【高潔な動機】
「白人奴隷」を商品にしたヨーロッパの海外進出
先日、あるディスカッションに参加した折、明朝時代の武将・鄭和の大航海のことに議論が集中した。15世紀初頭に莫大な費用をかけて行われた大探検旅行記のことである。その時に立ち寄ったペルシャ湾、アラビア半島、紅海の入り口、今日のソマリア、ケニア、タンザニア、モザンビークといった地域を中国人はなぜ占領しなかったかという質問が議論の発端だった。わざわざそこまで遠征しておきながら、なぜそこに目に見える痕跡を何も残さないで自国へ帰ってしまったのか、理解に苦しむということだった。
私の対談相手はバークレイにあるカリフォルニア大学の歴史学の教授だったが、彼によれば、中国人が遠征をしたのは、ポルトガル人やオランダ人、イギリス人がそこへやってくる半世紀も前のことだったのだから、占拠するチャンスはあった。しかし中国人たちは、これらの戦術的に重要な地域に征服の拠点を置かなかった。もし彼らがそこに要塞を構えていたら、後のヨーロッパ人の侵入は困難になった、というより阻止さえされただろう。当然、戦争になった。そして世界の歴史は変わっていたに違いない、と言うことだった。
アフリカ東海岸の未開な諸民族は、当時の中国人に太刀打ちできなかったはずだ。強力な一大帝国から来た中国人は、アフリカの先住民がいかに軍事的に弱体か、間違いなく判断したに違いない。それなのになぜ彼らはその地を奪い、要塞を作らなかったのか。
その理由を彼はこう説明した。中国人はまだ成熟した強力な文化的自覚を持っていなかった。彼らにはヨーロッパの海洋国家が持っていたダイナミズムが欠けていた。自己の文化に自信がなかった。その自信は、自分たちの文化は他の民族に授ける価値があるという確信があって初めて得られるものである。中国人は全ての人間、全ての人種に有効な普遍的な宗教を持っていないから、自国の風土から遠くかけ離れたところに生活しているアフリカ民族を、支配できるか不安を感じたのだ。というのは、支配には、征服した国を統治し、新しい文明の尺度を注入し、住民を教育する義務が伴うからである。これが教授の説明であった。
私はこのような論証は、ヨーロッパの海洋国家で、他民族を幸せにしたいという願いの下に海外遠征を行った国など一つもなかったという史実を隠蔽しようとするものである、と反論した。
(『驕れる白人と闘うための日本近代史』 第9章 高潔な動機―「白人奴隷」を商品にしたヨーロッパの海外進出 より)
欧米においては、自分たちの歴史こそ世界史であり、自分たちの生き方にこそ文明の名にもっとも相応しく、地球上のあらゆる民族は欧米文明の恩恵に浴することによって後進性から救われたと教えられてきた。
だから彼らの潜在意識の奥深くには、確固たる優越感が入り込んでいる。
これに対し、著者は、江戸期の鎖国日本は経済的社会的にみごとなまでのバランスのとれた「小宇宙」社会を形成しており、人間と自然の共生に心を砕いていたと史実を示す。
それは同時代ヨーロッパの、すべてを侵略征服せんとする拡張謳歌精神とは正反対だと指摘する。
ヨーロッパの世界侵略は、その「小宇宙」を壊したのであり、それを「文明開化」と解釈するのは大間違いだと言う。
この、ヨーロッパのほうが野蛮だった、とういう主張は、ドイツで大きな物議をかもしたが、同時に今や、世界人口の急増と資源の枯渇を前にして、欧米でも「小宇宙」日本の共生思想に目覚め始めている。
欧米人の優越意識を覆すためにドイツ語で刊行された書を、今度は日本人の劣等感を打ち破るために、邦訳出版する。
大航海時代の到来以後、全世界を発見、征服した「偉業」に対する欧米人たちの誇りを根底から覆す書。
