2001年にメトロポリタン美術館で開催されたブリューゲルの展覧会のカタログから、「養蜂家たち」の意味の解釈について見てみよう。Pieter Bruegel the Elder Drawings and Prints(Orenstein, Nadine M., ed., with contributions by Nadine M. Orenstein, Manfred Sellink, Jürgen Müller, Michiel C. Plomp, Martin Royalton-Kisch, and Larry Silver (2001)p238‐240、Michiel C. Plomp)から。この本は、METのHPのMetPublicationsからダウンロードできる。

該当部分を簡単に訳してまとめてみる。

 

 村の教会の近くにある丘陵の農場で、3人の養蜂家が蜂の巣を持って現れ、おそらく虫の群れを捕まえる準備をしている。左下隅のテキストは、おそらくブリューゲル自身によって書かれたもの。「どこに巣があるか知っている人は知識を持っている/それを奪うものは巣を持つ」というこのフランドルの諺は、行動を伴わない限り、知識を持つことは無益だということをほのめかしている。それはこの作品を説明するはずだが、実際には、この一見単純な農民の場面の意味を覆い隠し、神秘的で解釈を困難にしている。 下図は諺の文字の部分。

《中略》.

 この作品はいくつかの研究の対象となっている。.これらのうちの1つは、強欲の致命的な罪を示している。これらの人物は泥棒で、蜂の巣の中の宝物を探している。木の上の少年は見張り番で。右側の泥棒はまだ宝を探している。.左側の悪役はそれを見つけ、戦利品を持って逃げようとしている。中央の男はこれを知っていて、短剣をつかんでパートナーを脅し、逃げるのを防いでいる。

 最近の別の分析では、この画像は象徴的なもので、宗教的および政治的そのメッセージを表わすとする。蜂の巣はカトリックの教区教会を表している。(16世紀には教会はしばしば蜂の巣に例えられていた。) 1566年8月の偶像破壊的な襲撃の後、フランダースの多くの教会は聖職者(ミツバチ)とその内容物(蜂蜜)を空にした。この絵の忠実なカトリック教徒(養蜂家)は巣箱を元の適切な場所に戻そうとしているが、偶像破壊者(木の少年)は巣箱に背を向け、何もしない。諺にほのめかされている養蜂家の仕事は、教会に利益をもたらす行動である。この研究はまた、少年はカトリックの巣とプロテスタントの教会が平和的に共存できる方法を見ていて、画像がプロテスタントの視点も提示しているかもしれないというかなり突飛な考えで結論づけている。下図は教会と木に登る少年の部分

 これらの理論のいずれかに真実があるかどうかは、まだわからない。死にゆくブリューゲルが、“トラブルになるから残した作品に火をつけるように妻に頼んだ”という“宗教的および政治的内容の作品”(カレル・ヴァン・マンデルがその著書で書いている)の,唯一の生存者 sole surviverが、この「養蜂家」であるかどうかも不明である。16世紀の「最も謎めいた絵の1つ」であるブリューゲルの養蜂家は、明らかにその秘密のすべてを明らかにしていない。(以上筆者が概訳してまとめた)

 

これを読むと,どの解釈も当てはまるような、当てはまらないような何とも判断が付きかねる。「16世紀の最も謎めいた絵の一つ」だそうなのでそうそう簡単には解明できないだろうと思う。当時の政治的・宗教的な状況が,画家の自由な表現を許すものではなかっただろうことは想像できる。そして注文した人物がいたはずだと思うのだが、いったいどういう意図でこの作品を作らせたのかも謎。

 しかし寓意的意味がどうであれ、現代の私たちにとっても、この作品の顔のない人物たちの醸し出す何かは訴えかけてくるものがある。それがブリューゲルの面白さではないだろうか。