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practice!!

いつでもハッピ〜

前回受診から3日後のD15にまたまた上京してKLC受診。

 

最近は電車の中で爆睡してしまうので、寝て起きると東京駅。

うむ。ますます東京が近く感じるぞ。

 

今回はなんとなく、翌日採卵になりそうな気がして、一応泊まる準備をしてきた。

 

今日の診察は中国人の女性医師。前に診察してくれた中国人女性医師とは違うような印象を受けたけど、同じ人かな。わからん。

 

内診をしながら、丁寧に説明をしてくれました。

 

卵胞はひとつ、おおきくなっていました。

 

問診で先生は

「明日、採卵しましょう。予定が大丈夫なら明日の朝1番に採卵の予約を取ってしまいますが、どうですか?」といいながらカルテを見て、

「Oh、遠いのね。来れますか?」と。

私は想定内でしたので、「大丈夫です!泊まりますから」とお返事。

 

先生もわたしも、ニッコリ。

 

本当なら、排卵防止にボルタレンを使うのですが、私は持病があるためボルタレンは使えず、飲み薬のロキソニンで対応。

しかし、痛み止めの薬が排卵を防止するとはね。驚きだ。

 

そして、お会計の待ち時間にホテルを予約。

 

早々とチェックインしてホテルでまったりしましたとさ。

 

あ、ちなみに、ブログは時間差で書いているので、このブログの内容は1W程度前の記事でございまする。

 

 

 

1周期おやすみして、移植周期のためD12でKLC受診しました。

 

内診で、左の卵巣にひとつ、卵胞発見。

 

先生の診察。

 

名前は忘れてしまったけれど、イケてるメン風な若めの男性医師。

 

「伊藤病院での結果はどうでしたか?」

「数値が下がってきたので、移植オーケイと言われました」

「そうですか。では、移植周期に入りますね」

 

ここで、内診で見えた卵胞について、今週期採卵もできるか質問。

 

すると、先生の回答はこう。

 

「完全自然周期なので、運がよければ採卵できるという感じ。今週期は、基本移植周期とします。そして、タイミングが合えば、採卵も。では、3日後にまた来てください」

 

ほほぅ。

なるほど。

 

というわけで、3日後にまた通院となりました。

 

 

ふと、考えたこと。

自由である
ということについて。

わたしが思う、自由であること、そして不自由であること、とは、思考が作り出してる幻想に過ぎない、ということ。

たとえば、環境。

「自由に動けない環境だから。。」
「もっと自由にできる環境なら」
とか、これは、たとえば、
自由に色々なところに出掛けたいのに、家族や仕事という理由でそれが叶わない時に、出るような言葉。かな。

確かに現実的に、「そうしたくても、そうできない」ということはあると思う。
そして、「そうできない」ことに、不自由さを感じる。
でも、ここで、「そうできない」ことばかりにとらわれて、現実の目の前にあること(ここでは家族や仕事のこと)をニュートラルに捉えられず、「不自由だ」と感じる思考は、例え、そこ(家族や仕事)から「自由」になったとしても、また新たな「不自由」を必ず作り出す。はず。
なぜなら、「思考」はなにも変わっていないから。

たとえば、状況。

なんでもよい。
「こうなりたいけど、こうはなりたくない」という思い。
「こうなりたい」も、「こうはなりたくない」も、どちらも、いまの自分は、「体験したことがない」「知らない」こと。
その、「こうなりたい」を、ワクワクして、考えている思考は、未来への広がりが感じられる「自由」があるけれど、「こうはなりたくない」の思考は、やはり、「とらわれ」の思考になりがちで、「不自由」という感じがするのです。
そもそも、ある人が考える「こうはなりたくない」という状況は、単なる「状況」で、本来、そこに「意味」はないはず。そこに「これは良い、これは悪い」と意味付けすることで、不自由さが発生していると思うのです。

環境、状況、どちらも、そこにいる人の「思考」によって、自由にも不自由にもなる。

それに気がつくと、
いつでも、誰でも、自由になれるし、そもそも、自由なんだ、ということにたどり着く。

ということを、ふと、考えたのでした。