先日、「アイ、トーニャ」を観てきました。
当時(1994年)オリンピック前から、ナンシー・ケリガン襲撃事件は日本でも
報道されていて、トーニャ・ハーディングの関与が濃厚と
噂されていました。
そのオリンピックでの出来はイマイチで、靴紐事件と襲撃事件ばかりが
印象に残る選手でした。
(マーゴット・ロビーの迫真の演技が素晴らしかった。スケートシーンも
よくできていました)
映画の感想は別ブログで書かせていただきましたが、
映画の中で女子のトリプルアクセルについて言及していたのが
印象的でした。
「みんな、女子のトリプルアクセルがいかに難しいか、わかってないんだ。
難しいから挑戦しない」
云々・・・そんな感じの内容だったと思いますが、
当時、伊藤みどりが既に世界で初めて女子として3Aを成功させていました。
ハーディングはアメリカ人女子で初の公式戦で成功させた選手、という事になります。
彼女が3Aを成功させたときの実際の映像が映画の最後に
流れるのですが、これがパワフルでダイナミックでエネルギッシュなんですね。
あのまま、維持できていればオリンピックで表彰台に乗れる可能性も
あったかもしれないのに、と思うととても
残念な気持ちになりました。
「私にはスケートしかない。私からスケートを奪わないで」という
悲痛な叫びには胸が痛みました。
常軌を逸した鬼のような母のもとではまともな子供が育つはずがない。
実際があの映画の通りかどうかはわからないけど、
あんな風な育ちではあったのだろうと思われます。
であれば色々と同情すべき点はあると思います。
(マーゴット・ロビーとトーニャ。元気そうです)
・・・まあ、強かな人ですよね。
ただ、そうであれば「スケート一筋」を貫き通せれば良かったのにと
思います。
そうすれば
もっと違う人生が開けていたかもしれないと思いました・・・。
(現在、アメリカのダンス番組に出ているそうですね。)
→『DANCING WITH THE STARS』
まあ、そんな風に思わせるってことは
映画として成功、でしょうね。
*****
映画を見ながら真央ちゃんのことを思っていました。
どれだけ難しいことを彼女は長年続けてきたことか。
そのことを、もっと多くの人に知ってほしい、そんな思いに駆られました。
先日もTV番組の中で「3Aってそんなに難しいの?
何が難しいの??」と言ってましたが、
一般的にはそう思ってる人が多いんだろうなと思います。
それで色々見ていたら
過去の記事が目に留まりました。
引用します。
以下、転載~~
真央と佐藤コーチ、究極の一瞬目指して
トリプルアクセル3本への青写真
野口美恵
スポーツナビ 2013年12月19日 12:51
維持する事の難しさ 女子のトリプルアクセル
浅田真央(中京大)のトリプルアクセルへの挑戦が続いている。
GPファイナルでは、いよいよショート1本、フリー2本を跳び、「今できる最高のレベルに挑戦した」と
本人も自負する。
しかし今季、完全な成功はまだない。トリプルアクセルという大きな頂きに向かって、
いま浅田はどこまで登ってきたのか、そして五輪での成功は?
浅田が鮮烈なデビューを果たした2005年12月のグランプリファイナル。
15歳になったばかりの少女は軽々とトリプルアクセルを成功させ、名だたるシニア勢を抑えて優勝した。
多くのファンは浅田がまだ跳べなかった時代を見たこともないし、彼女にとってトリプルアクセルは何歳になっても変わらず跳べる“べき”もの、と感じてしまうのも無理ないだろう。
そこが、彼女を取り巻く誤解のスタートでもある。
歴代女子で、公式大会でトリプルアクセルを成功させた選手は、88年に初成功させた伊藤みどり以降、トーニャ・ハーディング(米国)、中野友加里、リュドミラ・ネリディナ(ロシア)、そして浅田の5人のみ。
まして数年にわたって成功させたのは伊藤と浅田だけだ。
女子にとっては、1度でも成功すれば歴史に刻まれ、
成長に伴って維持できるようなジャンプではない。
それでも浅田は、挑戦を続けた。
4年前、19歳のバンクーバー五輪ではショート1本、フリー2本を成功。その後ジャンプ全体のフォーム改造に着手したためトリプルアクセルの改善には時間がかったが、今年2月の四大陸選手権では見事に成功させた。
