今までの流れをぶった切る内容ですみません。
気分の悪い方は読まないことをおすすめします。

26日月曜日の夕方、自宅で自殺を図りました。
幸い母の発見が早く、大事に至らず今こうしてブログを書いています。

すべてが自業自得だったんです。

後先を考えず、自分を過信して1日薬を抜き、
主人は怒らずに受け止めてくれると甘ったれたことを考え、
そうならなかったときに死を決意して…それが25日の夜。

計画的に死を考えていたのに、
26日の昼パニックを起こして泣きわめき、
主人を見送り息子と2人きりになったときに、
ほとんど衝動的に自殺を図りました。

今思えば、母の発見が遅くとも死にきれていなかったと思うほど、
無計画で確実性のない自殺方法でした。

だからこそ今生きているのですが。

昨日心療内科の予約時間近くなるまで、
ODした薬のせいか計り知れない精神的な疲れからか、
ほとんど起き上がることもできないような状態でした。

私にはほとんど記憶がないのですが、救急車を呼んだり、
深夜まで主人に病院に付き添ってもらって、
意識が戻るのを待ってから帰宅したり、
息子の世話も母に任せっきりで、ものすごく迷惑をかけました。

もう迷惑かけたくなくて、楽になりたくて、死のうと思ったのに…。
もし今度決行することがあれば、絶対に失敗しないようにしようと思ってます。


一昨日母が私の通院している心療内科に行きました。
私が朦朧としているときに薬をなくしたらしく、
とりあえず2日分の薬を処方してもらいに。
そのついでに自殺未遂の詳細を話してくれていたので、
私は昨日事細かに説明せずに済んで助かりました。
(結局なくしたと思っていた薬は家にありました)

そして昨日の診察の際、主治医に入院を勧められました。
「もしまた衝動的に死のうとしてしまうようであれば、
 入院という手段もあります」と。

確かに今の私は、基本的に「死にたい」と思っていて、
気分のすぐれない時はほんの些細なキッカケでも、
死を決意してしまいそうな気はします。

でも、基本的には「死にたい」わけですから、
それでもいいかな…と思ってしまう自分がいます。

もちろん自殺はいけないことだとわかっていますし、
自殺せずにすむならそれに越したことはないけど、
私には死ぬ以外の解決方法がないんです。

主人は入院に賛成でしたが、少し勘違いしているみたいで
「入院してちゃんと病気治して、元気になって帰っておいで」
と言います。

私もよくわかりませんが、入院したからといって、
鬱を完全に確実に治すことはできません。

安易に「早く治して、元気になって」という主人に、
苛立ちのような悲しさのようなものを感じます。

どんな入院生活になるのか、どれくらいの期間になるのか、
想像もつかないことが多すぎて怖いのが本音です。

お金もかかる、子供のことも家のことも迷惑がかかる、
それなのに完治して戻ってくるわけでもなく、
また同じ事の繰り返しになるのかもしれない…
いつになったら、どうすれば、よくなるのかわからない…

もし入院までしたのにまた落ちたりしたら、家族に申し訳なくて…

もっと長く闘病している方もいらっしゃるのに、
情けないとは思うのですが、もう辛くて耐えられない。

ちょっと前はあんなに元気だったのに。
薬を飲みながら、あんなに普通に生活できてたのに。
今また、かつてないどん底にまで落ちてる。
もう私は死ぬまでこうなんじゃないかと思ってしまう。
だったらもう、終わりにしたい楽になりたい。
家族も、楽にさせてあげたい。心配かけたくない。

やっぱり、あのときもっと歯を食いしばって、
ちゃんと死んでいればよかったのに…
大抵の鬱病患者がそうだと思うが、私は身内以外にほとんど鬱のことを話していない。

小学生のときから仲の良い、お互いにいい相談相手の幼なじみ(男)
木曜休みの仕事でよく遊びに誘ってくれる昔の仲間(男)
高校時代何もかもを相談できた元担任(男)
そして、彼。

女が一人もいないのは、私のトラウマが関係しているかもしれない。
それについては、いずれ。



彼と付き合っていたのは3年前。
ほんの数ヶ月だったけど、本気で結婚したいと思っていた。
当時私は高校生だったが、同棲もしていた。
高校にほとんど行ってなかったというのもあるが。

