臓器移植法4案


《リーダー》
今国会では臓器移植法の改正案が採決されようとしている。その改正四案についての意見。

《本文》

 日本小児科学会の倫理委員会は、15歳未満の臓器提供を解禁する「A案」には反対し、「12歳以上」に引き下げる「B案」を支持するのだという。「A案」の問題点は、親に虐待された子どもの臓器提供を防ぐ診断体制が確立されていない点、子どもの脳死判定の基準は大人の場合のようにはクリアにいかない点、どのようにして子どもの意思を確認するかについてコンセンサスが得られていない点を挙げている。
 移植年齢撤廃の「A案」を支持する日本医師会と袂を分かつ結論である。

 乳幼児ほど脳に障害を受けた場合の回復力が大きいことは良く知られた事実である。脳死と判定された5ヶ月の男児が、診断6日後に自発呼吸が戻りその後も4年3ヶ月存命した例が報告されている(近畿大病院救命救急センター)。

 ご存知のように現行法では、臓器移植は提供者本人(15歳以上)の意思表示(書面)と家族の同意が必要で、「6基準」による脳死判定が条件になっている。それに対して今国会には、脳死を一律に人の死と定め、年齢制限を撤廃し、本人の意思が不明の場合は家族の判断を認めるという「臓器移植解禁」の「A案」、現行法の「15歳以上」を「12歳以上」と引き下げる「B案」、現行法の骨格はそのまま脳死の判定基準をより厳格化する「C案」、「A案」をやや厳しくした「D案」(年齢制限は撤廃するが15歳未満の場合は第三者の意見を加えて判定)の四案が提出されている。
 脳死を人の死と定める「A案」はその点だけでも大いに疑問である。「胸に手を当てて考えてごらん」といった文化を今この時点で多くの人が乗り越えて行こうという考えであるが、そういう方向へ歩みをすすめることが進歩であるかどうか怪しい。脳が生命を司っているというのは近代医学では「常識」なのだろうが、脳が機能していなければ死んだんだと決めてしまうことには多くの人が抵抗感をもつことだろう。医学は人間のすべてを解明するところまでは進んでいない。まだまだ手探りで不明の領域は広い。脳死を人の死と定めるやり方はいかにも強引で、人間の奢りを感じる。
 もちろん臓器移植を進めるためにはこれが一番便利なわけだが、生きているとしか信じられない人を人為的な線引きによって死者の側に位置づけてしまうことには躊躇せざるをえない。それは家族がいようといまいと同じだろう。死生観は文化や個人によって大きく異なることを認めるべきである。それが私たちの社会の基本的なルールだろう。

 残るB~D案のうちどれがいいのだろう。消去法で考えて行こう。
 まずは家族が本人の意思を代行できるというA案を受け継いでいる「D案」は消すことができる。家族といえども宗教が異なることや死生観が異なることはごく普通にあるのだから、そういう思想信条に関わることに「代行」「委任」を持ち込むことにはムリがある。
 すると残るは「B案」と「C案」である。
 両者の違いは「B案」が意思表示可能な年齢を「12歳以上」に引き下げているのに対し、「C案」は現行法と同じ「15歳以上」にしている点にある。子どもといえどもその意思を尊重すべきであるという考えは「子どもの権利条約」を引き合いに出すまでもなく世界の流れといってよい。だが、子どもを大切にする文化(「甘えの文化」)が根付いている日本では、子どもの自立をなかなか認めようとしないのが今もって伝統である。だから意思表示を12歳にまで下げることには抵抗があると思う。

 問われているのは、グローバリゼーションへの対応であろう。
 私は、それぞれの文化のもつ固有の伝統、それに基づく医学的基準があってよいと考えている。現行法は移植を進める立場からすれば確かに「遅れて」いるが、日本の固有の文化を尊重していると言う点では評価できる。私も基本的にそれに賛成である。
 国内では子どもへの臓器移植ができず海外へ移植を受けに行く人がたびたびニュースになり、渡航を支援する周囲の人々の善意を美談として報じるスタイルが定着してきた。だが、私はそれをむしろ複雑な気持ちで受けとめている。渡航は自由だが私はそれに賛成ではない、そのサポートのための寄付行為に応じる気はない、と。それに、まだどの国でも移植できる臓器が潤沢にあるわけではないから、金持ちの日本人が移植を求めて海外へ行くと、現地の人々の権利を奪う結果になるという指摘は当たっているとも思っている。WHOも日本のそういう行動を批判していると聞く。
 人間のデリケートな部分を法律で一律に線引きすべきではない。移植すれば助かる人をみすみす死なせてしまうのは確かに惜しいし、家族なら何としてでも助けたいと思うだろう。だが、心臓も腎臓も肝臓も他人のものになった人間が出来上がるとすればソイツは一体何者なのかという疑問もわこう。自分がそうして生き延びたいと思うかというとどうだろう。移植できる臓器の数は制限すべきかも知れない。
 一方、今日グローンバリゼーションは拒めば済むという性質のものではなくなった。常に何らかの対応が求められる。つまり変革である。
 移植可能年齢を「12歳以上」と引き下げる「B案」は今の時点でギリギリ譲れるラインかも知れない。
 完全に割り切れてはいず苦しいところだが、「B案」支持としておきたい。


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(シードンどううつ記さんブログより 転載)

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「脳死」が人の「死」と断定するようなことはどうだろうか。

今後の成り行きを注視したい。


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