26歳の夏。
会社を起こしたい。
なぜかそう思った。
でもいつか本気でそれにすべてをかけてみたいと思った。
学歴も職歴も実績も貯金もなにもない自分が
突然東京にやってきて、社会にもまれ
自分を見失いそうになっても
ここにまたやってきては起業という夢を再確認する。
このブログはそんな場所です。
Google×Docomo「Android」
今後のモバイルはこの提携によってひとつの曲がり角に来たと私は予想する。
Google×Docomo
Docomoユーザーの私としてはとても楽しみなニュースだ。
しかし、この動きはむしろ遅いくらいではないかと思う。
世の中のモバイルサイトは大きく二つに分けられる。
公式サイトor勝手サイト(一般サイト)。
Docomoのimodeが発端で始まったキャリア指定の公式サイト。
確かにimodeはケータイ→モバイルという言葉を生み出したわけだが、私から言わせればこちらの方が勝手サイトなのではないかと思う。
それはなぜか?
そもそもPCを例に挙げれば分かりやすい。ブラウザのHOMEの設定は個人の自由である。
自分が最も使うであろうページを自由に設定すればいいのだ。
そして自由にweb→webへと飛び回ることができる。
しかし、モバイルはどうだろう。
imodeはDocomoが勝手に用意したiMenuがHOMEとなる。
(au softbankも同様)
むしろこちらの方が勝手だ。
Docomoユーザーの多くに受け入れらるように構成を吟味しているのかもしれないが、所詮は与えられた産物。
いわゆる勝手に生み出された勝手サイトなのだ。
公式サイトも確かに基準はあるが、それが万人に受け入れられるとは限らない。
これもDocomoが勝手に設定したもの。
そう。
今回のこの提携はむしろ逆の発想で考えるとごく自然な流れなのだ。
Googleがよく口にする言葉がある。
「webは誰のものでもない。webはすべてが民主主義で成り立っているのだ。」
私はこの考え方にとても共感している。
結局はwebもバーチャルな世界といっしょ。
資本主義な面もあるが、基本は民主主義だ。
今後、モバイルサイトの構成はwebに近づく。いや、同様の構成になるだろう。
iMenuの代わりにandroidの検索エンジンが真っ先に表示され、もっと楽しくなる。
そして私はいずれキャリアの枠を飛び越えて、どのキャリアでも同じAndroidが表示されるようになっていると思う。
むしろそう願いたい。(いちGoogleファンとして)
番号ポータビリティが始まり、メールアドレスもキャリアを超えて使えるようになったこの時代が向かおうとする最終ゴール。
それは全キャリア統合。
これが自然とモバイルが目指す最終形態(ケータイ)ではないだろうか。 ←おやじギャグ![]()
経営者が持つべきこころ
経営者とは仕事だけでなく人としての魅力がある人が多いんだなと本などを読んでいて私は思う。
もちろんその分野においてのプロであることは大前提ではあるが、それ以外の人生観だったり生き様だったり
見習うべきところは多い。
しかしその中でも共感できなかったり、この人の下で働きたいと思えない人がいることも事実である。
そこで私が考える「ついていきたい人」とはこんな人だ!というのを考えてみたい。
それは
「多様な価値観を理解し、すべてのモノや物事を客観的に考えられる人」
である。
つまりこういうことだ。
まず「多様な価値観を理解する」とはつまり人対人のことである。
自分とは違う価値観の人をいかに理解しようと努力し、考え続けていける人かということ。
経営者はそれぞれ自分とは違う価値観を持った社員と接していかなければならない。
会社という組織の中ではビジョンや向かう方向性は共有できてはいるだろう。
しかし社員すべての価値観まで理解することは不可能だ。もちろんそこまで理解して尊重までしてしまったら組織として成り立たなくなる。
でも尊重しなければならないのだ。
その社員一人一人の価値観を組織という枠組みの中でいかに最大限に尊重できるかが肝になる。
次に「モノや物事を客観的に考えられる人」だが、これは「モノ」の本質を常に追い求めることである。
世の中にあるすべての「モノ」にはドラマが隠されているのだ。
たとえつまようじ一本にだってドラマはあるだろう。
原料となる木の調達から始まり、工場で一本一本ていねいに作られていることだろう。
もしかしたらそこで働くパートのおばちゃんの給料が吹けば飛ぶような安月給かもしれない。
また、今の形になるまで何度もつまようじ専門家(実際にいるかは知らん)が試行錯誤した結果、今の長さになったのかもしれない。
ねじだって、えんぴつだって、豆電球だって、小さな「モノ」から大きな「モノ」まですべてにドラマはあるのだ。
そこには怒り、悲しみ、妬み、喜び、様々な感情が含まれているだろう。
有形なモノだけでなく無形なモノもそう。
すべてにドラマがあり、そこに従事する人がいてその給料でメシを食っているのだ。
そして人々はその何も語らないその「モノ」を利用して生きている。
しかしその「モノ」は時代や時期などによって微妙に増えたり減ったり変化したりする。
その様々な変化には時代のニーズで増えたり、逆に淘汰されていく「モノ」があるのだ。
それはなぜかと考える。
これがマーケティングの基本概念だ。
会社を経営するとはその錯綜する世の中の人やモノをうまく拝借し、成長させていかねばならない。
どんな人間だろうと尊重されるべき価値観があるし、どんな「モノ」にだってドラマはあるのだ。
そんな根本を忘れてしまった経営者に私はついていこうとは思わないし、なりたいとも思わない。
web2.0はすでに死語なのか
最近ある人に言われた。
「web2.0なんてもう死語だよ」
この方はおそらく「もう聞き飽きた」という意味でこう言ったのだろうと思う。
いや、そう願いたい。
確かにここ1~2年の間に流行して当たり前のように使われている言葉だ。
しかし、私はこの言葉がすでに死んだなどとはとても思っていない。
むしろwebが革命を起こしていく時代はこれから始まろうとしていると強く感じる。
最近電車などの移動や空き時間で読んでいる本がある。
- ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)/梅田 望夫
- ¥777
- Amazon.co.jp
この本。
非常におもしろい。
Googleが猛スピードで成長を遂げているカラクリ。
Googleとyahooの違いとはなにか。
ロングテールの本質をどう捉えるか。
amazon.comの戦略とは。
webに興味がある人ならばぜひ手にとって読んでいただきたい本である。
私は普段文庫本をなかなか読まないのだがこの本はおもしろいということを聞いて読んでみることにしたのだ。
読みごたえがあってまだ半分ほどしか読んでいないが、奇抜な内容にとても引き込まれる。
そしておそらくこの本を読んだ人は「web2.0はすでに死語だ」などとは決して口にしないはずだ。
webの底力。
まだまだwebに眠っている可能性は無限にあると私も信じている。
そう。
web2.0は決して死んだ言葉などではないのだ。
むしろまだ始まったばかりにすぎないと私も感じる。
