ネットニュースで
先日のMステに出演した浜崎あゆみさんの生歌がヒドイ、と話題になっていたので
動画を調べてみたら・・・ありました。
http://48pop.blog.fc2.com/blog-entry-1492.html
う~ん、もう何年も前から歌い方はこんな感じで
全盛期と比べるとだいぶ声質も歌い方も別人のようになってしまっていたので
かつてのあゆを好きだった私としてはやっぱり残念感は否めないし
テレビで見てるこっちがヒヤヒヤするというか、
安心して見たり聞いたりできないレベルだなぁ・・・と思ってしまう。
evolutionの曲の間で客席にあいのて的なフリを要求しているシーンがあるんだけど、
いつもライブに来ているファン層と違うせいか盛り上がりに欠けてた感じが画面から思いっきり伝わってしまって、
あゆの笑顔も引きつっていたように感じた・・・( ̄_ ̄ i)
(しわを伸ばしてる、とは違う意味で)
私生活の切り売りが激しいといわれているけど
全盛期のころはいろいろと壮絶に抑制されてたから見えなかっただけで
自分の毎日の一部を切り取って発信する行為も
ポエムみたいなつぶやきをする行為も
本当のあゆなんじゃないかな~、と思います。
自己顕示欲は強い人だと思うし。
全盛期は、エロさも皆無でまるでお人形さんのようなイメージで作り上げられちゃったから、
イメージと正反対の「自分のキャラ」を前面に押し出したところで
ファン層が変わるのは当然ですよね~。
ある意味、「終わった」と言われるのは当然かも。
誰かのプロデュースから、セルフプロデュースへ。
ファン限定ツアーとか、ライブ中心にやっているあたりで
本人が「私を見てくれる人だけ見てくれればいい」感が顕著だし、事実それでもいいと思うんだけどね。
でも、違う自分になりたいのに過去の栄光を両手に抱えたまま突き進んじゃうから
なんとなく滑稽に映ってしまうんだろうなぁ・・・。
全盛期のあゆの刹那的な歌詞は、同世代ならずとも共感しましたね~。
一気に歌がブレイクして超売れっ子の生活が始まって
孤独とか葛藤とかを抱えながら歌い続けてるんだなって様子が、歌詞からもよく伝わったし。
それがある意味、一般の生活をしている私たちの一部でもあって
ずっと聞いていたい歌だった気がする。
孤独な気持ちをつぶやいても、空気と一緒に消えちゃうくらいの「届かない本当の声」みたいなイメージの歌が多かったけど、
最近は「君だから」とか「君には」みたいな、なんだか実在の人物か?と思えてしまうような相手が登場するようになって
歌の世界観がだいぶ変わってしまった。
SNSの謎の投稿もしかり、友情とかを超えた絆みたいな愛を表現したいのはわかるんだけど、
どうも乾いてる感じがするのは、なぜだろう。
肌なじみが悪い、、というかね(笑)
自分の一度信じたものを信じ続けたいし手放したくないし、新しいものを受け入れるのに時間もかかりそーな人に見えるけど、自分を本当に進化させるっていうのは環境の変化に柔軟であることが大事だと思うんだよね。
周りの環境に変化がないと、視野も狭くなるしね。
だから、いっそのこといろいろとリセットして全部ぶち壊して
「見たことないあゆ」が見れる日が来るといいな~。