萩を訪ねてー④木戸孝允と伊藤博文のこと | 京都案内人のブログ

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木戸孝允の旧宅

 

 

 

 

萩藩士で明治維新政府の要人となったのは、

 

井上馨や山県有朋、木戸孝允、伊藤博文の4人。

 

このうち木戸と伊藤の二人は、幸運に恵まれた

 

人物とも言える。

 

 

 

 

桂小五郎(木戸孝允)時代の肖像

 

 

 

 

木戸孝允は、幕末動乱期、桂小五郎を名乗って

 

いた京都において二度命拾いをしている。

 

 

 

 

木戸孝允旧宅

 

 

 

 

一度目は池田屋事件で、会合に参加予定だったが、

 

時間が早く到着して対馬藩に寄っていて難を逃れた。

 

 

 

 

裏庭の夏みかんの木

 

 

 

 

もう一つは禁門の変(蛤御門の変)の時、

 

戦火を潜り抜けて京都を脱出して出石に8ヶ月間潜伏した。

 

 

 

 

桂小五郎の潜伏を助けた芸妓幾松との寓居跡(京都木屋町御池上る)

 

 

 

 

翌慶応元年4月に長州に戻り、その後は薩長同盟を

 

結び、明治維新にも多大な功績を残した。

 

 

 

 

 

 

 

 

伊藤俊輔(博文)時代の肖像

 

 

 

 

一方の伊藤博文は、幕末の動乱期に白刃を交えることもなく、

 

第二次長州征伐や戊辰戦争にも参加していない。

 

 

 

 

 

伊藤博文旧宅

 

 

 

 

高杉晋作や木戸孝允の下で藩政改革に参画するようになる。

 

明治維新後も木戸孝允の後ろ盾と英語力を買われて、

 

外国事務局判事や大蔵少輔兼民部少輔など徐々に要職を

 

歴任するようになった。

 

 

 

 

伊藤博文旧宅の室内

 

 

 

 

その師と仰ぐ高杉晋作は明治維新を前に病没し、

 

木戸孝允も、新政府の骨格を作ったのちに若くして病没。

 

 

 

 

旧宅横の公園に建つ伊藤博文像

 

 

 

 

残った伊藤博文は、その後新政府の初代内閣総理大臣に

 

なったことは誰もが知ること。