皇紀2669年 | 翡翠のブログ

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Hinomaru あけましておめでとうございます




皇紀2669年、丑歳を迎え、今年こそは請願成就、となりたいものです。


テレビで一般参賀を見て、いつかは行ってみたい


などと思いつつ、近くの車折神社へ参拝致しました。




あとはお笑い番組をのんびりと楽しんでいました。




神社への参拝も心が洗われる様で、いいものでございます。


親も特に信心深くもなかったので、私もどちらかというと


無宗教だと思います。幼い頃には近くの教会へ行き


少しは聖書の教えも受けました。


そしてお正月には必ず神社ですし、身内の不幸には


お寺にお世話になりました。


一神教の国では考えられないことですが、これが


寧ろ日本の鷹揚な、良い点だと思います。


ただ、キリスト教における聖書のように明文化されたものが


ない故に、戦前では規範のため教育勅語や修身が


有効でした。そして戦後しばらくはその教えを受けた人々が


まだ多くいらしたので、「文」はなくても口伝えで


教えられました。しかしもう、そんなものは旧いといって


どんどん捨て去られました。


その風潮に顕著なのがCMの「常識って言う奴と


おさらばした時に、自由という名の切符が手に入る」という


コピーに現れています。



戦後、どれだけ、日本では「自由」が第一の最大の


価値として君臨してきたことでしょう。


アメリカのリバイアサニズムもそうであって


自由が絶対的価値となった時


それはテロの自由やナイフで殺害する自由、麻薬を使用する自由をも


認めざるを得ない理屈が生まれてしまいます。


決してそのような過激な自由が許されるわけはないのに。


アメリカでさえ、厳しい社会的掟というものの中に


あの混沌社会を纏め上げると言う常識を持たざるを得ないのに。



これから日本が考えるべきは「この国」などと


客観を装っていないで「我が国」とまずは言ってみることです。


そして、昔の人の教えに虚心坦懐に


耳を傾け素直に受け入れることです。



昔の人に感謝しつつ。