ティルマン・リーメンシュナイダーの《聖血祭壇》 / 薩摩雅登 著より。

ニュルンベルク聖ロレンツ聖堂にはもう一つ「最後の晩餐」図があるという。「彫像は14世紀にさかのぼる可能性もあるが、後代に修復と塗り直しが繰り返されている。この作品は現在では聖堂内部の龕の中に収められているが、当初からこの場所に設置されていたかは定かではない。」((ヨーロッパ生と死の図像学 (明治大学人文科学研究所叢書) 単行本 – 2004/4、p343)

Johannesaltar St. Lorenz Nuernberg

2枚とも7photo by  Rufus46 - Own work CC BY-SA 3.0

聖ロレンツ教会に関するサイトhttps://lorenzkirche.de/detail/johannesaltar に乗っている解説文の概要をまとめれば、この祭壇は、1520年に貴族の家族イムホフから寄贈された。もともと教会の真ん中の目立つ位置に立っていたという。赤い大理石らしく見えるものは、実際には素材は木である。
 左上:子羊と洗礼者ヨハネ–右上:聖杯を持つ福音書記者ヨハネ。
最上部には、イムホフ(アシカ)と2頭のイルカの創設者の紋章で囲まれているパンクラトール(万物の支配者)としてのイエス。1525年にニュルンベルクで始まった宗教改革まで、祭壇は遺物(聖ゲレオンとグレゴリウス)の祭壇のままだった。遺物容器は宗教改革後に取り外されたが、聖ゲレオンの3つの骨は金色のグリルの後ろに明らかにされたままにしておくことができた。宗教改革後も、日曜日と祝日の教会初期および教会前の礼拝の祭壇(聖体拝領)として使用され続けた。

 1425年頃、めったに加工されない素材の粘土から未知のマスターによって美しいスタイルで作られたことがわかっている。15世紀初頭、ニュルンベルクは粘土が加工された数少ない都市の一つだった。
19世紀には、使徒たちに修復が行われ、図像学にほとんど精通していない修復者たちは、黄色い服を着てイエスの向かいに座っている本物のユダを認識せずに、彼らは、顔を背けてテーブルの右端に座っている2人目のユダを作成した。(黒い顎髭がある)
 弟子たちがなぜ浮かぶベンチに座っているのかも素晴らしく不思議なまま。

 

以下私見。ということで、この晩餐にはユダが二人いる。もとから制作されたのがキリストの斜め左の黄色の服を着ている男。腰には裏切りの報酬を入れた袋が見える。

この晩餐、リアルと言えばリアル,確かにこういうふうにテーブルに座れば、手前の人の顔は観者に見えないまま、ただせっかく作っても人の目に触れないとは、あまりモチベーションが上がらない仕事ではないかと思うが、実際どうなのか。ただし粘土で作られているということで,特有の柔らかさ、暖かみも感じられる。ローブの下から覗く足首、右へ行くにつれて見える部分が拡大。失われた元の使徒の足元が気になる。

 そういえば,リーメンシュナイダーの作品では、一人だけユダが、後ろ向きだった。リアルさも見せる効果も両方満たす、なかなか良い解決策かも。19世紀の修復家が図像学に詳しくないというのも何たる皮肉。