別れた理由は、私が嫌われてしまったから。
だと思っていた。



結婚したときに、彼の連絡先は消した。
もしも残っていたら、連絡してしまいそうだったから。
歳も離れていたし、違う世界を生きていた人だったけど、
一緒に過ごした時間は今でもいい思い出だし、
生涯一番愛した人だと結婚した今でも思っている。
だから、彼とは連絡を取らない。
そう決めた、はずだった。



服薬治療を始めても、調子の悪いときはある。
無性に寂しくなって、誰かと話したくて…
だけどそんなときに、鬱のことを打ち明けてない友達とは話す気になれない。
そういうときは大抵幼なじみと電話していたのだが、
あの日に限って幼なじみはバイトだったのか、連絡がとれなかった。

どうしても、今誰かと話したい。
この寂しさを紛らわせたい。安心したい。
旦那はまだ仕事中。

ふと、彼が浮かんだ。

連絡先は消していたが、今年の誕生日彼からメールがきた。
ハッピーバースデー、と一言だけのメール。
だけど消すことはできなかった。

それを思い出して、そのメールに返信する。
彼からの返信はすぐにきて、電話で話した。

彼が浮かんだのは、彼を愛していたからだけではない。
彼も長年、鬱を患っているからだ。
旦那と話しても幼なじみと話しても、
やっぱり物足りなさを感じたり逆に落ち込んでしまうことがある。
それはやっぱり、鬱の人でなければわからない苦しみだから。

彼は、やっぱり彼だった。
私のほしい言葉をくれる。
私を安心させてくれる。
それだけじゃなかった。
私を、ときめかせてしまった。



あの時幼なじみが電話に出ていたら、
彼から誕生日にメールが来ていなかったら、
あのメールを私がすぐに消していたら、
運命は変わっていたのかもしれない。

でも、とにかく、私はもう一度彼と繋がりを持ってしまった。
私が「非定型うつ」だと知ったのは、主治医に言われたからではない。
実家の母宛てに、「非定型うつ患者家族会のお知らせ」が届いたからだ。

主治医ははじめ、母乳育児をしている私のために、
服薬治療はなるべくしないようにしよう、と言ってくれた。

初診から何回かはカウンセリングのような感じ。
その後漢方薬を処方されたが、一向に回復しない。

通院から1ヶ月と少し経った頃
「断乳してみませんか…?」と言われた。

実家の協力のおかげで無事に断乳でき、ミルク嫌いだがよく食べるおかげで、
離乳食にミルクを混ぜたりして、少し早いが息子は8ヶ月で一日三回食になった。

それからまず抗不安薬を処方されて1週間様子見。
大幅な改善が見られず、抗鬱薬と副作用止めの胃薬。
その後頓服で睡眠薬を処方され、現在4種類の薬を飲んでいる。



一生懸命おっぱいに吸い付く息子を、もう見られないと思うと正直寂しい。

だけど、それよりなにより、あのときの私は、
安定した気持ちで生きていけるようになることが先決だった。

毎日死に関することばかりを考え、
生きていてごめんなさいと涙を流し、
死ぬことすらできない自分は迷惑な存在なんだと。
自分を責め続け、苦しい日々だった。

起き上がれない日もあった。
話ができない日もあった。
涙が止まらない日もあった。

とてもじゃないが、こんな状態じゃ子育てなんてできない。

それなら、母乳をあげられなくても、
私が息子に笑いかけてあげられるようになりたかった。

息子を心から可愛いと思って、
安らかな気持ちで一緒に眠りたかった。

「どうか明日目が覚めませんように」
と思いながら眠りにつくのには、嫌気がさしていた。



現在は毎日薬の力を借りながら、普通の生活ができている。
洗濯をして、買い物に行って、時々友達と遊んで。

いつまで薬を飲み続けるのだろうかという不安はあるが、
薬の力を借りて生きている人は世の中にたくさんいる。

大丈夫、私は今はこれでいいんだ。
毎日そう言い聞かせながら、薬を流し込んでいる。