【タイトル】 ダンス・ダンス・ダンス(上)/(下)

【著者】 村上春樹

【出版社】 講談社文庫

【発売日】 1991/12/15

【読了日】 2022/10

 

【読んだきっかけ】

本棚整理きっかけで村上春樹さんの本を読み直すキャンペーン、のんびりまだ続いている。「羊をめぐる冒険」が面白かったから、この本も購入した記憶だが、当時は慌ただしく読んでしまい、いつか読み直そうと思いつつ長い年月が経ってしまった。

 

【感想】

「羊をめぐる冒険」のその後の「僕」の話を読めるのが嬉しかった。「僕」のことが少し心配だったのかもしれない、読み始めてすぐ、そういう感覚が戻った。

 

「羊をめぐる冒険」から4年、「僕」はなんとか ”自らの存在の並行性を取り戻した”。そして再び出発するためには、出発点に戻らなければいけないことを確信し、いるかホテルへ向かう。様変わりした”ドルフィンホテル”であるが、とあるタイミングで内在する別世界 ”いるかホテル”へ、羊男によって導かれる。羊男との再会。

羊男のいる世界。羊男は戦争がいやだからこちらの世界にいるという(2022年現在も戦争がある現実。羊男が話す内容にどきっとさせられる)。死の世界ではないが延々と暗く寒い世界、それ以上の説明は不可の世界。「僕」はまだこちらの世界に来るべきではない、「僕」があちらの世界に留まれるよう、羊男が物事(失ったもの、まだ失われていないもの)のつなぎ目役となってくれるとのこと。

「僕」はどうすればよいか。

「オドルンダヨ。オンガクノツヅクカギリ。」なぜ踊るかなんて考えない。意味なんてもともとない。一度足が停まったら、「僕」に何もしてあげられなくなる、どんどん「僕」はこちらの世界に引き込まれてしまう。馬鹿馬鹿しくても気にしない。ベストを尽くし、怖がらず、とびっきり上手く踊る。

 

今回読み直して、「オドルンダヨ。オンガクノツヅクカギリ。」は、「イキルンダヨ。イキテイルカギリ。」というとてもシンプルかつ大事なことではないか?と感じた。心の悩みの本などに目を通すと、生きることに目的や意味を求めすぎないこと、今を楽しく前向きに生きることが大事なのだと、よく思わされる。それに通じるものを感じた。

 

そして「僕」はいろんな人との出会い、偶然なようで必然な出会い、つながりに翻弄されつつもなんとか踊り続ける。6つの白骨の謎を抱えながら。納得のいくまで踊り続け、ユミヨシさんに会うべきタイミングがようやく訪れ、”ドルフィンホテル”へ戻る。そして、”いるかホテル” には行けるが、羊男には会えない。究極のところで、ユミヨシさんのことは現実世界に引き留めることができる。

となると、6つ目の白骨は、死は、誰なのか。役目を終えた羊男なのか。それともこれから訪れる何かなのか。その解釈も含めておそらく大事なことは、「オドルンダヨ。オンガクノツヅクカギリ。」のはず。

 

【おまけ】

ユキの父親牧村拓との会話で、「僕」がゴルフが嫌いな理由を述べる箇所がある。個人的に、これ以上の言い掛かりってある?と面白かった箇所。

”何をとっても馬鹿げているように感じられるんです。大袈裟な道具とか偉そうなカートとか旗とか、着る服とか履く靴とか、しゃがみこんで芝を読む時の目付きとか耳の立て方とか、そういうのがひとつひとつ気に入らないんです” ”ただの言い掛かりです。意味ないです。ただゴルフに付随する何もかもが気にさわるというだけです。耳の立て方は冗談です”