毎年恒例の我が家の年越しカラオケ甲子園大会なんですけど去年はコロナの為に中止に成ったんです。

今年もどうなるかはまだ判らないんですけどもとりあえず練習だけはしておこうと思って僕はたまに1人カラオケ🎤をカマしたりするんです。

昔のカラオケマシンの頃はカラオケ用のレーザーディスクなどのソフトを買い揃えないといけないから大変だったんですけどWiFi受信装置付きの飛ばしのドンキーのおかげでYouTubeのカラオケ曲を携帯電話からWiFi受信装置付きスピーカーに飛ばせばどんな歌でもカラオケで歌えるから便利に成ったものです。

元歌のI Santo Californiaの『Tornero』も僕はイタリア語の原語で歌えるんですけども昨日はスペイン語カバーの『Volveré』の方を約20回くらい歌い込みをカマシて練習しました。

I Santo Californiaの大ヒット曲の『Tornero』のリリースが1975年ですから50年近く前の歌なんですけども今だにメキシコでは良く聴きます。

Salón de baile(ダンス・ホール)さまで掛かるんです。😣

僕の大好きなサロン・デ・バイレさまでこの歌は掛かるんです。


クリストフの『Aline』とかなんかもそうですけどもこの手の曲は女を落とす最終曲面の体をくっつけて踊る決めのチークの時に掛かる定番曲なんです。

フランス語の『アリーン』のあとにイタリア語の『トルネーロ』が掛かったりあるいは逆に『トルネーロ』のあとに『アリーン』だったり順番はサロンに拠って違ってましたけども続いて掛かる場合が多くて曲の途中で1組ずつサロンをあとにして近くのホテルに行くんです。

ホテルさまに行くんです😣

僕が結婚したあとにも『伊賀忍法お忍びの術』を使ってサロン・デ・バイレに行ってたかどうかと言う事は「記憶が定かではありません」「記憶にございません」「事務方に任せてましたから把握しておりません」と言う事なんですけども独身時代はナンパの為に良く行ってたんです。


メキシコに来た当初は僕もまだケツ青の茶坊主時代でしたから面食いだったんですけども段々と体のボリュームを重視してグラマー好みに成って来た時代なんです。

まあまた話が例に拠って脱線しますけど例の荷物の仕分けのブラック企業の飯場で『ばってんナカシマ1家』で僕の同僚だった三●聡くん(仮名)はジョスィーと喫茶店で茶っ葉カマシた事すらなくて素人童貞で売春婦のお姉さん専門の人で「やった人数で言ったら僕がたぶん1番ですよ、千人斬りしてます、相手全部プロですけどね」とか言う人で凄い人だったんです。

M輪聡くん(仮名)って『右向け左』に出て来る自A隊員の松永2士にウリで坊主頭に眼鏡でナンパとか女(堅気の素人女)を諦めてる人だから外見を全く気にしないと言う凄い変わった人だったんです。😣


『我が道を行く人たち』って世間の他の人たちがやってる事を気にしてないから世間のルールに成ってるやり方をしないで自分のやり方で行っちゃう訳です。

ナンパって言うのは女がバッターだとしたら(この球に手を出して内野ゴロに打ち取られたなら仕方が無いわね)と言う女自身の為の言い訳と世間の他の女に対する言い訳を女は必要としてるんです。😣


だからそこにピッチャーは投げてやって打ち取らないと駄目なんです。🤔


それで日本の場合だったら「ちょっと休憩して行こうか?」みたいな大人のお約束言葉が編み出された訳です。


「女だって性慾があるんでしょ?隠さなくていいですよ、男日照りで子宮が火照ってるから男にハメて貰いたいんでしょう?僕も女がいないから凄くやりたいんですよ。僕のあそこは凄いんですよ、試して見ませんか?ホテル行きましょうよ、カッコ付けないでいいですよ、行きましょう😣」とか言うやり方をこの●輪聡くん(仮名)はするらしいんです。😣

ビーンボールって言うか思いっきり頭を狙った危険球ですからその球打ちに行く女はいないんです。😣

ばってんナカシマさんなんかだったら「ウチもボボば火照っとるばってんホテルば行くたい」とか言っちゃって頭の所に来たボールを「チェイストー」とか言っちゃって大根切りで飛びついて打ちに来るような人もいるかも知れないんですけど普通は駄目なんです。😣


そう言うM輪くん好みの凄い人はキュウシュウの山の中にいて都会の町にはあまりいないんです。😣


三●くんみたいな自己流で行かないでお約束言葉を使わないと駄目なんです。

スペイン語の場合は何て言うか?って言いますと...

