■はじめに

今回の投稿では、赤色立体地図で発見した城郭遺構と考えられる地形を「城郭」としてどのような構造であるかを報告する。
また、本城郭の規模を視覚的に想像しやすくするために、CGで簡易的に再現してみた。

■本城郭について

本城郭は今年5月に全国Q地図の色立体地図(DEM1A)を眺めていた際発見した城郭遺構と考えられる地形である。
まだ埋蔵文化センターには連絡していないが、調べることができた範囲では既知城郭であることは確認できなかった。

■立地

本城郭は座標34.115713,134.176845地点位置している。

標高約358mであり、台ヶ丸山の南尾根に位置する。北東は西阿瀬比谷(河川)、南東は東俣谷川、西は曽江谷川が流れている。(図1)

 

図1

■縄張り

本城郭は西側(城郭背後)を幅11m、深さ4m程の堀切1で遮断している。最も広い郭2は東西36m、幅10m程で、その西側には2mほど高く盛られた郭1が設けられる。郭1はやや三角形状を呈している。郭2の東には幅6m程の腰曲輪(郭3)が、郭1・2の北側には帯曲輪が設けられている。(図2)
また、郭1東側から南に延びる尾根上には道らしき地形、道1が見える。(図3)

 

 

図2

 

図3

 

■他城の関係性

東に城野城、北に台ヶ丸が位置し、2城共同じ尾根上に位置する。(図4)
歴史がほぼ不明に近く、本城郭との関係性を考察するには資料が足らない。

・城野城(図5)
東西17m、南北7m程で南に土塁を設け、西側は抉れているが、南側に土塁が設けられる。

・台ヶ丸(図6)
楕円形の郭をした単郭式である。北東側は傾斜があり、自然地形に近い。

上記の通り、本城郭を含めた3城共構造が全く違う。本城郭や堀切や櫓台、帯曲輪が明確に確認できるのに対し、他2城は自然地形に近い。
そのため、筆者はそれぞれ別の時期に築城されたと考察する。

図4

 

 

図5

 

図6

 

■CG再現

登城道は道1として、門は郭2の東側先端に配置した。

 

郭1~3は広さがあるため、主要な郭と推測し、柵列を廻らせた。腰曲輪は狭く、切岸造設時の副産物で捨郭と認識し、何も配置していない。だが、郭3も捨て郭の可能性、もしくは主要な郭ではない可能性があり、当時は防御設備がなかった可能性もある。登城道は道1として、門は郭2の東側先端に配置し、郭1は東側に門を配置した。
郭1は東西15m、南北15m程と思いのほか広く、主屋を中央に配置し、河川・平地を見渡しやすい南側に井楼櫓を配置した。郭2は兵の駐屯としての空間であると考察し、蔵と陣小屋を並べた。
城郭北の斜面は南の斜面に比べて山麓から近く、防御力を補うため、逆茂木を並べ、それぞれの支尾根にも逆茂木を並べた。

また、小物として、柵に狭間の開いた簡易的な板を張り、旗印・竹束を並べた。

 

 

■CG再現でわかったこと

CGによって建物を配置することで、城郭全体の空間構成や規模を視覚的に把握することが容易となった。さらに、本城郭は想定以上に広い空間を有しており、単なる見張り台としての機能にとどまらず、兵の駐屯にも十分対応し得る規模を備えていたことが明らかとなった。

■おわりに

本城郭について、周辺城郭との比較から歴史的背景を考察することは、関連資料が不足していることに加え、本城郭と周辺城郭との間に縄張り上の類似性が認められなかったため、困難であった。

しかし、CG上で建物を配置することにより、一定数の兵が駐屯することが可能であることが確認できた。

赤色立体地図のみでは、各曲輪や空間の規模を直感的に把握することが難しく、縄張りの形状から考察することが中心となる。そこで、CG上に建物を配置することで、空間の規模を視覚的に把握することが容易となり、城郭の規模感をより具体的に捉えられることが確認できた。

今後の城郭研究においても、従来のように縄張りの形状のみを分析対象とするのではなく、CGによって城郭空間を立体的に再現し、その規模や構成を視覚的に把握することが重要となるであろう。こうした空間的な視点を取り入れることによって、これまで図面上の縄張りからは捉えることが困難であった城郭の機能や利用形態、さらには当時の城郭空間における人々の活動のあり方についても、新たな知見を導き出す可能性がある。すなわち、CGによる空間の可視化は、城郭を単なる「縄張り」として捉える従来の研究手法を補完し、城郭を実際に利用された立体的な空間として再考するための、新たな研究手法となり得るであろう。

■参考文献

・徳島県教育委員会.(2011).『徳島県の中世城館』.徳島県教育委員会.637.

・服部 英雄(2007)「中世城郭の復原と史科学」『遺跡学研究』4号.pp54–61.