集大成の今季「何が何でも挑戦」
そして五輪シーズン、自身が集大成と決めた今季を迎える。浅田は、
「アクセルに惑わされたくはないんですけれど、最初に決まるとやはり自分も乗ってくるし、自分の強みではある」とトリプルアクセルを跳ぶ意義を話し、初戦から挑戦した。
スケートアメリカでは、ショートでは認定はされたもののフリーレッグがわずかに氷上をかすめたかマイナス評価に、フリーは転倒した。
「やはりシーズン初戦からトリプルアクセルを挑戦出来る状態で試合に臨んでいるのが、跳べなかった時期とは違います。(フリーでは)あれだけ大きく転倒するとリズムも崩れてしまい、『もう失敗したくない』という気持ちがでたのと、スタミナも切れてしまいました。転倒した後をどうカバーするかが今後の課題です」。
と浅田。
佐藤コーチも
「今までは、色んな状況を見てマズイなと思ったら『やめなさい』と言った時期もあった。
今は結構良い感じにできているので、数少ない競技会でどんどんやらせたいと思っている」
という。
昨季までは調子によってトリプルアクセルを回避することもあったが、
今季は「何が何でも挑戦」がベースであることを明かした。
続くNHK杯では、ショート、フリーとも着氷が乱れた。
佐藤コーチは
「他のジャンプについてはもっとスピードが欲しいが、トリプルアクセルに関しては彼女の体力に一番合ったスピードでいかないと。
練習ではだいぶ固まってきているが、やはり本番になると興奮状態で普段よりスピードがあり、
わずかに身体が(左に)フラれてしまう」と冷静に分析した。
本番でのミスの原因が掴めると自信がついたのか、浅田は守りに入るどころか攻めに出た。
「練習での調子は上がっているし、(フリーで)2本入れても大丈夫なんじゃないかな、と感じるようになりました。もっと上のレベルを練習することは楽しいし、試合で決められたらもっと最高だから」
と考え、NHK杯に“ショート1本、フリー2本”の最高レベルの組み合わせでの練習を開始したのだ。
グランプリファイナルまで、練習日数としてはわずか2週間だった。
どれほど高い壁かは2人にしか分からない
そのグランプリファイナル。
ショートでは、片足で着氷に成功したが、フリーは転倒、そして両足着氷となった。
無茶な挑戦をしたのでは、という周囲の雰囲気を感じながら、浅田は言葉少なにこう言った。
「(フリーで)1本目で転んで、落ち着いて2発目に行こうと思ったけれど、大きな転倒をしてしまうと次が難しかった。1回目の転倒ってすごく大きくて、体力も奪われてしまいますし、まだまだ(2本を想定した)シミュレーションができていない中での挑戦だったので、練習が必要です」
フリーで2本への挑戦について、佐藤コーチはこう戦略を明かした。
「決して競技会をないがしろにしている訳ではないが、挑戦してみないと分からない事もあるので今回は取りあえず挑戦してみるという判断をした。
本人には、挑戦したい強い気持ちがある。それを取り上げるのはテンションにも影響するので、危険性とのバランスを考えた時に、とりあえず今は何が何でも挑戦する方向。
2本入れると、エネルギーを使った、(演技後半が)どうなるかが読めない部分がある。
慎重に検討しなければならないと私自身は考えている」
そして佐藤コーチは、浅田を守るかのように、こう付け加えた。
「女性にとってのトリプルアクセルというのは能力的にとんでもなく難しいものだなというのを痛感させられた」
トリプルアクセルは皆が思うよりも難しいのだ、というちょっと弱気の言い訳。彼女自身が決して口に出すことができない葛藤を、まるで代弁しているかのようだった。
浅田が公式大会で初成功させたのは04年のジュニア時代。
そこから10シーズン目の今なお跳んでいることが、驚異的なのだ。
23歳のいま、計3本入れることがどれほど高い壁かは2人にしか分からない。
意欲を支えにする浅田と、淡々と戦略を練る佐藤コーチ。2人は究極の一瞬を目指す。
<了>
(以上転載終了)
******
男子でさえ難しいとされる3A.
