後祭の山鉾巡行・後編ー②おまけ・祇園祭の変遷 | 京都案内人のブログ

京都案内人のブログ

京都散策ー四季の風情や町並み、名所、歴史、人物を訊ねる。たまに言いたい放題。

南観音山の音頭取

 

 

 

祇園祭の山鉾巡行は、意外とその

 

ルールが変更されることが多い。

 

 

 

 

六番目の南観音山

 

 

 

後祭の場合も橋弁慶山が先頭で、

 

次に北観音山が二番と決まってい

 

たが、昨年から決まりが変った。

 

 

 

 

 

 

今年六番手を務めた南観音山は、

 

来年には二番手となる。

 

 

 

南観音山と先行する山(左端は北観音山)

 

 

 

祇園祭は、1200年以上前の起源

 

を持つが、つねにその時代に対応

 

する先進的なところがある。

 

 

 

 

七番目の浄妙山

 

八番目の八幡山

 

九番目の役行者山

 

 

また、この祇園祭の神事や山鉾の

 

保存管理も、山鉾町の町衆が脈々

 

と受け継ぎ、現在は山鉾連合会を

 

母体として運営されているので、

 

政治の入る余地もない。

補助金制度なども活用している

 

 

 

くじ取らず十番目の鷹山

 

鷹山

 

鷹山の囃子方

 

 

 

これが祇園祭のすごいところで、

 

京都町衆の筋の通った心意気と

 

歴史を超えた頑固さや先進性を

 

併せ持つ日本唯一の祭りだろう。

 

 

 

殿(しんがり)をゆく大船鉾

 

大船鉾の音頭取

 

大船鉾

 

 

 

京都人として祇園祭は、何かの

 

神事にどうしても関わり、一年

 

の家族の無病息災を願わずには

 

いられない。

 

 

 

 

殿の大船鉾と鷹山

 

 

後祭の巡行が終わった御池通

 

 

 

 

おまけ

 

近年の祇園祭の変遷

・1864年(元冶元)禁門の変で多くの

山鉾が罹災し、前祭の山鉾巡行はなし。

・1872年(明治5)にはほとんどの

山鉾が復興して巡行が行われた。

1886年(明治19)からコレラ流行や

山鉾の財政難が続いて不参加が多し。

・1943年(昭和18)より山鉾建て・

巡行を中止。

・戦後、長刀鉾は寺町四条まで往復曳行。

1952年(昭和27)、当時の前祭13基が

巡行した。

・1961年(昭和36)、順行路を現在の

ルートに変更された。

・1966年(昭和41)から途絶えた後祭を

2014年(平成26)から49年ぶりに復活。

・大船鉾が「蛤御門の変」以来150年ぶ

りに曳き鉾として後祭巡行に参加。

・鷹山がコロナ禍の苦労も乗り越え、

2022年、後祭に196年ぶりの復興を

遂げた。

 

 

 

昨年の中御座の神輿渡御(三条通商店街)

 

 

今年の祇園祭も24日の還幸祭が終わり、

後は31日の八坂神社の境内社・疫神社の

夏越祭で幕を閉じる。

 

 

疫神社夏越祭

 

 

 

 

 

2024年祇園祭関連(了)