竹内栖鳳ー②徹底した古典学習と模写 | 京都案内人のブログ

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鳥獣戯画「流鏑馬図」模写・1888年(明治21)

 

 

 

 

画塾から独立した栖鳳は、京都

 

内外の展覧会に多く出品し、

 

受賞を重ねた。

 

 

 

相阿弥「水墨山水図」模写・1889年(明治22)

 

 

 

その中で、より挑戦的な作品を

 

制作、1892年(明治25)に発表

 

した「猫児負喧」は、猫を丸山派

 

草花は四条派、岩を狩野派とそれ

 

ぞれ別の描き方で表した。

 

 

 

猫児負喧・1892年(明治25)

(出品されていない)

 

 

 

しかしこれが、伝統をぶち壊した

 

「鵺派※」の絵画だと新聞などで

 

大批判された。

※鵺(ぬえ)は古い日本の妖怪で、様々な動物の

パーツを集めた異形の生き物。

 

 

 

秋郊暮雨図・1893年(明治26)

・四条派風山水図

 

 

 

当の栖鳳は、こうした批判を物と

 

もせずに、新機軸を生み出すため

 

にさらなる意欲に燃えた。

 

 

 

富士川大勝図・1894年(明治27)

・やまと絵を踏襲した作品

 

 

 

修業時代から新しい日本画を生み

 

出すため、四条派の技巧を習得し

 

他にも雪舟の水墨画や円山派など

 

古に学ぶ努力を怠らなかった。

 

 

 

 

雪舟「山水長巻」模写・1890年(明治23) 

 

 

 

徹底的な古典学習や模写は、

 

やがて流派を超えた栖鳳の独自の

 

画境を生み出すことになる。

 

 

 

 

枯野の狐・1897年(明治30) 

 

 

 

30歳を過ぎた頃の栖鳳は、

 

自らが追い求める新しい日本画を

 

見出しつつあった。

 

 

 

観花・1897年(明治30)