今日はしとしと雨の休日。

原田マハさんの
「でーれーガールズ」を読みました。

最終章、3滴4滴くらい涙が頬をつたい、
手で拭いて、
完読。

以前、これも泣いて読んだ「風のマジム」が沖縄の舞台だったのもあり、
「でーれー」の勝手なイメージで沖縄の話かと思ったら、

岡山の方言じゃった。

岡山城、鶴見橋、路面電車、でーれー行ってみたくなりました。

岡山の方や、80年代が青春女子高生時代な人にはたまらない内容だと思います。

あと、学生時代に東京から地方へ引っ越し、
方言に慣れない中で友達を作った思い出がある方も、共感できるのでは。

売れっ子漫画家さんが30年ぶりに、母校の講演会&同窓会に出る為に、高校の時に住んでた岡山へ帰る話。

アラフィフの今と、青春高校時代が交錯します。

80年代の芸能人、携帯がない、喫茶店でお客さんがノートへ自由に書き込み、手作りの物を売るのに路上しかないとか、時代を感じられておもしろい。

違わないのは、どの時代でも、
16.17.18才の多感な「女子高生」の時期は、
家族より友達が大好きで楽しくてその世界が全てで、
制服の着方にこだわり、恋に恋して、キュンキュンしたり、苦しかったり。。。
1番キラキラな青春時代。


何年前の事だよー。いーなー懐かしいなー。


どうでも良い小さなシーンですが個人的にツボったのは、
若い美容師に「サライ」の雑誌を持ってこられ、老いを感じてしまうところ。

年を重ねるごとに、美容師が見た目(?)で選んで持ってくる雑誌が微妙に変わっていく、あの複雑な女心、わかるー。

アラサー独身友達が「レタスクラブ」持ってこられた話、思い出すー。

オシャレな場所でファッション雑誌ではなく、生活雑誌、主婦じゃねぇぞと。




映画化もしてるようですね。

私は映画も好きだけど、字で読む方が、良い言葉がグッと心に入ってきます。 

グッときたとこ。↓



大変だったこと、辛いできごとは、誰にでも訪れていただろう。
けれどもいま、こうして、みんな元気で笑い合っている。
その単純な事実が、とてつもない奇跡に思えた。
  


あの頃、私たちは誰もが光の中にいた。
おかしなものだ。
光の中にいるときには、光を意識することなんてめったにない。
そのくせ、その場所から一歩踏み出すと、どんなにまぶしい光のさなかにいたのか、初めてわかるのだから。



16歳のあの頃、あんなふうに、地べたにしゃがみこんで何時間も話ができた不思議。
いまの若者たちが、やたらしゃがみこんでいるのも、理解できる気がする。
彼らは、どちらかといえば空よりも地面に近い存在なのだ。
これから空に向かって伸びていく植物なのだ。
大気の中の何もかもを吸って成長していた。
勉強すること、友達とのおしゃべり、漫画をかくこと、誰かを思うこと、恋することの何もかもを。


なかったことにできればいい。
そんなふうに思うことは、きっと誰にもあるよ。 
生きてれば。
でも、そうはいかないんだよ。
なかったことには、できない。
それが、生きてるってことなんだから。

生きてればいろいろあるよ。
つらいこと、悲しいこと、うれしいこと。
出会いもあれば、別れもある。
それが人生ってやつなんだから。
 



原田マハさん、元気もらえるから全部読みたいなー。

どんな人にもそれぞれ、人生山あり谷あり。

昔は良かったって思う「今」だって80、90才位になった時には、同じようにあの頃良かったなって思う光の中であって。

自分も、大好きな人達も、いつ死ぬかわからない。

生きてるだけでもその間、光の中にいるって事、奇跡なのかもね。

地球人生、皆がキラキラ輝いて、笑いあえますように。