先日、1週間出張で家を空けることがあった。
準備がギリギリになり、バタバタして家を出た。
「いい子にしててね」 「留守中頼む」
言葉で伝えたが、何か伝えたり足りなかった。
抱きしめてあげれば良かったと、
出発後にとても気になり始めた。
しばらく考えて、後悔して、改めて感じた。
家族を支えている気分になっていたけど
家族に支えられているのは自分なんだな、と。
今日、上の子が6歳になる。
ようやく私も親として6歳になる。
いろいろ教えてもらった、
あすの朝、6歳になった我が子を
抱きしめて歓迎したい。
また、1年間、支えてください。
5さいのこどもが 寝る前に
「おとうさん おおきくなったら なにに なりたかった?」
と 聞いてきた
こどものときは 「パイロット!」 と 答えていた
「カッコイイね!」 「すごいね!」 という反応がうれしく、
その答えが気にいってた。
あるとき 「じゃあ 英語ができないと なれないね」 と言われた。
・・・ それは とても 無理だ
ショックをうけると同時に あっさりと あきらめた記憶が
よく 残っている。
それが ちょうど いまのわたしのこどもと おなじ
5さいのとき。
あの程度で あきらめずに 夢のまま 進んでいれば
実現できてた可能性は 十分にあっただろう と
考えることが 以前もあった
でも いま こどもの顔を見返し
パイロットだったら きっと カミさんには あえてない
その 人生が いまより よかったなんて きっと ない
こどものころは ひとからの反応のよい 答えを 気に入ってた
いまは ひとの意見ではなく ただ いまが 気に入っている
分かれ道を まちがったかも ... そう かんじるとき
あのとき こうしておけば あっちに いっておけば
いまより もっと よかっただろう 幸せだったはずだ と
おもうことが ある
こういうときは なぜか
いまよりも よくなっていたはずだと かんがえてしまうけど...
ふと 気付いた
わたしが ちがう 道を すすんでいたら
かみさんには あえていないかも
いま いる こどもたちは どうしていたのか
そもそも いま 自分自身 元気でいられてたか
いまの 人生に 何の不満があるか
自分の選択が いまの私をつくった
この人生こそが 自分の選んだ道
あらためて しあわせな 人生だと かんじている
感謝多く 生きて行きたいと
なぜか 突然に そう思った
