完成しなかった「スラヴ叙事詩」 | 京都案内人のブログ

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スラヴ叙事詩-1・原故郷のスラヴ民族(1912年)

※順番を示す数字は、舞台となった場所をしめす。

1・サルマティの平原(現在のポーランドとウクライナ国境近く)

 

 

 

 

ミュシャはその華やかな仕事の反面、歳を重ねるにつれチェコ

 

とスラヴ民族の歴史に関心を寄せて、しだいにスラヴ諸民族の

 

苦闘と団結(連帯)を描こうとした。もともとミュシャは

 

愛国者で人道主義者でもあり、フリーメイソンの会員となって

 

自由や平等、友愛、寛容の精神が自らの人生哲学となる。

 

 

 

スラヴ叙事詩-2・ルヤーナ島でのスヴァントヴィート祭(1912年)

2・現リューゲン島(ドイツ北部バルト海に面した島)

 

 

 

それを具体的な構想としたのが、アメリカで聴いたスメタナの

 

組曲「わが祖国」だといわれている。

 

ミュシャは、始めて「スラヴ叙事詩」が公開された展覧会目録

 

で次のように語っている。

 

「私の作品が目指してきたものは決して、人々の絆を破壊する

 

ことではなく、むしろ彼らの間に橋を架けること、構築する

 

ことであった。私たちは、人間が皆、よく知り合えば、

 

よりたやすく理解し合い、互いに歩みよることができる

 

という希望を常に心に抱かねばならないからだ……」

(当時の展示会図録より)

 

 

 

 

 

しかし、ミュシャの「スラヴ叙事詩」は事実上は完全な形

 

ではない。唯一完成させなかった作品がある。

 

スラヴ叙事詩-18

「スラヴ菩提樹の下でおこなわれるオムラジナ会の誓い」(1926年)

18・未

 

 

 

なぜかは明らかではないが、おそらくミュシャは制作中に

 

心ない者たちが噂する、忌まわしい言葉に触れたのだろう。

 

だからミュシャ生前中は一度も公開されることはなかった。

 

 

 

 

上図の明るい部分が、未完成で筆を入れなかった理由とされる

 

その1:

輪を作る子供のたちの周りを囲み、誓いを立てる男たちが

右手を挙げる仕草がナチスの敬礼に似ている。

 

その2:

手前の塀には、古代スラヴの神々を想起させる動物を象った

ものがある。その右端に描かれた鉤十字は、スラヴ人が好んだ

移動する太陽を意味するが、後にナチスがアーリア人(アーリア

人種ゲルマン民族)のシンボルとして使った。

 

 

 

 

 

 

スラヴ叙事詩-3・スラヴ式典礼の導入(1912年)

3・ヴェレフラット(モラヴィア王国:現チェコ)

 

 

 

 

 

ミュシャが没して、第二次世界大戦の終結後に全20作として

 

彼の故郷近くのモラフスキー・クロムロク城に寄託された。

 

 

 

 

スラヴ叙事詩-4・ブルガリア皇帝シメオン1世(1923年)

4・ブルガリア帝国ブレスラフ(現ブルガリアのヴェリキ・ブレスラフ)

 

 

スラヴ叙事詩-5・ボヘミア王プシェミスル・オタカル2世(1924年)

5・ハンガリー王国ブラスラヴァ(現スロヴァキア)

 

 

スラヴ叙事詩-6・東ローマ皇帝として戴冠する

セルビア皇帝ステファン・ドゥシャン(1923年)

6・セルビア帝国スコピエ(現マケドニア)

 

 

スラヴ叙事詩-7・クロムニェジージュのヤン・ミリーチ(1916年)

7・プラハ:神聖ローマ帝国・ボヘミア王国(現チェコ)

 

 

スラヴ叙事詩-8・グルンヴァルトの戦いの後(1924年)

8・グルンヴァルト:(現ポーランド)

 

 

スラヴ叙事詩-9・ベツレヘム礼拝堂で説教をするヤン・フス師(1916年)

9・プラハ:神聖ローマ帝国・ボヘミア王国(現チェコ)

 

 

スラヴ叙事詩-10・クジーシュキでの集会(1916年)

10・クジーシュキ:神聖ローマ帝国・ボヘミア王国(現チェコ)

 

 

スラヴ叙事詩-11・ヴィートコフ山の戦いの後(1923年)

11・プラハ:神聖ローマ帝国・ボヘミア王国(現チェコ)

 

 

スラヴ叙事詩-12・ヴォドニャヌイ近郊のペトル・ヘルチツキー

(1918年)

12・ヴォドニャヌイ:神聖ローマ帝国・ボヘミア王国(現チェコ)

 

 

スラヴ叙事詩-13・フス派の王、ポジェブラディと

クンシュタートのイジー(1923年)

13・プラハ:神聖ローマ帝国・ボヘミア王国(現チェコ)

 

 

スラヴ叙事詩-14・ニコラ・シュビッチ・ズリンスキーによる

シゲットの対トルコ防衛(1914年)

14・シゲット:ハンガリー王国(現ハンガリー・シゲトヴァール)

 

 

スラヴ叙事詩-15・イヴァンチツェの兄弟団学校(1914年)

15・イヴァンチツェ(ハプスブルク君主国:現チェコ)

 

 

スラヴ叙事詩-16・ヤン・アーモス・コメンスキーのナールデンでの

最後の日々(1918年)

16・ナールデン(現オランダ)

 

 

スラヴ叙事詩-17・聖アトス山(1926年)

17・アトス山(ギリシャ)

 

 

 

スラヴ叙事詩-18※上記掲載

 

 

 

スラヴ叙事詩-19・ロシアの農奴制廃止(1914年)

19・モスクワ(ロシア帝国・現ロシア)

 

 

スラヴ叙事詩-20・スラヴ民族の賛歌(1918年)

20・未

※上部の人物は、チェコスロバキアおよび第一次世界大戦後に誕生した

その他の国民国家のシンボル