【タイトル】 村上春樹全作品-1979〜1989 1 風の歌を聴け・1973年のピンボール

【著者】 村上春樹

【出版社】 講談社

【発売日】 1990/5

【読了日】 2022/5

 

【読んだきっかけ】

本棚の奥に保管していた村上春樹さんの文庫本たち。20年以上経ち劣化が激しいため処分することに。処分前に、個人的再読キャンペーンを始めたのだが、「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」を所持していないことが判明(以前読んだときはおそらく借りたものと思う)。

全集1巻にちょうどこの2作品がまとまっていたため、今回図書館で借用したのだが、全集に向けた村上春樹さんによるコメント冊子(「自作を語る」台所のテーブルから生まれた小説」が付録でついているのが楽しみ。全集はこの楽しみがあるのだな。

 

【感想】

いずれの作品も、前回読んでから20年ほど経っていると思うが、内容をまるで覚えていなかった。

当時は、”鼠三部作” という言葉を知らず、また「ノルウェイの森」に通じるものがあることに気づかず(先に「ノルウェイの森」読了していたが)、また、井戸の話が出てきてもなんとも思わず(村上春樹さんの小説世界における大事なファクターのひとつのはず)、、、ハルキワールドをなんとなく堪能して終えたのだと思う。

 

「風の歌を聴け」

主人公「僕」と「鼠」「ジェイ」の出会いや、自分自身の苦悩に付き合いながらの日々、そして、この作品でも様々な喪失が語られていると感じる。
物語を通して語られる、架空?の作家「デレク・ハートフィールド」。彼自身の喪失も、彼を喪失することも、物語の大事なファクターになっていると思う。そして、ハートフィールドの作品として「火星の井戸」のストーリーが紹介されている。火星人はなぜ無数の井戸だけを残したのか? 時の歪みに沿って掘られた井戸であることを、井戸に潜ってたどり着いた先で知る(”風”に教えられる)死を望む青年。表題にも通じるこのストーリーは、喪失だけではない、もっと深い意味があると思う(次回読む機会にはもう少し理解してみたい)。

最後のほうの文章 ”あらゆるものは通り過ぎる。誰にもそれを捉えることはできない。僕たちはそんな風にして生きている。” に共感する。

 

「1973年のピンボール」

この作品もあらゆる喪失が訪れ、通り過ぎて行くのだなと感じた。主人公「僕」はそれを理解や消化できるわけもなく、自分から近づいてみたところで受け入れることもできない。

受け入れることのできない辛さの中で、”井戸” のエピソードが語られている。喪失を埋めるために訪れた先での、喪失のエピソードであるが、「僕」が ”井戸” に少し救われていることが、感じられた。

全体を通して「鼠」の苦悩も続く。「ジェイ」との、お互いに思いやりとしての距離感がある会話に、お互いが少しずつ救われていることも感じる。

再会のため苦労して居場所を突き止めたピンボールとの ”会話” そしてしっかりと別れた「僕」、この街との別れを決めた「鼠」、「僕」が一緒に住んでいた双子があるべきところへ帰ることなど、物語の最後に、あらゆる喪失があるけどあらゆる新たな道もある、と感じさせられた。

 

”鼠三部作” の出版順は、

「風の歌を聴け」→「1973年のピンボール」→「羊をめぐる冒険」であるが、

今回の読み直しにおいてはたまたま、

「羊をめぐる冒険」→「風の歌を聴け」→「1973年のピンボール」の順に読んだ。

つまり ”鼠三部作” の最終作を知ったうえで、今回「風の歌を聴け」から読んだわけだが、「鼠」の登場シーンからちょっと動揺というか、フラットな感情では読めず、全体とおして「鼠」の心情に心をもっていかれながら、それを軸に味わった。

 

村上春樹さんによる全集付録 ”「自作を語る」台所のテーブルから生まれた小説” は、とても興味深かった。

この2作品の誕生について、つまり、作家になるきっかけの部分が語られている他、全集収録にあたってこの2作品にはあえて筆を入れなかったことについてなど、思いが語られている。

全集の全巻にこの付録がついているのかな。別巻も付録目当てで読んでみたい。