あけましておめでとうございます。
昨年はいままでとは全く違う一年でしたね。今年はどうなるのでしょうか。
さて、私の地元では成人式が中止になってしまいました。少し残念です。
成人式で会えるかなと思っていた会おうと言うほどの仲ではないけれど時々ふとどうしているかなと思いだす旧友、なんの興味もない市長の話を聞きながらほかの人たちと話長い~と感想を共有する時間、人生の節目をかつての仲間たちと1日限りの公的な式典で迎える場、そういうものに対し淡い期待を抱いていました。
中止になってしまったことは仕方ないんです。延期にすればいい、とか、何か代わりとなる場を、とかそういったことを望む声も多く聞きました。私もあればいいなあとは思いますがどうしてもやってくれとまでは言いません。
ただ、少し残念だったなあと僅かに気を落とすだけです。結局私にとってはそのくらいの位置づけだったんだと思います。
あくまで私にとってはです。もっと成人式という人生の節目を大切に思っていて、そこで旧友と顔を合わせることを私よりもずっと楽しみにしていた人がいるのもまた事実で、Twitterでそんな溢れる気持ちを流している人もいました。
ですがその感情を表にした人に向けられた言葉は
政府にばかり期待してないで自分で動いたら?
人任せにしてたら社会じゃやっていけない
自分で人集めてやれよ
…
厳しい言葉ですね。この言葉を投げつけたのは何の問題もなく成人式を迎え、大人になった大人たち。結局何不自由なく当たり前のように成人式を迎えられた人にはわからないんです。気持ちなんて。
成人式なんて何の思い出もない
何も楽しくない
行く意味ない
主観だけで行く意味はないと決めつけ、成人式への参加不参加の自由があり自分の意志で決定できた人が、参加したくても参加できない行きたいと願っていた人の気持ちを踏みにじるんです。
コロナ禍で各人が何かしらの不満を持つようになりました。やはりその不満はその人にしかわからず、他人にはその人にとってそれがどれほど重要な位置にあるかを理解できないんです。そんなこともわからず、他人に寄り添おうとせずに、分かろうともせずに考えなしに批判し攻撃する人がいるから全員のストレスが加速すると思うんです。
自分のことで精いっぱいで、他人に寄り添う余裕がないのなら他人の負の感情に干渉しなければいい。ただそれだけのことができないから精神衛生は悪くなる一方。
もっと、平和に生きませんか?