つづき…
事はわかっていたけど、ほんの少しの間日常が
戻りました。
見た目も痩せてもいないし、病気とは思えないくらいだったけど、着実に…着実に悪くなっていきました。
検査入院と称して入院する期間が長くなって
それでも、一時退院すると私達に
サムゲタンを作ってくれたんです。
咳が出始めて何回目かの入院をした時、
担当の先生から話があるので聞いてほしいと
呼ばれて、友達と病院へ行きました。
余命宣告でした。
肺への転移が見つかり、これ以上は治療は困難と
言われ、3ヶ月もつか、半年は厳しいと言われました。
隣に座っていた彼女は先生に言われた瞬間、
私の手を握りしめて泣き出しました。
私も涙が溢れ出したけど、とっさに
泣いちゃいけない!と必死に涙をこらえました。
治療もできず、残された時間が限られているなら
地元の病院に転院させてほしいとお願いしました。
先生の話が終わって子供をどうしたらいい?と
泣きじゃくる彼女をなだめ、心配しないで
1日でも長く生きよう!と話しました。
帰りの車の中で友達とただ無言で涙して
鼻をすする音だけがしていました。
あの時、車の中から見た景色は一生忘れません。
湾岸道路から見える高層マンションの部屋のライトや
ビルのネオンが涙で膨張して大きな光の玉になって
見えました。
気を取り直して、子供をどうするか話し合いました。
とりあえず市の福祉課に相談しようと。
それから転院するまで、あっという間に悪くなっていき、顔も目もオレンジになってしまった、どうしよう
と泣きながら電話してきました、
黄疸です。
もう、本当に時間はない。
韓国の家族に連絡し、すぐに日本に来てほしいと
伝え、退院の手続きをしに行った時には、
歩けなくなっていました。
まだまだ、続きます。