京都市京セラ美術館の東山キューブで
森村泰昌の展覧会が開催されている。
最近、こうした現代アートに接する機会が
少なかったので、少し興味を覚えて行ってみた。
展覧会チラシ
この森村泰昌という作家のことはほとんど知らず、
ただ若い頃に何かで観た、彼の作品「肖像・ゴッホ」
の印象が残っていたほどで、
ゴッホ「包帯をしてパイプをくわえた自画像」
森村泰昌「肖像・ゴッホ」(1985年)
西洋の名画をモティーフにした
パロディ作家だと思っていた。
作家自身が、「観客の皆さんに大いに迷って
いただくゲームのような展覧会である。」
というように、展示会場はまるで迷路のようで、
どこからどう観るのか分からない。
展覧会場(撮影:沢田眉香子氏・フォトレポートより拝借)
とにかく私は何も考えず、何も思わずに
好きなように観て、好きなように感じた。
森村泰昌「作品M149」
(撮影:沢田眉香子氏・フォトレポートより拝借)
それでも、しっかりとしたポリシーを持った
作家の作品はやはり面白い。
森村泰昌「衣装の隠れ家」
(撮影:沢田眉香子氏・フォトレポートより拝借)
彼の作品のテーマである「西洋美術史になった私」や
「女優になった私」、「なにものかへのレクイエム」など、
どれをとってもクスリと笑う楽しやさや面白さがある。
森村泰昌「家族の肖像・妻」
しかしその裏には、自信を見つめる真摯な態度と
人間が持つ多面性への憧憬と羨望が垣間見える。
森村泰昌・サルバドール・ダリに扮した作品「M135」
(撮影:沢田眉香子氏・フォトレポートより拝借)
展覧会のコンセプト:
何者かになり変わることで自己を解体し、一個人における複数の顔を
露呈する森村の表現は、スマートフォンの進化やSNSの普及によって
身近になった「自撮り」と共通するも、決定的に異なる面を持っている。
そこには、自己への透徹した眼差しと、一人の人間が複数の存在として
生きていくことへの圧倒的な肯定を見ることができる。
(展覧会公式サイトより)











