多才なアーティスト和田誠 | 京都案内人のブログ

京都案内人のブログ

京都散策ー四季の風情や町並み、名所、歴史、人物を訊ねる。たまに言いたい放題。

 

 

 

 

先月、好きなイラストレーター

 

の和田誠展に行ってみた。

 

 

 

 

展示会フライヤー表紙

 

 

 

 

和田誠という人物は、とにかく

 

天才だ。私の天才アーティストの

 

定義は多作なことが一つ。

 

 

 

 

 

イラストやグラフィック作品

 

 

 

 

とにかく多才な人で、イラストや

 

似顔絵、デザイナーから装丁、

 

映画監督などとしても活躍した。

 

 

 

 

 

レコード・ジャケットデザインおよびイラスト

 

 

 

 

多摩美術大学在学中に応募した

 

ポスター「夜のマルグリット」が

 

日本宣伝美術会賞に選ばれる

 

など、その天才ぶりが現れていた

 

 

 

 

ポスター「夜のマルグリット」

 

※日本宣伝美術会:

1951年(昭和26)に結成された広告美術団体。作品の公募を初め、

デザイナーやイラストレーターの登竜門的な存在だった。

しかし徐々に権威主義的な風潮となって、美術学生や若手デザイナー

から猛反発を受けて、1970年(昭和45)に解散した。

 

 

 

 

 

和田誠の略歴

1936年(昭和11)4月10日、大阪市東住吉区で生まれ。9歳の時に一家で東京都世田谷区代田に転居したが、誠は家族と一人離れて疎開した千葉県で敗戦を迎えた。

多摩美術大学卒業後、ライトパブリシティ※に入社して、すぐに日本専売公社が発売予定の新商品の紙巻きたばこ「ハイライト」のパッケージデザインコンペに参加して採用されている。その後も同社で国内有数の企業の広告デザインを長らく担当した後、1968年(昭和43年)退社。フリーランスとなった後も「週刊文春」の表紙や星新一著作の挿絵などを手掛ける。他、星新一・丸谷才一の一連の作品や村上春樹の『アフターダーク』、三谷幸喜や阿川佐和子作品を始め、数多くの装丁を担当する。1980年代には真田広之主演の「麻雀放浪記」や小泉今日子主演の「快盗ルビイ」など数作品で映画監督としても話題となった。その後も活躍を続けたが、2019年に死去。

 

※株式会社ライトパブリシティ:1951年に日本で初めて広告制作専門の制作会社として設立。

土屋耕一や秋山晶といったコピーライターの草分け、細谷巌や田中一光、浅葉克己、和田誠などのアートディレクター、篠山紀信や坂田栄一郎らなどのフォトグラファーが在籍した。

 

 

 

 

 

 

スケッチ