道 (1954年の映画)
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La Strada
監督 フェデリコ・フェリーニ
製作 カルロ・ポンティ
ディノ・デ・ラウレンティス
脚本 フェデリコ・フェリーニ
エンニオ・フライアーノ
トゥリオ・ピネッリ
出演者 アンソニー・クイン
ジュリエッタ・マシーナ
音楽 ニーノ・ロータ
撮影 オテッロ・マルテッリ
配給 イタリフィルム / NCC
公開 1954年9月22日
1957年5月25日
上映時間 104分
製作国 イタリア
言語 イタリア語
allcinema
キネマ旬報
IMDb
表・話・編・歴

『道』(みち、原題:イタリア語: La Strada)は、1954年(昭和29年)製作・公開のイタリアの映画である。フェデリコ・フェリーニ監督作品で、1956年(昭和31年)のアカデミー外国語映画賞を受賞した。自他共に認めるフェリーニの代表作の一つ[要出典]。フェリー二の作品の中では最後のネオリアリズム映画といわれる。アンソニー・クイン以外は日本では無名で、女優も美人とは言い難かった[要出典]が、日本でも上映されると口コミで評判を呼んだ。ヨーロッパのキリスト色が、いたるところに見られる[要出典]。

目次
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1 ストーリー
2 キャスト
3 主題曲
4 関連事項
5 註
6 外部リンク


ストーリー [編集]

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注意:以降の記述で物語・作品・登場人物に関する核心部分が明かされています。


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旅芸人のザンパノは芸の手伝いをする女が死んでしまったため、その姉妹のジェルソミーナをタダ同然で買い取った。粗野で暴力を振るうザンパノと、頭が弱いが心の素直なジェルソミーナは一緒に旅に出る。

道化の格好で芸をするジェルソミーナ。新しい生活にささやかな幸福さえ感じていたのだが、ザンパノの態度に嫌気が差し、街へと逃げていく。そこで陽気な綱渡り芸人に出会う。ジェルソミーナはザンパノに連れ戻されるが、綱渡り芸人のいるサーカス団に合流することになる。綱渡り芸人はザンパノと古くからの知り合いらしく、何かとからかってザンパノを逆上させる。ある日、限界を超えたザンパノはナイフを持って追いかけるのだが、その行いで逮捕されてしまう。

綱渡り芸人はサーカス団から追放され、ジェルソミーナに助言を与え去って行く。翌日、ジェルソミーナは釈放されたザンパノを迎え、2人だけで芸をする日々をすごした。しかし後日、ザンパノは故障した自動車を直す綱渡り芸人を見かける。仕返しする機会を待っていたザンパノは綱渡り芸人を撲殺する。

なきがらのそばから離れようとしないジェルソミーナは、綱渡り芸人の死に放心状態となった。ザンパノは、大道芸のアシスタントとして役に立たなくなったジェルソミーナを見捨て、居眠りしている彼女を置き去りにして去ってゆく。

数年の時が流れ、見知らぬ海辺の町に立ち寄ったザンパノは、耳慣れた歌を耳にした。ザンパノがたずねると、ジェルソミーナと思われる女が、しばらくその海岸を放浪していたが、誰にも省みられることなく死んでいったという。それはジェルソミーナがよくラッパで吹いていた曲だった。海岸にやってきたザンパノは、絶望的な孤独感に打ちのめされ、ひとり嗚咽を漏らすのだった。


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以上で物語・作品・登場人物に関する核心部分の記述は終わりです。


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キャスト [編集]
ザンパノ:アンソニー・クイン(イタリア語のZampaは悪の意味。悪漢の象徴)
ジェルソミーナ:ジュリエッタ・マシーナ(Gelsomina:イタリア語でジャスミンの意。花の名前、純粋さの象徴)
綱渡り芸人:リチャード・ベイスハート(il Matto:イタリア語で狂人の意味。イルマットや、キ印と訳されることがある)
(Wikiより)













一月九日、BSで観る。

子供の頃数度、TVにて鑑賞。


以前は暗く、ただ悲しい印象だった。

子供だったのでこの高度な作品の良さがイマイチ

理解し切れなかったのか。






今回、観て、本当に泣けた、切なくて憐れでいじらしくて
ジェルソミーナの魂がたまらなく愛おしかった。







ザンパノも憐れだと感じた。
バカの一つ覚えみたいに年をとっても
ただ一つの大道芸をあいも変わらず披露して
日銭を稼ぐその日暮しに変わりはない。







ラストシーン、浜辺で何ともいえない表情で泣くザンパノは
無知蒙昧で野蛮で愚かで、切ない。







開巻、たったニ、三の台詞だけで
このジェルソミーナの境遇や家の状態などが
わかる。余計な説明はない。しかし観る者に瞬時に悟らせる手腕。







そしてそこここに「天使」や「修道女」や「葬式」が
シンボリックに登場する。







愛別離苦、生きることと死ぬことは人生であり
表裏一体であり、また宗教的意味もあると感じさせる。










「石ころにも存在の価値がある」と
キ印に言われ、自らの存在をサンパノと共にあることを
「選ぶ」その結果、不幸な結末を迎えてしまう、が・・・・・。










しかし不幸だったのは一体誰であったろうか。

救う者が救われていたのかもしれず




・・・・「道」これは単純なお涙頂戴の

作品には、足元にも及ぶことができない

不朽の名作だ。
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