京都御苑の9御門ーその8・9・清和院御門と寺町御門 | 京都案内人のブログ

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清和院御門

 

 

 

 

清和院御門と寺町御門に続く南北の築地塀の内に

 

大宮御所と京都仙洞御所がある。

 

京都仙洞御所とは、皇位を退かれた天皇の御所をいう。

 後水尾上皇のとき、3度焼失し、その都度再建され、以後、5代の上皇

 が使用された。1854年(嘉永7)の大火で京都御所とともに焼失し、

 造営されないままとなった。

 京都仙洞御所の呼び名となったのは、皇居の仙洞御所に対するため。

 大宮御所とは、皇太后の御所をいい1867年(慶応3)に造営された。

 

 

清和院御門(中央やや左)の北築地塀

 

 

 

 

寺町御門(門内右が仙洞御所の南築地塀)

 

 

寺町御門(中央やや右)と仙洞御所の南築地塀

 

 

 

 

 

現在、京都仙洞御所には二つの茶室以外に建物はなく、

 

南北に展開する雄大な庭園が残されている。

 

 

 

 

京都仙洞御所の北池

 

 

京都仙洞御所の八つ橋の藤(南池)

 

 

 

 

 

また同じ敷地内の北西にある御殿が大宮御所で、

 

英照皇太后(孝明天皇の女御)のために造営されたもの。

 

 

 

 

天皇の京都での宿泊所となる大宮御所(京都仙洞御所北西)

 

 

 

 

天皇皇后両陛下および皇太子同妃殿下が入洛された

 

際の御宿舎として用いられる。

 

 

 

 

 

清和院御門

 

 

 

 

清和院御門を入ると京都仙洞御所の北の築地塀が続き、

 

その先に仙洞御所の参観の入口がある。

(現在は参観休止中:4月25日〜5月11日)

 

 

 

 

京都仙洞御所の参観入口(右)

 

 

 

 

また京都御所と京都仙洞御所の辻となる場所で、

 

南北に通る当時の月之御門通は現在の倍ほどの道幅があった。

 

 

 

 

京都御所(左)と京都仙洞御所(右)の辻

 

 

 

 

 

江戸時代の月之御門通は右側の森の半分ほどが通りだった。

 

 

 

 

中央の森の部分が月之御門通だった

 

 

 

 

 

またこの辻の東に建春門、南側の築地塀の中央に建礼門、

 

その東南角の間に道喜門(穴門)と呼ばれる潜戸がある。

 

 

 

 

京都御所の東南辻(やや左が建礼門、右が建春門)

 

 

建礼門(左)と道喜門と呼ばれる穴門

 

 

 

 

室町時代、応仁の乱で京も御所も荒廃して、

 

天皇といえどその日の食事にもこと欠く有様だった。

 

餅屋を生業にしていた川端道喜(初代は渡邉姓)は、

 

そんな天皇の窮状を見かねて、

 

毎朝、天皇の朝食(御朝物:おあさもの・塩餡を包んだ餅

 

を献上した。

 

 

 

 

道喜門(この門から毎朝、天皇の朝食が届けられていた)

「川端道喜」:

創業1503年(文亀3)の京都でも老舗中の老舗の和菓子屋。名物は粽で、すべて予約制。京都市左京区下鴨南野々神町2‐12・075-781-8117

 

 

 

 

これが始まりで、その明治天皇が東京に移られるまでの

 

300年以上に亘って、天皇の御朝物を届け続けた。

 

その運んだ門が穴門で、ここだけ道喜門と呼ばれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

清和院御門の右手(北)の森の中を少し歩けば

 

京都迎賓館が見えてくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

京都迎賓館は、京都府・京都市の積年の誘致で、

 

2005年(平成17)に完成し、4月17日に開館した。

 

 

 

 

京都迎賓館中庭の池

 

 

 

 

また、2016年の春から一般公開も実施されている。

(現在休館中)

 

 

 

 

 

 

 

この迎賓館の前の松林に学習院跡の説明板が立っている。

 

1847年(弘化4)孝明天皇の時に開講した学習所。

 

公家や御所の役人の子弟に国学や歴史を教える

 

ことを目的に、学習院※と命名された。

 

 

 

 

学習院跡:

現在の皇統の最初の光格天皇が、公家の教育振興をはかるために

発案し、仁孝天皇の在位中に幕府によって御所の建春門の前の創設

が認められた。

 

 

 

 

また、このすぐ近くに「松桜」と呼ばれる山桜がある。

 

 

 

 

松桜(開花状態)

 

松桜(開花前)

 

 

 

 

 

春の大風で倒木(1996年)した老松の幹から、

 

山桜が芽を吹いたもので、今では御苑内の名物の

 

一つにもなっている。

 

 

 

 

松桜(4月下旬)

 

 

 

 

 

寺町御門を入ってすぐの南側(右)は富小路広場や

 

ゲートボール場、テニスコートなどの施設がある。

 

 

 

 

 

寺町御門

 

寺町御門(内側より)

 

 

正面にテニスコート、右側にグランドがある

 

 

 

 

とくに広場のある場所は、かつての明治時代に

 

開催された第10回博覧会までの会場があったところ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現在はその痕跡すらないが、富小路広場として野球場や

 

運動公園として使用されている。

 

 

 

 

 

博覧会場跡:

東京遷都後の京都が寂れるのを憂慮した京都府関係者らは、1871年

(明治4)、日本で最初の博覧会を西本願寺で開き、京都の伝統産業品

を網羅して展示、殖産興業を図った。第2~9回までは仙洞御所内で開催

されたが、1881年(明治14)からは京都御苑のこの地に建設された

常設会場で行われた。その後、1914年(大正3)から岡崎の京都市勧業館が会場となった。

 

 

 

 

 

 

「京都御苑の9御門」は本日が最終回です。

すでに5月となり、長々とお付き合い頂いた方々には

感謝申し上げます。

 

なかなか終息しないコロナ禍、なかなか外出も

ままならない方も多いと思います。

京都にも非常事態宣言が発出され、京都府や京都市が

管理する施設などもすべてが休園や休館となっています。

 

京都に来れない方々に、せめても今の京都の

雰囲気をお伝えしたいと思っています。

 

よければ、またご訪問頂ければ幸いです。