刑務所では普段自由に話せない分、『運動時間(30分)』に気が合う者同士で喋ってたり…何人かで固まって井戸端会議したり…運動好きが集まってトレーニングしてたりと皆、好きなように時間を使っています。
歳も性格も育った環境も違うけど、『犯罪者』と言う唯一の共通点で、なんだかんだいくつものグループは形成されるんだなーと感じる日々です。
勿論、一人でいるのを好む懲役や、人と関わるのが苦手なタイプ、皆から嫌われて誰からも相手にされない懲役もいますが…ほとんどの人が運動時間は誰かと一緒にいます。
学校でも、こういったいくつもの人間関係は構成されると思いますが、長期刑務所との大きな違いは…10年〜30年間…無期囚なら永遠に『この人間関係の構図がほぼ変わらない』事です。
そして、それによって何が起きるかと言うと…グループ間の強烈すぎる仲間意識や、他グループに対しての異常な敵対心が醸成され、あっちこっちで揉め事が起きるのです。
「Bは50歳超えても親から毎日2万円も差し入れもらっててムカつくよな」「Aが俺らの悪口を言ってたらしいから、ハメて消すか」とか毎日そんなことをいくつものグループが本気で話し合っています。
20代の懲役なら「まだ血気盛んで、暴れたいのか…」みたいな解釈もギリできますが、50代の人たちがこんな感じです。
自分なりに「こういう事が起きる理由ってなんだろう…」と考えてみると、全く変わり映えしない日常と風景が何十年も約束されていて…何かに向かって努力する心も習慣もない人たちからすると、とにかく毎日が…『退屈』これに尽きるのかなと思います。
外であれば夢や目標がなくても、好きな音楽を聴いたり…好きな食べ物を食べたり…好きなYouTubeを見たり…退屈を埋める行動はいくらでもあるはずです。
でも、刑務所ではそれが『不可能』です。
「この中の世界に楽しいコンテンツがないなら、自分たちで刺激的なコンテンツを作っちゃえ」と言う思考が無意識に他人との揉め事を通し、刺激をgetしているのかもしれません。
実際一つの揉め事が落ち着いても、すぐ次の揉め事が発生する『無限ループ』のような状態を見ているとそんな気がします。
ちなみに自分は、運動時間は基本的に一人です。
前の工場では気が合う人たちと何人かで一緒にトレーニングしていましたが、今の工場では同じモチベーションでトレーニングしている人がいないので、一人で走ったり筋トレしています。
それプラス、他人の悪口を皆で何十年も言い合っている人たちとの輪に絶対入りたくないので、『運動バカ』のキャラを確立して、そういう人たちから声をかけられないようにしています。
ただ…彼らからすると「俺らはこの工場を少しでも良くしようと揉め事を解決しているのに、お前はgoing my wayで運動ばっかしてていいよな」と嫌味を言われたこともあります。
正直、刑務所と言う場所でうまくやっていくには…力のあるグループに所属し、親分にペコペコして太鼓を叩いている事がベターです。
そういう人は実際たくさんいます。
でも格好つけてるわけじゃないけど…こんな場所に来てまで、クソみたいな生き方をもうしたくないので「嫌われてイジメられてもいいや」って割り切っています。
強調性を持って生活する事は大切であるものの「嫌われたくない」「周りから一人ぼっちの奴と思われたくない」の気持ちを優先して生きると…
やっぱり、自分自身が一番気持ち悪さを感じちゃうのです。
それを感じながら毎日生活している方がしんどいし、何も成長していないと思っちゃいます。
まだまだ懲役生活は長いけれども、一人になることを恐れず、自分の心を大切に生きていきたいです。
今回も読んでいただき本当にありがとうございました。
感謝しています。
@懲役25年受刑者