真央ちゃんの代名詞のようになっていたけれど、どれだけ
困難な道だったでしょう。
男子並みの体力、恐怖心との闘い、しかも
彼女は最後の最後まで挑戦をやめなかったし、
最後になってしまった全日本の6練では
実に綺麗に3Aを決めたのでした。
ただ跳んだ、というだけでなく、彼女のジャンプは
優雅で美しかったです。
これは女子で、前人未到の偉大な功績だと思います。
それなのに、日本のメデイアは
「どれだけ凄いか」を
あまり言いませんでした・・・。
こと、浅田真央に関しては
過小評価するように印象付けるような報道が多かったように思います。
跳んで当たり前、というような報じ方でした。
3Aを跳ばなくても真央ちゃんは勝てたと思います。
でも敢えて挑戦し続けました。
そのことだけでも驚異的な、奇跡的な事だったと思います。
そういったことを痛切に感じました。
当時(1994年)オリンピック前から、ナンシー・ケリガン襲撃事件は日本でも
報道されていて、トーニャ・ハーディングの関与が濃厚と
噂されていました。
そのオリンピックでの出来はイマイチで、靴紐事件と襲撃事件ばかりが
印象に残る選手でした。
(マーゴット・ロビーの迫真の演技が素晴らしかった。スケートシーンも
よくできていました)
映画の感想は別ブログで書かせていただきましたが、
映画の中で女子のトリプルアクセルについて言及していたのが
印象的でした。
「みんな、女子のトリプルアクセルがいかに難しいか、わかってないんだ。
難しいから挑戦しない」
云々・・・そんな感じの内容だったと思いますが、
当時、伊藤みどりが既に世界で初めて女子として3Aを成功させていました。
ハーディングはアメリカ人女子で初の公式戦で成功させた選手、という事になります。
彼女が3Aを成功させたときの実際の映像が映画の最後に
流れるのですが、これがパワフルでダイナミックでエネルギッシュなんですね。
あのまま、維持できていればオリンピックで表彰台に乗れる可能性も
あったかもしれないのに、と思うととても
残念な気持ちになりました。
「私にはスケートしかない。私からスケートを奪わないで」という
悲痛な叫びには胸が痛みました。
常軌を逸した鬼のような母のもとではまともな子供が育つはずがない。
実際があの映画の通りかどうかはわからないけど、
あんな風な育ちではあったのだろうと思われます。
であれば色々と同情すべき点はあると思います。
(マーゴット・ロビーとトーニャ。元気そうです)
・・・まあ、強かな人ですよね。
ただ、そうであれば「スケート一筋」を貫き通せれば良かったのにと
思います。
そうすれば
もっと違う人生が開けていたかもしれないと思いました・・・。
(現在、アメリカのダンス番組に出ているそうですね。)
→『DANCING WITH THE STARS』
まあ、そんな風に思わせるってことは
映画として成功、でしょうね。
*****
映画を見ながら真央ちゃんのことを思っていました。
どれだけ難しいことを彼女は長年続けてきたことか。
そのことを、もっと多くの人に知ってほしい、そんな思いに駆られました。
先日もTV番組の中で「3Aってそんなに難しいの?
何が難しいの??」と言ってましたが、
一般的にはそう思ってる人が多いんだろうなと思います。
それで色々見ていたら
過去の記事が目に留まりました。
引用します。
以下、転載~~
真央と佐藤コーチ、究極の一瞬目指して
トリプルアクセル3本への青写真
野口美恵
スポーツナビ 2013年12月19日 12:51
維持する事の難しさ 女子のトリプルアクセル
浅田真央(中京大)のトリプルアクセルへの挑戦が続いている。
GPファイナルでは、いよいよショート1本、フリー2本を跳び、「今できる最高のレベルに挑戦した」と
本人も自負する。
しかし今季、完全な成功はまだない。トリプルアクセルという大きな頂きに向かって、
いま浅田はどこまで登ってきたのか、そして五輪での成功は?
浅田が鮮烈なデビューを果たした2005年12月のグランプリファイナル。
15歳になったばかりの少女は軽々とトリプルアクセルを成功させ、名だたるシニア勢を抑えて優勝した。
多くのファンは浅田がまだ跳べなかった時代を見たこともないし、彼女にとってトリプルアクセルは何歳になっても変わらず跳べる“べき”もの、と感じてしまうのも無理ないだろう。
そこが、彼女を取り巻く誤解のスタートでもある。
歴代女子で、公式大会でトリプルアクセルを成功させた選手は、88年に初成功させた伊藤みどり以降、トーニャ・ハーディング(米国)、中野友加里、リュドミラ・ネリディナ(ロシア)、そして浅田の5人のみ。
まして数年にわたって成功させたのは伊藤と浅田だけだ。
女子にとっては、1度でも成功すれば歴史に刻まれ、
成長に伴って維持できるようなジャンプではない。
それでも浅田は、挑戦を続けた。
4年前、19歳のバンクーバー五輪ではショート1本、フリー2本を成功。その後ジャンプ全体のフォーム改造に着手したためトリプルアクセルの改善には時間がかったが、今年2月の四大陸選手権では見事に成功させた。
