石井あらたさんの「山奥ニートやってます」を読みました。

和歌山県の限界集落で、廃校になった所を住居にして15人で住んでいる日常を綴ってます。
生活費18000円。

両親が学校の先生で、本人も先生目指して教育実習に行ったけど、そこでメンタルやられて、引きこもり。

先生対生徒としての愛情と、親子の愛情って違ってまた別で、幼少の頃の話からして「ありのまま愛される」土台ができなかったのも原因の1つな気がします。

最近はHSPとか、繊細で人との関わりが疲れてしまう人、社会や集団に馴染めないとか多いし、その事が少しずつ認められて来たと思います。 

個人的に、ニートをするのも才能というか、すごい事だと思ってます。

なぜって、私は12年働いた後に仕事辞めて実家にいた時、1人で「世間体」「肩書」と戦って悶々としたからです。笑

30過ぎて、結婚して家にいれば無職でも「主婦」と言われますが、無職で独身で実家にいれば、「ニート」「パラサイトシングル」「子供部屋おばさん」です。なんて言われよう。

日本の社会が作った言葉ですが、今までしっかり社会人として働いて、肩書きとか全然気にしてなかったつもりでも、いざ無職になると勝手に気にしてました。

肩書きと世間の目。

朝起きて仕事に行かなくて良い開放感なんて数ヶ月で飽きて、その内に誰にも必要とされてないダメ人間かと思った日も。

定年したおじさんもこんな気持ち味わうみたいで。

波長が合うのか、あの頃は何故かおじさん達と出会って語ってたなぁ…。

いつの間にか洗脳され植え付けられた、社会人たるもの正社員で週5働くべきという価値観。

その後、四国お遍路の旅に行くわ海外留学するわで、結局私は「ずっと家にいられない、動いて沢山の人と出会うの大好きな人」だとわかりました。

話がそれましたが、だから世間の目とか気にしてもしなくても、「家にずっといられる人」ってのもすごいなと。パワー貯めてるなと。

山奥ニートは大自然の中で、必要な分のお金は払い、今やりたいことをやり、やりたくない事はやらない。お金はなくても自由な時間いっぱい。

一般社会とは違う少数価値観。

でも、コロナで生活様式が変わってきた今、ネットでどこでも、人と会わなくても仕事ができる今、ニートは最先端をいってたのかもしれない。

自分が本当に大切にしたい事の優先順位をしっかり決めて、幸せに生きる。
仕事、お金、自由、趣味、家族、健康。
なんの為に仕事してるのか、じっくり考えたくなり、山奥生活が羨ましくなりました。

グッときた文載せます
自然の恵みも、文明の恵みも、不作なことがある。恵みだけに依存してはいけない。恵みを受け取れるかどうかは、天の思し召し次第だ。得られないのが当たり前だから、恵みなのだ。だから、それが得られたときには感謝を忘れてはいけない。自然に感謝。文明に感謝。本日も生存させていただき、ありがとうございます。

だいたいの怪我や病気は仕事で無理しなけりゃ治る。仕事に追われて、病院に行く暇すらない生活をしているより、お金はなくとも時間がたくさんあってのんびりしてるニートのほうが健康的。

人にはそれぞれ、自分に合った履き物がある。靴に足を合わせるんじゃなく、足に靴を合わせなきゃいけない。昔わらじを自分で編んだように、自分に合わせた履き物を作る。そうすれば、足は傷つかず、どこまでも歩いて行ける。自分専用のわらじをじっくり作る、そのための時間と場所が必要だ。 

最後の文、この山奥にニートを集めて暮らそうと作った元養護学校の先生の言葉で、本当にすごい人で生きてたら会ってみたかったです。

週5で40年働くサラリーマン時代も終わろうとしてる気がするし、お金を稼ぐ人が全てではなく、障がい者やニートの方どんな人も優しく受け入れられる社会になってほしいなと、価値観変わる本で楽しかったです。