奇縁まんだら⑦ー国民的作家は太っ腹 | 京都案内人のブログ

京都案内人のブログ

京都散策ー四季の風情や町並み、名所、歴史、人物を訊ねる。たまに言いたい放題。

若き頃の司馬遼太郎

 

 

 

 

国民的作家とは、司馬遼太郎の

ことである。

 

まだ司馬遼太郎と面識がなく、

寂聴さんが駆け出し小説家となっ

た頃のこと。

神田神保町の高山本店で、資料の

本を買うようになったが、店主が

口癖にいっていたことがあった。

 

 

それは小説家の中で、断トツ本を

買うのが司馬遼太郎だという。

 

いつも一度に棚一杯を買い上げて

待たせていたトラックで運んだ

そうだ。

 

寂聴さん、その桁外れの買い方に

とても敵わないと思ったそうだ。

 

 

その後、司馬は超売れっ子作家

となり、寂聴さんも名前の知れた

小説家となっていった。

 

51歳で出家して間もない頃、

京都ホテルのロビーで司馬に

ばったり逢うと、さりげなく

お茶に誘われてコーヒーを

ご馳走になった。

 

司馬は、坊主頭の寂聴さんを

しげしげ見つめ、

「似合ってるよ。ずっと前から

そんな頭だったみたいに」

と、あたたかな微笑で包み込む

ようにつぶやいてくれたそうだ。

 

その後、比叡山横川で3ヶ月の

行を終え、嵯峨の寂庵に移った

とたん、くも膜下出血で倒れた。

 

世間には黙って療養していたが、

年も明けた正月に突然、遠藤周作

から電話が入った。

 

司馬夫妻と一緒に京都ホテルに

いるという。そして司馬が病気の

寂聴さんのことを知り、励まして

やろうと、「千花」に招待された

※千花:

1946年(昭和21)創業の京料理店。

四条通南座の少し東の路地を入った場所にあって、

料理の美味さで京都一と評判になった伝説の店。

現在は祇園町北側に移転している。当時はご主人の

おまけせ料理で、カウンター席では客の目の前で

包丁さばきや盛付け、出汁とりまで見せてくれた。

器は古伊万里や古九谷などが見事に揃っていた。

料理はすべてが絶妙の味付けで、高額でも納得できる

逸品だった。

 

 

千花の2階の座敷に行くと、

すでに遠藤夫妻と司馬夫妻が揃って

いて、司馬がやさしく声をかけて

くれたそうだ。

 

「出家を遂げてすぐ大病して可哀

想やったね。でも、その程度で

よかった。気い落とさんと早う

書くことやな」

 

寂聴さんは涙を堪えることが

出来なかった。

 

 

 

司馬遼太郎 画:横尾忠則

 

 

 

それから10年ほど経ったある日、

毎日新聞の大阪代表だった人が

突然出家した。(編集責任者)

 

この時も、司馬はその人の得度祝い

の席を設けた。

先斗町の「ますだ※2」の2階に人々

が集まった。

ますだ:

1952年(昭和27)年創業のおばんざいの老舗。

お酒に合う季節の一品を揃えて評判となった。

司馬遼太郎が新聞記者時代から通ったことで

知られている。

 

 

会も終わりに近い時、用意させて

あった大きな屏風を席に出させ、

その上からあれよあれよと客が目

をみはる中で、墨痕鮮やかに即席

の詩を書き上げた。

 

 

瀬戸内の奈良本丸の走るなる

八尋の海の秋の永きや

依田の山添下村荒るる

秋の北風森谷に満つる

猛き武夫なる

思ひ遙かな夏の藤波

           遼

 

 

出席者の名前がすべて詩に読み

込まれいた。

・皆さんは誰が参加していたか分かりますか?

 最初は寂聴さん、続いて奈良元辰也など…

 出席者の名前が隠されている。

 

 

 

ここに掲げた席の費用は、すべて司馬遼太郎の奢り。

太っ腹の国民的作家だった。

 

 

 

 

 

 

 

瀬戸内寂聴「奇縁まんだら」より

著:瀬戸内寂聴 

画:横尾忠則

発行:日本経済新聞出版社