集大成の今季「何が何でも挑戦」
そして五輪シーズン、自身が集大成と決めた今季を迎える。浅田は、
「アクセルに惑わされたくはないんですけれど、最初に決まるとやはり自分も乗ってくるし、自分の強みではある」とトリプルアクセルを跳ぶ意義を話し、初戦から挑戦した。
スケートアメリカでは、ショートでは認定はされたもののフリーレッグがわずかに氷上をかすめたかマイナス評価に、フリーは転倒した。
「やはりシーズン初戦からトリプルアクセルを挑戦出来る状態で試合に臨んでいるのが、跳べなかった時期とは違います。(フリーでは)あれだけ大きく転倒するとリズムも崩れてしまい、『もう失敗したくない』という気持ちがでたのと、スタミナも切れてしまいました。転倒した後をどうカバーするかが今後の課題です」。
と浅田。
佐藤コーチも
「今までは、色んな状況を見てマズイなと思ったら『やめなさい』と言った時期もあった。
今は結構良い感じにできているので、数少ない競技会でどんどんやらせたいと思っている」
という。
昨季までは調子によってトリプルアクセルを回避することもあったが、
今季は「何が何でも挑戦」がベースであることを明かした。
続くNHK杯では、ショート、フリーとも着氷が乱れた。
佐藤コーチは
「他のジャンプについてはもっとスピードが欲しいが、トリプルアクセルに関しては彼女の体力に一番合ったスピードでいかないと。
練習ではだいぶ固まってきているが、やはり本番になると興奮状態で普段よりスピードがあり、
わずかに身体が(左に)フラれてしまう」と冷静に分析した。
本番でのミスの原因が掴めると自信がついたのか、浅田は守りに入るどころか攻めに出た。
「練習での調子は上がっているし、(フリーで)2本入れても大丈夫なんじゃないかな、と感じるようになりました。もっと上のレベルを練習することは楽しいし、試合で決められたらもっと最高だから」
と考え、NHK杯に“ショート1本、フリー2本”の最高レベルの組み合わせでの練習を開始したのだ。
グランプリファイナルまで、練習日数としてはわずか2週間だった。
どれほど高い壁かは2人にしか分からない
そのグランプリファイナル。
ショートでは、片足で着氷に成功したが、フリーは転倒、そして両足着氷となった。
無茶な挑戦をしたのでは、という周囲の雰囲気を感じながら、浅田は言葉少なにこう言った。
「(フリーで)1本目で転んで、落ち着いて2発目に行こうと思ったけれど、大きな転倒をしてしまうと次が難しかった。1回目の転倒ってすごく大きくて、体力も奪われてしまいますし、まだまだ(2本を想定した)シミュレーションができていない中での挑戦だったので、練習が必要です」
フリーで2本への挑戦について、佐藤コーチはこう戦略を明かした。
「決して競技会をないがしろにしている訳ではないが、挑戦してみないと分からない事もあるので今回は取りあえず挑戦してみるという判断をした。
本人には、挑戦したい強い気持ちがある。それを取り上げるのはテンションにも影響するので、危険性とのバランスを考えた時に、とりあえず今は何が何でも挑戦する方向。
2本入れると、エネルギーを使った、(演技後半が)どうなるかが読めない部分がある。
慎重に検討しなければならないと私自身は考えている」
そして佐藤コーチは、浅田を守るかのように、こう付け加えた。
「女性にとってのトリプルアクセルというのは能力的にとんでもなく難しいものだなというのを痛感させられた」
トリプルアクセルは皆が思うよりも難しいのだ、というちょっと弱気の言い訳。彼女自身が決して口に出すことができない葛藤を、まるで代弁しているかのようだった。
浅田が公式大会で初成功させたのは04年のジュニア時代。
そこから10シーズン目の今なお跳んでいることが、驚異的なのだ。
23歳のいま、計3本入れることがどれほど高い壁かは2人にしか分からない。
意欲を支えにする浅田と、淡々と戦略を練る佐藤コーチ。2人は究極の一瞬を目指す。
<了>
(以上転載終了)
******
男子でさえ難しいとされる3A.
真央ちゃんの代名詞のようになっていたけれど、どれだけ
困難な道だったでしょう。
男子並みの体力、恐怖心との闘い、しかも
彼女は最後の最後まで挑戦をやめなかったし、
最後になってしまった全日本の6練では
実に綺麗に3Aを決めたのでした。
ただ跳んだ、というだけでなく、彼女のジャンプは
優雅で美しかったです。
これは女子で、前人未到の偉大な功績だと思います。
それなのに、日本のメデイアは
「どれだけ凄いか」を
あまり言いませんでした・・・。
こと、浅田真央に関しては
過小評価するように印象付けるような報道が多かったように思います。
跳んで当たり前、というような報じ方でした。
3Aを跳ばなくても真央ちゃんは勝てたと思います。
でも敢えて挑戦し続けました。
そのことだけでも驚異的な、奇跡的な事だったと思います。
そういったことを痛切に感じました。







