけれど,高校の内容はずっと難しいし,受験生の頃と同じモチベーションで勉強なんてできないだろうし。学校つまらなくなっちゃったんだって。
それを電話で報告してきてね。
それも田中の人生と思ったし,机上の勉強以外が彼にはあっているんだろうなとその時は思ったのだった。しかし中卒に対する世間の風当たりは厳しい。頑張って,大変だと思う。応援しているからと伝えたのを覚えている。
以降,何の仕事を始めた〜だの,転職した〜だの連絡がちょいちょいあって。彼は職場でトラブルを起こしては,職を転々としていた。
当時私は携帯電話を持っていないので家電にかかってくるのだ。取り次ぐ私の母も「田中くんからよ〜❤️」とか言って。
高校生の私に「子どもができたから結婚する」報告はかなり刺激的だったし,「子どもの血液型見ると俺の子じゃないかも,どうしたらいい?」の相談はもう私の経験から何も語れず,いつもみたいに偉そうに叱咤したり指南したりなんてできなくて,とりあえず図書館と高校の生物の先生を駆使して彼の子である可能性について調べまくったよね‥‥(当時はインターネットで手軽に諸々調べられる環境ではなかった。我が家にパソコンなんてなかったしね)
田中からの最後の電話は24-5歳くらいだったか‥‥
「あの時一生懸命教えてくれたのに学校やめちゃってごめんね,ピノさん。でも俺,高卒の資格とったから。」
これきり。
私もその後忙しくなり,こちらから連絡することも無かった。
まだLINEとか一般的でもなかったし,私は他のSNSは基本やらないし,これが最後の連絡となった。
今回の同窓会で,このバカの田中と再会。
実際に会うのは中学卒業以来,お互いいい歳だ。
顔の皺は増えたけれど変わらない彼の屈託のない笑顔を見ると,懐かしさが溢れて何と声をかけたものかわからず,ただ笑って手をぎゅっと握りかえすしかできなかった。同時に,田中がただ元気に生きていてくれたことが嬉しくて,それが全てなんだなとも思った。
田中,職を転々としていたが今は地元を離れパティスリーを経営しているらしい。
インスタの画像を見せてもらったがとても素敵な洋菓子屋さんだった。夫婦2人で営んでいるらしい。
地元ではそれなりに有名なんだとか。
「自分の子じゃないかも」の子はこの4月に社会人だそうだ。3児の父で,1番下のお子さんは勉強が得意なのだとか。
「ぴのさん,1番下の子偏差値60あるんすよ,俺の子じゃないかも」
というので,そうかもね,と言って2人で笑った。
同窓会後,田中から連絡が来た。
電話じゃ恥ずかしいからと,交換したLINEに。
今更だけれど,の前置きの後に,中学卒業以降もよく私が叱咤激励してきたことへのお礼と感謝が述べられていた。
第二のお母さんのようだったと。
そうありたかったわけじゃないんだけど‥
今回私と会えたことで初心を思い出したし,まだ頑張っていけると思った,とも。
でも実は,私も田中に助けてもらっていたのだ。
無条件に私を信用してくれていた田中の存在が悩み多き思春期真っ只中の私の支えになっていたのは確かだ。私はいつだって,私を求めてくれる存在に飢えていた。
田中の前では強がって「良いお姉さん」でいようとしたし,「強いぴのさん」でいようと努力した。
それが今につながっていると言っても過言ではない。
辛いとばかり思っていた10代前半だったが,振り返ってみれば今の私を作っていたのはこの頃の人との関わりであったかと思うと,決して悪くはなかったのかもしれない。
この歳になって,そう思った。
田中が幸せでいてくれることがただただ嬉しい。
そう心から思えるのは幸せだな。
そんな友人が他にもいっぱいいるなんてなんて私は幸せ。
そんなことを思ってだらだらブログを書いている。
夫と酒盛り中の土曜日。
ムスコス公開テスト後の夜。
テスト問題散乱,はたして直ししたのか?
今日も完全夫に丸投げ。
テキストも筆箱も方方に散らかったままで,片付けろって言ってるのに何でしない????
な,土曜日の夜です。