今朝、親友からLINEが来た時に
「あれ、親友と知り合ったのって何月だっけ?」とふと頭をよぎった。
親友との出会いは14歳の時。
当時都内の私立中学に通っていて中2の途中から埼玉に引っ越してきて電車通学をしていたの。
あるときの下校途中乗り換えの駅のホームのベンチに座ってたら
「ねぇ、その制服って○○中学校だよね?」
と、隣に座ってた女の子が突然話しかけてきた。
それが、今の親友ヽ(゜▽゜)ノ
最初何事かとビックリしたけど、
聞けば彼女も埼玉から都内の私立に通っていて、毎朝ホームで私を見かけていたらしい。
私と同じ学校の先輩に恋していた親友は、同じ制服を着た私が目についていたとのこと。
最寄り駅が同じなのでそのまま一緒に電車に乗って、駅のベンチに座っておしゃべりして・・・。
当時携帯なんか持ってなかったから、家の住所と電話番号を交換してバイバイ。
それから、トントン拍子に仲良くなり、今現在に至る・・・。
これが確か、引っ越してきてから半年以内にあった出来事。
縁もゆかりもない土地に引っ越してきて、運命の出会いを果たす(笑)
もし彼女と同じ学校だったら?
もし彼女と出会うのが遅かったら?
きっと今のようにはなれていないんだと思う。
最適なタイミングで出会ってるとしか思えない経験。
ところで・・・
話は少し逸れますが
最近、「物事の尺をもう少し大きくとらえてみよう」と思っています。
例えば
自分の夢や目標を「○○までに叶える!」と期限を決めるのは明確でいいことだけど
本当の意味でそれが叶った(=自分のものにした)と感じるのは、
短い尺では計り切れないんじゃないかなぁ。
私の場合、ざっくり表現すると「依存しないで生きる」というのが目標なんだけど
これって意外と壮大な目標で、人生の終着点で振り返ったときに初めて
「あ、達成できたかな」と思えることなんじゃないかなと思った。
「叶えた」という点ではなくて、線で見るイメージ
最終的に「お、できてるじゃん♪」と思えれば、それはもう万々歳だと思うんだよね。
「運命の人と出会う」とか「幸せに生きる」という夢だって
答え合わせができるのは随分と後に振り返ったときだったりね。
だから案外、自分の夢に対して
「どうして周りには達成してる人がいるのに私はできないんだろう・・・。」なんて焦ってしまっても
そのテーマって実はそんなにインスタントな問題じゃなくて
意外と壮大な事柄かもしれませんよ
なので結論として小さな不安やつまずきをわざわざ大きくする必要はない。
今、うまくいってないと思ったって
長い目で見たらわからないもんね。
さっきの親友の話に戻すと、
親友との出会いだって人生と言う大きな尺で見てみたら
親友という彼女の存在がこの人生にあって良かった
・・・に尽きると思うのね♪
出会いのタイミングや環境なんか大きな尺で考えたらどうでもよいこと。
とすると逆に
これから初めて出会う出来事に一喜一憂するのは
取り越し苦労説が濃厚~~~~~!!!
やっぱり・・・
やっぱり・・・
道草を楽しみましょう