「Quiero estar contigo.👉君と一緒に居たい」って言うんです。


今一緒にいて体をくっつけてチーク踊ってるんだから一緒に居るんですけどそれがお約束言葉で「ホテルに行って君とセックスがしたい」って言う意味に成るんです。

それでグラマーなメヒカーナのセニョーラの方も亭主が酒飲みでアッチがご無沙汰だから男とアレをする目的で来てますから「Yo también.👉私も(あなたとセックスがしたい)」って言う事に成るから

「Vamos al hotel que está cerca de aquí.👉どこか近くのホテルに行こう」って成るんです。


この段階になる前にメヒカーナのセニョーラは目が潤んでたりグラマーな体を押し付けて来ちゃって耳元で熱い息を掛けて来たりしてサインを出してますから100パーの確率で行けるんです。


メキシコではそう言う目的に使われちゃった歌なんですけども本来はこの歌は愛する女と子どもを国に残して西ドイツに出稼ぎに行くイタリア人の出稼ぎ労働者が駅のホームで女と別れて国際線の列車に乗り込む駅頭の別離のシーンを歌った歌なんです。

当時のイタリアは出稼ぎ労働者を西ドイツに送り出す貧乏国だったんです。

僕は中学生の時と大学に入ってバッパー旅をした時と2度西ドイツに行った事があるんです。

中学の時に西ドイツに行った時はドイツ人と結婚した僕の伯母さんの家に泊めて貰ったんです。


団地のアパートだったんですけど3部屋+居間+ダイニングキッチンとジャムとかザワークラウトを貯蔵する地下室が付いていて日本の団地より大きい感じだったんですけどそれで家賃が800マルクくらいで当時は円とマルクが等価くらいだったから8万円くらいだったらしいんです。

たぶんヨーロッパの中では高い国だったんでしょうけど日本みたいに人口が多くないから住宅事情は日本よりいい感じだと僕は思ったんです。

廊下とかエントランスとかの共用部分を掃除する仕事をユーゴスラヴィア人の40代くらいのおばさんとトルコ人の20代くらいのお姉さんがしてました。
2人とも旦那と一緒に出稼ぎに来て旦那さんはビルの窓拭きとか道路掃除とかで共稼ぎみたいでした。

若い夫婦だと幼い子どもを姑に預けて子どもと離れて外国に出稼ぎに来てるんです。


イタリア人の顔とドイツ人の顔の見分けが付かないからイタリア人の出稼ぎの人を僕は見た事が無かったんですけど僕の伯母さんは「イタリア人もいっぱい来てる」って言ってました。

大学に入ってバッパー旅行をした時にドイツの安宿に泊まったらトルコ人のグループとイタリア人のグループの出稼ぎ労働者の人たちがいました。
イタリア人の出稼ぎ労働者の人たちが『トルネーロ』の歌をラジカセでカセットテープで聴いてました。

イタリアでは僕はこの歌を聴いた記憶が無いんですけど西ドイツの安宿で聴きました。

スペイン語カバーの『Volveré』を歌ってるDiego Verdaguer(ディエゴ・ベルダゲル)と語りの部分と♫ウンウーン、ウンウウーン♫的なハミングを担当しているAmanda Miguel(アマンダ・ミゲル)さんはアルへンティナ出身のアルへンティナ人でメキシコに移住して住んでいる歌手の夫婦でした。


まあ他人の夫婦の事情は良く知りませんけども離婚したみたいですけどもディエゴ・ベルダゲルのコンサートの時にはアマンダ・ミゲルさんも出演して『Volveré』をデュエットで歌ってます。
娘のアンナ・ビクトリアさんと3人で歌った時もあります。

こう言ったらアレですけど2人ともアンナ・ガブリエルさんとかアレハンドラ・グスマンさんとかのレベルの歌手では無いんです。

野球に喩えますとアマンダさんの方はホームランバッターじゃなくて大ヒットは無いんだけど時々ポテンヒットって言うかテキサスリーガーヒットを打って2割6分台くらいの打率のバッターみたいなポジションの歌手なんです。


旦那のディエゴの方はセ・リーグのピッチャーみたいな感じで打率1割みたいな歌手でヒットが無くてロクな歌を歌って無かったんですけども他人の歌のスペイン語カバーですから人の褌で取った相撲なんですけども『Volveré』がラッキースタンド最前列に飛び込んでホームランになっちゃったんです。


イタリア語版の元歌の『トルネーロ』を歌ったアイ・サント・カリフォルニアのボーカルの人の声と較べたらディエゴの声の方が声質が悪くてカブロン的な変な崩しのアレンジを入れた歌い方で若干落ちるんですけどアマンダの語りとハミング部分はイタリア女と互角かやや優勢勝ちしてる感じです。

「ウチはイタリア語とか分からんばってんスペイン語の歌じゃないと歌詞の意味が分からんばってん好かんとよ」的なばってんナカシマさんみたいな人がメキシコにも多いからディエゴのスペイン語カバーがかなり売れたみたいです。

「アマンダ・ミゲルは若い時はスタイルが良かったんだけど今はバ●アに成って●タみたいに太っちまったな」などと悪口を言うメキシコ人の男が多いんですけど僕はババ専でデブ専ですから今のアマンダさんの方が好きです。


(デブ専なんですけど、それが何か?悪いですか?)って言う気持ちです。

※写真はネットの人からお借りしました。


パア〜〜ン、パパラパ〜ン、パパパ〜ン、パパパ〜ン、ダダン、ダダッダ、ダン

Rivedo ancora il treno

Allontarsi e tu

Che asciughi quella lacrima

(※イタリア語版です)





Tornerò〜

Com'è possibile

Un anno senza te〜



けっこう前の状態のアマンダさんとディエゴです。




今の変化したバージョンですけど僕はデブ専ババ専ですから今のアマンダさんの方が好きです。



アマンダさんと娘のアンナ・ビクトリアさんです。

アンナ・ビクトリアさんと親父のディエゴです。