新年度が始まり、毎日がまたあっという間に過ぎていて。

唯一続いている趣味、読書。最近読んだ「ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと」。

障害、家族、母親⋯ 涙が出た。


母を思い出した。

母は障害があったわけではない。

以前もブログで書いた母のこと。




今でも消えない自分の弱さと後悔。


私が中学の時に、初めて母が入院。

何も知らない私は放課後母の病院へバスで会いに行って、身体から管が出ている姿を見て初めて手術をしたことを聞かされた。

すごく驚いたしショックを受けたからか、今でも病院の風景をしっかり覚えている。

後から聞いたのは、姉は知っていたということ。


それから数年して、再発、転移。

それでも治療受けていたけど、元気に日常生活を送っていた母。


私が自立してからも通院はしていて、放射線、抗がん剤。


完治はしていないことも、治療をしているということはどんなに日常生活を送っていても、身体はつらい時もあっただろうし、少しずつ抑えきれない病巣が増えていくことがあることも。今ほどは詳しくなかった私でも、また治療始まった⋯と聞けば、不安にもなっていた。



でもどこかで現実から逃げていたと思う。

きっとまた大丈夫、また良くなる。

都合の良いように考えて、

心配している風なことを言うくせに、何にもしようとしなかった。


最後の入院のとき、

家族で一番身軽だった私が仕事を辞めて側にいる、と話してからすぐに母は亡くなった。

車で2時間のところに入院していた母。

連日仕事を休んで病院に来てた私が、今後のことを職場に相談に行くために一度帰宅し、翌日半日出勤したら病院へ戻る予定だった。その半日出勤中に危篤になり、私は間に合わなかった。



私は昔から本当に情けないくらい弱くて、人付き合いも苦手で、母の前でもよく泣いていた。

だからきっと、



最初の手術のときも私には話さなかった。 

少しずつ身体を蝕んでいってつらい時もあったはずで、それなのに私が現実を受け止められていなかった時も自由にさせていた。

最期の時も、私が駆けつける前に逝ってしまった。


私が弱いからだ。

私には話さなかったし、見せなかった。


今でもずっとそう思っている。

そして誰に何を言われて励まされても、何年たっても

私の中で消えない一度帰宅した後悔。



前日は痛み止めで朦朧としているから、私が身体をさすっても「すみません、ありがとうございます」って認識していなかった。


病院から一度帰宅する最期の夜、いつもなら引き止めたりしないのに、

ぐったりしながら「まだいたらいいのに」と言った母。私に向けた最期の言葉。



情けないけど、

今でもやっぱり会いたい。


(理想の母⋯まだまだなれていないな)